Denali's Room 一語一絵

旅と猫とあんことスイカを愛する絵描き、デナリこと大野舞が日々をつづっています。

7si98vng.JPGダブリンで一番好きだったのは、町並みの中でも、ドア。ダブリンでは景観のために家を建てる時の規則が厳しくて、決まった色の建物しか作れない。ただドアだけが「何色に塗ってもいい」って事になってて、だから建物はレンガだったり石だったり無彩色で統一された町並みの中、ドアだけが鮮やかな赤だったり、黄色だったり、紫だったりする。ルールがあるからこそ、自由な部分が生き生きして見える。ドアを通して人が一生懸命「我が家」を表現しようとしている感じがして、私は大好きなのでした。帰る前にはドアの写真ばっかりいっぱい撮ったっけ。この赤い扉は、学校からのバスの帰り道で見えたもの。思わず、バスを降りて撮ったのです。

lunoujd0.JPG風邪をひきました。
ここんとこ寒かったり暑かったりよく分からない。咳がひどくなると、肺炎の恐怖がカムバック。とりあえず熱でぼーっとしています。その上帰るときに傘がなくってびしょぬれ。
それでも描いた今日のらくがき。いつもどうしても、かきやすい女の子を描いてしまうので(あと、身体の曲線が好きだから)たまにはおじいさんや無機物とか、ちょっと今までにないものも描こう。でも間違えて左利きになってしまった。
最近月がキレイなことが多くて、一人月見。

qfpp4k8w.JPG日曜夜の友人&後輩の誕生日会、楽しく過ごしてさあ寝よう、と横になったとき。午前1時くらい、窓の外からいきなり絶叫。「助けて!!」女性の声。続けて何度も。「助けて!助けて!助けてぇ!!!」
こう書くと伝わらないかもしれないけれど、闇をつんざく悲鳴とはまさにこのこと。大音量でマンション全体に響く響く。本当に今にも殺されそうな声で。私は飛び起きた。変な汗が身体中からどーっと出る。こんな感じ、何回か味わったことがある。胃がよじれるみたいな嫌な感覚。それまでの日常がサラサラと崩れて、当たり前みたいに「非日常」がやってくる瞬間。それは地震の最初の「グラッ」という揺れがくる瞬間とちょっと似ている。

結局は単なる男女の喧嘩で女性がヒステリックになっていただけという事がわかったんだけど、変な汗はその後も止まらない。悲鳴が今も耳から離れない。
声を聞いた時、外にすぐ出て行けなかった。危険かもしれない、ナイフを持っている変質者がいるかもしれない、と考えたら足がすくんで。それだけすごい声だった。様子を見に行った友人を行かせたくない、と思ってしまった自分。助けて、と悲痛に叫んでいる女性の事より、自分や自分のまわりの人の事を考えてしまった事実にとても落ち込んだ。けれど誰かがいなくなってしまうのはもういやだ。かっこ悪くてもいい。そう思ってしまう事は自分勝手だとも思う。自分さえ良ければいいなんて人間になりたくない。けれど私は、目の前で誰かが助けを求めていたら本当に危険を考えずに動けるんだろうか。本当に、そこで一歩を踏み出せるだろうか。いつも考える。いつかやってくるかもしれないその「瞬間」のこと、まだ私には無理なのかもしれない。ハードルはまだ、高い。

だけど、きっと踏み出せると信じたい。

6月の雨のにおいは特別なにおい。

flpd9h65.JPG塊魂、本当に楽しいです。なんか、本能に訴えかけてくるものがあります。解明されていない遺伝子の中に「ころがしたい。そして大きくしたい」という欲求があるのかも。雪だるまも同じ。

今日は久しぶりに芝居の稽古の現場に一日中いました。劇団印象-indian elephant- の第2回公演「嘘月」もいよいよ公演まで一ヶ月を切りました。今回私は役者としてではなく、フライヤーのデザインとHPの絵、そしてなぜか衣装として関わっています。
でもやっぱり役者の皆様が稽古している姿をずっと見ていたらうずうずしてきてたまらなくなりました。1つの表現を、大勢で行うという事。全く違う個性やキャラクターを上手く撚り合わせて1本の太い綱にするために編んでいく行為。自分じゃないものになって、自分じゃない人生を語る事。衝突しながら、苦しみながら、それでもちょっとした何かをきっかけにハッとするくらい誰かが突き抜けた演技を見せること。
わくわくする。楽しかった。私は今、役者として参加は出来ないけれど、自分に出来る事をやって、これからも「舞台」というものの端っこにつかまっていたいと思う。

011yptkk.JPGりんごのなかにはまちがある。
りんごの穴から宇宙をのぞく。

恒例になった「今日のらくがき」、見てくれている人から写メールだと見にくい
とのコメント。そう、これただの写メール。本当はきちんとスキャンすればよい
のだけど、毎日描いているとついつい。
そこで。私の絵を好きだと言ってくれる人がいるのはとても幸せなので、もし、これから載せる絵を好きだと言ってくれたり、ちゃんと見たいというコメントORメールをくれた人がいたら、そうしたらその絵はスキャンして、GREEにアップするか、その人に送ろうかな、なんて事を思いつきました。これってもしや自分で自分の首を絞めてるかしら・・でもいいや。とりあえずやってみます。

