Denali's Room 一語一絵

旅と猫とあんことスイカを愛する絵描き、デナリこと大野舞が日々をつづっています。

rq8ugax8.JPG私もコンペになぞ出してみよう、と一念発起して出したら、入選したとの連絡をもらいました。サッポロライオン主催、講談社FS協賛の「ライオンイラストコンテスト」。ひだりの絵です。大賞とかではないし、入賞ではなくあくまで入選なのだけど、それでも毎年やっている知名度はわりとあるコンペで、応募人数も8000人とかいるみたいだからその中の100人というのはやっぱり嬉しい。
講談社の人に、「これ、画材は何を使ってるんですか?」とわざわざ電話で聞かれたということはやっぱり最近の私の墨+水彩マーカーというのはあまり一般的じゃないとみた。賞は前にビナウォークの「アートベンチ」でももらったけどあれはベンチのデザインで厳密には絵ではないから、私が仕事で描く絵以外で何か認められたのは初めてです。私にとっては身近な人たちが好き、と言ってくれる事のほうがもっとずっと嬉しいけれど、それが何かしらのわかりやすい形になる事は、動力源にはなる。頑張ろうというエネルギーになります。普段はなかなか
大きなものは描けないし、心が気弱になっていたので良い活性剤になった。入選なんて中途半端だから、次は目指すだけなら誰でも出来る、大賞を目指そう!でもイラストのコンペって、審査も難しいんだろうな。「新しい機能」があるわけじゃないし「これまでにない便利さ」があるわけじゃないし、本当に「好きかどうか」っていうすごく主観的なものだから。
私の絵を好きといってくれる人たちに、本当に本当にいつも支えられているのです。今回もきっとそれがなかったらそもそも出さなかったと思う。ありがとうございます。

fika2mqx.JPGまた描いたふたご。本当はもっと大きいのです。あとは久しぶりに色えんぴつも使ってみた。カリカリカリカリ。
そしていまさら私が舞台に立つ事になろうとは・・・ちょっと怖いけどやっぱりワクワクです。そして、嬉しいです。

0166jtq3.JPG今日は朝からパスタの熱湯を足にかぶったり変な日だったけれど、スペイン坂のフレッシュネスバーガーでさらに変な光景を発見。おじさんの膝の上には猫!そしてこの写真ではわからないけれど猫は本を読んでるのです。。。道路に面した屋外にわざわざ座っていたり、猫がいることによって本は読めてないし、もしやこれは新しいパフォーマンスなのか。そんな事を考えながらその猫の愛らしさにすいよせられ、群がる女子高生にまじって私も写真をぱちり。

om0kg0ey.JPG会社の先輩にとてもハッピーな事があったのでうれしくなって描いた絵。嬉しさが現れて、普段使わないような鮮やかな色を使っております。喜んでもらえたらいいな。なんだか、昔に絵をあげたひとに久しぶりに会った時にまだ絵、持ってるよ、と言われたりするとうれしい。私なんかのらくがきが何かのカケラになれているような気がするからです。

r0h1ubtr.JPGそこに自由が見えていながら、薄い壁に隔てられて出て行く事が出来ない気持ちはどんなだろう。
求めているものは全てあるのに自分には手の届かないものだとしたら。
びんの中にどんどん涙がたまって
きっとそこにもう1つ海ができる。

アレが出ました。結構久しぶりに。
キレイにしているのになぜ・・・・
この家で一人暮らしを始めて、一番最初にアレに遭遇した時は混乱のあまりなぜか後輩に「あのさ、出たんだけど」と電話をし、どうにもならないとわかっていながら騒いでみた。とにかく泣きそうでした。アレがいるだけで、家全体がお化け屋敷と化すのです。アレをみつけた瞬間、心地よい場所はどこにもなくなってしまうのです。
でも今日の私は違った!「あ、いる」と思った瞬間そろそろと後ろに後ずさり、後ろ手にスプレーを握る。そしてゆっくり近づいて、あれが息絶えるまで攻撃。見えなくなったら様子を伺って、また攻撃。倒すまでの時間、30分。そのせいであいのりを見逃したけれど、良いのです。私は成長しました。自分にエールを送りたい祝

でも戦いに消耗して、今日はらくがき描けず。まさかアレを描くわけにもいかず。

8x7vw3u7.JPG『しまいのはなしになったから、今日はおしまい』(「嘘月」より)

私にはふたごの知り合いが多いほう。5組。似ていたり似てなかったりするけれど、やっぱり一緒にうまれた、というのは特別なんだろうな。小さい時にはあこがれてました。でもこれはどちらかというと双子というより「半神」(萩尾望都)かも。

高校の時の友達と1年ぶりくらいに会いました。ものすごく久しぶりなのに、ものすごく自然で、まるで当たり前みたいにすぐにいろんな話が出来る。そういう存在って大事。多分10年会えなかったとしても、会えばすぐに元通り。

ups90fmn.JPG「自己満足」について考えてみました。あらゆる表現につきまとう言葉。自己満足の最大のポイントは多分他の人はどうあれ、「自分は満足できてしまう」ところ。「だって私満足だもん」という言い訳が出来る。人生の主体である自分が満足できる事は確かに基本だと思う。けれど受け手がいないと成り立たないし、ありとあらゆる背景を持つ人が見るのが表現だから、それを考えてないものは押し付けがましいだけ。と、思っていました。自己満足=ネガティブという図式。
ただ、よく考えたら、「自分は満足である」と公にするのはとても勇気のいること。満足という事はそれ以上を求めていないということで、全力でやったという事で、「これが、自分という人間が満足するポイントなんです」と宣言することは勇気がいる。それが他の人にとっては「こんなもんなのか」と思われてしまうかもしれないから。自己満足レベルを他人に対して堂々と見せられるというのは等身大の内面をさらけ出す事だから、逆にすごい。「キルビル」を見てそう思いました。監督の自己満足のとことん具合が小気味良いほど伝わってくるから、おもしろい。極められた自己満足。それはきっとイコールその人が見てる世界。それが、今私が見たいものだな。「誰がなんと言おうとこれが自分に見えてる世界だ!」という傲慢ともいえる表現。ピンポンダッシュされたみたいな気持ちになれればいい。言い訳はしてほしくない。そんな世界に生きてることを、そんな視点で世界を見られる事を、うらやましい、と思わせて欲しい。結局は作り手が満足してるものじゃないと、受け手には伝わらないのです。と、ありがちな結論に終わりました。

q9y0qjhc.JPGプレゼントはとてもうれしい。しかもそれがこんなちょっと変わったマンドラゴラみたいな鉢植えならなおさらうれしい。

wy4mg83t.JPG何故か今さら買ってしまいました。Mother1+2のサントラ。初めてマザー1をしたときから音楽がずーっと好きだったんだけど、聴くとなんだかなつかしい、あったかい気持ちになるのは私だけではないはず。ゲーム好きだからとかそういう事ではなく、はっきりこれは良い音楽である、と断言したいところ。そしてなんだか一人で聴きたくなる。昼寝をしながら。車を運転しながら。絵を描きながら。ごはんを作りながら。誰かとわいわいでも良いけれど、自分の中にふかくふかく入り込んでいけるようなメロディ、自分の中にもとからあったメロディを探していく旅の物語だから、一人で聴くといろいろな事を思い出せる気がするのです。

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