Denali's Room 一語一絵

旅と猫とあんことスイカを愛する絵描き、デナリが日々をつづっています。 twitterではMaiDenaliでつぶやいています。

もしかしたらちょっといい話。

t4f350g0.JPGクリーニングやさんに洗濯モノをとりにいったら、私の前でなにやらゴネているおばさんがいました。その人は、自分が2ヶ月も前に出してずっと取りに来てなかったものがないと言って怒鳴っているのです。さらに受け取り票をなくしているくせに、全く悪びれないどころかとにかく探して出してこい!と怒るばかり。その時点で後ろには私含め人が並んでいて、閉店時間が近いにもかかわらず。結局おばさんは明日朝いちで連絡して!と電話番号のメモをたたきつけて出ていきました。 私はすぐに終わったんだけど、出る時に思わず「大変ですね 頑張ってくださいね!」という言葉が口をついて出た。そうしたら、その店員さんが一瞬すごく泣きそうな顔になって、それから満面の笑みでありがとうございます!とおじぎしてくれました。それだけ。ただそれだけの事が今日一日で一番印象に残る出来事でした。私が言ったのは当たり前のなんでもない事だったのに、たったそれだけの事で誰かがあんな笑顔を見せてくれるなんて申し訳ない。でも、私もうれしくなっていい気持ちになった。よかったよかった。私もそうだけど、誰か一人でも味方がいてくれ
ればとても強くなれるものなんだ。明日あのおばさんのワインレッドのパンツとジャケットやらが見つかればいいけど。

今日のらくがき

vb357pl3.JPG机が墨だらけ。

てつがくのネコ

x8re6m1j.JPG自分の人生に「確信」を持って生きている人なんて、どれくらいいるんだろうと思う。
いろいろな人たちが、人生について語るとき、
それは一見確信と自信に基づいているように見える。けれど誰だって、自分の人生をひっくり返されるわけにはいかないから、どうしたって保守的にならざるを得ない。私もそうだ。
年を重ねるほど、そうなると思う。それは全然悪いことでもない。自分の人生から、人生を語るのは当たり前のことだ。哲学だってそう。
ただ私が思うのは、どれだけ何かが力を持っている言葉のように思えても
決して絶対的なものではありえない、ということ。それが、無宗教という事かもしれない。
長く生きている人の言っている事が正しいかといえばそうではないし、それはその人が歩いた道筋から得たことで同じ道でも違う人が歩けば全く違う事を考える。

体験してない事については何も語れない。
でも誰も生きている間に「全て」を体験できるわけじゃないし
「全て」に出会えるわけじゃないし
「全て」の場所に住めるわけじゃない。
「全て」のうち、自分の体験したほんのちょっぴりの部分からいろんな事を考えて、それを紡いで、なんとなく自分の人生の手摺にしたりする。そしてそれをたまに、まるで確信があるみたいに、人に話してみたりする。

何がいいたかったのかというと例えば自信をなくしている時なんて、周りの人はみんなとても確信をもって堂々と生きているように見えて自分が取り残されているように思えたりするものだけど生きることに全く不安じゃない人なんて、いないんだ。大人も、子供も。
生きていると何回も扉がたくさんある場所につく。扉を開けると道があって、しばらく進むとまた扉がある。いくつもの道の中から選べるのは1つだけだけど、その時選ばなかった他の道やその先にあるもののことを少しも考えない人はきっといない。
時間が経てば経つほど、「もしかしたらありえたかもしれない人生」の数は減っていくのは、当たり前。だから分かれ道につきあたったら、本当に自分の頭で考えなければいけない。私はまだ自分の人生に何の確信もないけれど
とりあえず目の前にある扉は、開けないといけない。たどりついた場所がべストだったと思えるためには、まず全力で生きなければな。「運命」って結局全力で考えて扉を開けていく事なんじゃないかな。手をぬいたらきっと後悔する。
いまさらながらミスチルの「誰の真似もすんな 君は君でいい 生きる為のレシピなんてない」というのは良い言葉だな、と思いました。最後に急にミーハ-。

今から帰宅

nr0s7136.JPG今やっと仕事が終わり、この時間に会社をでました。タクシーに一人で乗るのずっと嫌だったけど最近は全然平気になった。大学で残留する時も同じだけど、寝ないで迎える夜明けは、つらいんだけどなんかちょっと得した気分になれる。ちょうど夜があけていく時のあの空の色が見られるのは、寝なかった人の特権のような気もします。でも、うーん眠い。

やっと会えました

wyf0off0.JPG会社の方のおうちにお邪魔してやっと会えた、アートくん!こんにちは、おうわさはかねがね。と、下のデナリも申しております。予想をはるかに上回るキュートさ。お料理もおいしく、素敵な空間で日曜の夜は更けていきました。