4hjiygj7.JPG私が東京で惹かれるもののひとつ、ビルの上のクレーン。高いところからみると、いろんな工事中のビルの上に赤と白のクレーンが乗っていて、高い位置にあるちょっとした森みたいに、たくさん見える。

最初は地面にあるクレーン。
仕事をすればするほど、どんどん高くのぼって気づけばまわりには何もいない。
頑張れば頑張るほど孤独になっていくなんて、なんて悲しいんだろう。その悲しさが、とてもいとしい感じ。クレーンの足元に、未来が出来ていくのです。
見ていると、そういうひとりぼっちになったクレーンたちがお互い会話をしているように見える。
「どうですか、そちらさんは」
「ぼちぼち完成ですかねえ。今日はいい天気だなあ」

n68ujv17.JPGはっけん       ふくろうげんぞう


よるになると
あたまも めのたまも ひかってきて
いろんなことを はっけんする

ゆうべは
「うちゅうのふところは でかい
 わしのふところも でかい」

ということを はっけんした
しんはっけんであった



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私にはだいすきな詩集があることを思い出しました。工藤直子さんの「のはらうた」全部で5冊くらい出ています。小学生のときに、何百回か分からないくらい読んだな。うさぎふたご、すみれほのか、けやきだいさく、へびいちのすけ、かまきりりゅうじ、みのむしせつこ……のはらの生き物たちが、書いている詩集なのです。この間ふくろうの絵をのせたので、その中から「ふくろうげんぞう」さんの歌を紹介。なんて幸せな気持ちになれるのでしょ。

pfi763yk.JPG2ヶ月ほど前から、フォスターピアレントというものになりました。つまり養父。私のフォスターチャイルドは南アフリカ、ケニアの大きな湖の近くに住んでいるピーター君、現在11歳。写真を送ってもらったのだけど、笑顔がとても素敵な男の子で、家族は9人の大家族。ピーターが18歳になるまで、私は彼を経済的に援助していくのです。
きっかけはごく単純なもの。私にとっては飲み会に行くような金額で、世界のどっかの誰かの為に何かが出来るっていいな、って思ったくらいでした。考えが変わったのは手紙が届いたとき。「将来の夢はお医者さん」って書いてあるのを見たとき。それまでリアリティのない国だったケニアが急に私につながって、そこで生きて生活しているピーターの姿がハッキリと浮かんで、すごく意味のある事だと思えた。彼が夢をかなえるのを、日本から見守っていきたいのです。それは、単なる自己満足なのかな。
でもそんなのどうでもいい、とも思う。物理的に、ピーターが勉強できたり、病気を治したり出来る事の方が大切。誰かの為を思う事で自分も満足できるなら、それには何の問題もないはず。少なくとも、私が働いて毎月もらっているお金には意味が生まれる。私も日本の写真や家族の写真を送ろうと思います。彼はそれを見て何を考えるのかな。希望すれば、会いにだっていけるのです。多分地球の上で、普通に生きてたら繋がらなかった全然違う点と点が繋がった感じ。写真の笑顔が素敵だったので、思わず紹介しようとしたけれど、本人の了解をとってないのでケニアの写真にしました。行ってみたいなあ!

0hh81u9a.JPGを、見に行きました。映画を前に見ていて、それはとても好きだったので前から楽しみにしていた。結論は、とてもよかったです。芝居を見に行ったというより、本当にHEDWIGのコンサートに行った、という印象。観客が立って踊っているという普通の芝居じゃ考えられない状況。三上博史の大迫力の演技、ほっそい足、引き締まった腰、淫靡でエネルギッシュ。見て思ったのは、私は映画を最初に見てしまったから「映画作品の舞台化」という視点でどうしても見てしまったけれど、もともとはオフブロードウェイの作品で、これはやっぱり「舞台」のための物語だったんだな、という事でした。
映画には、映画にしか出来ない表現方法がある。アニメーションに切り替えたり、カラオケになっていたり、場所を変えるのも、過去に遡るのも、自由。けれど、HEDWIGのあの「笑ってでもいないと泣いちゃうじゃないの」というほどの人生、それを観客に伝えられるのは舞台。2時間ひたすら彼女の語りと回想と歌のみ。場面も変わらない。登場人物もバンドメンバーのみ。でも、何より響いてくる。歌、いいなあ。中でも「愛の起源」が好きです。人はみんな自分のカタワレを探しているのです。

0fljj6lb.JPGこだま和文さんという方の素敵なふくろうを見たら久しぶりに描きたくなって、それで描いたふくろう。小学生の時から私はふくろうが大好きでよく描いていました。特に哲学者みたいな、あの目が好き。360度見渡して、何を考えているのやら。メキシコで洞窟を観光していたら、いきなり真っ白なふくろうがいてじーっと見つめられたのが今でも忘れられなくてそれ以来私のふくろうのモデルはいつもその白いふくろうになったのです。

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