デナリに再会。

x4p6fykd.JPGピアノのため、久々に実家にもどってきました。そして愛娘デナリに再会。ひさしぶりに会ったというのに、この写真の直後いきなり私をひっかいて窓の外に飛び出していきました。

プレゼン後の夜景

pmhnwffy.JPGちなみに同じ場所からとった夜の写真です。高いとこキライだけどこの景色だけはほんとにキレイです。

EYE TOYは絶対飽きると思う。

fdswkpjv.JPG小学生の時、マリオペイントというソフトに
私は感動しました。テレビに、絵が描けるのです。それまで私にとってキャンパスは画用紙だけでテレビは「向こう側」の世界のものでした。そのテレビに自分が直接絵がかけて、色が塗れて、動かせて、作曲もできる。あれは本当に、本当に今考えても優れたソフトだったと思います。もう10年以上前のソフトだけど、今あるそんじょそこらのお絵かきソフトより、全然良かった。本当に欲しくって、おねだりしまくってやっと買ってもらったのです。
電源いれた時の「マリオペイントッ♪」というサウンドロゴからマリオのキャラとかがスタンプになっててそれを音符がわりに作曲できたり
4枚絵をちょっとずつずらして描いてアニメーションに出来たり、私はあのソフトを
遊び尽くしたと思う。

で、最近の「アイト-イ」。私もこないだやってみました。多分技術的にもすごいんだろうし、身体を動かすとテレビの中の敵が倒せるのは、子供にとっておもしろいに違いない。私が子供の時に味わった感動を、彼らは感じるのかもしれない。でも、最初は良くっても飽きると思う。絶対に。
まず、基本的に「環境」が用意されすぎてると思う。手をうごかして画面の中の敵を倒すのは、おもしろい。でも、それはルールを与えられてるだけ。もうすこし自由度が高くって子供が「自分が創ってる」感を味わえないと(画面の中の街を好きに破壊したり作り直したりできるとか、空に絵が描けるとか)マリオペイントの創造性にはかなわないと思う。
マリオペイントは、子供に広い場所だけ与えて「ここに君たちの好きなものを創っていいよ!」という感じ。
アイト-イは、遊園地に子供を放り込んで「ここで好きなように遊んでいいよ!」という感じ。

最近のゲームとか、グラフィックとか技術面に目が行き過ぎててもっとシンプルな「何ができたら子供の目がキラキラするか」みたいのが
ちょっと足りない気がします。アイト-イは、いらないな。少なくとも今の段階では。
これからもうちょっとおもしろいものになっていくのかもしれない。マリオペイントは、今やっても絶対に楽しいと思う。

話は変わりますが昨日の夢は「リアル塊魂」でした。私がごろんごろん転がりながら、イスとか車とか人とか周りのものをどんどん巻き込んでぐちゃぐちゃのねろねろになりながら大きくなっていくのです。

台風一家!

o7hfxon0.JPG私のいる場所は23階。だから大地震の時はたぶん無理!って感じですがこんなはれた日はとても素敵です。曇ってると見えない海とその向こう、正面に六本木ヒルズ、左に東京タワー。こんな高いところで毎日生活してるなんて変な感じ。こんなにたくさんビルがあってその中に人がいっぱいいると思うとおかしな気持ちになるものです。

世界を救うオタク

オタクの何が悪いのか。
何かについて語れる事が悪いことなはずはない。限りなく狭く、限りなく深く、踏み込んでゆく事で見えるものがある。(見えなくなるものもある・・・)
対象がなんであってもいい。熱く語れる事が何もないなんて、つまらない。けどそれは孤独になっていくことでもある。バカの壁的に言えばオタクはy=axの係数が異様に高い人の事で、自分の係数を高くしていっても周りとの壁は高くなるばかり。うさぎの皮膚の表面から自分だけ毛のてっぺんに上ったら、そこには誰もいないんだ。(ソフィーの世界)
多分オタクのよくないところはそこからなんだな。何かにはまっている事が悪いわけではなくて、コミュニケーション能力の問題。理解してもらえない→理解できるわけない と思ってしまうのは、きっと駄目。タコツボ化の一途をたどるから。かといって自分にだけ見えてるものを人に強要するのはもっとマイナス。
なんかすごくあたりまえのような事を書いたな。とにかくコミュニケーション能力の高いオタクを目指す事にする。
デナリカレンダー2018
Denali's Calendar 2018
「Days, Nights, Ages」
ご注文受付開始!

詳細はこちらでごらんください。
スピリチュアルかあさん
日本の神託カード
「日本の神様カード」第2弾、
「日本の神託カード」発売中!

ご興味ある方はこちら
記事検索
月別アーカイブ
コメント
livedoor プロフィール
  • ライブドアブログ