Denali's Room 一語一絵

旅と猫とあんことスイカを愛する絵描き、デナリこと大野舞が日々をつづっています。

om0kg0ey.JPG会社の先輩にとてもハッピーな事があったのでうれしくなって描いた絵。嬉しさが現れて、普段使わないような鮮やかな色を使っております。喜んでもらえたらいいな。なんだか、昔に絵をあげたひとに久しぶりに会った時にまだ絵、持ってるよ、と言われたりするとうれしい。私なんかのらくがきが何かのカケラになれているような気がするからです。

r0h1ubtr.JPGそこに自由が見えていながら、薄い壁に隔てられて出て行く事が出来ない気持ちはどんなだろう。
求めているものは全てあるのに自分には手の届かないものだとしたら。
びんの中にどんどん涙がたまって
きっとそこにもう1つ海ができる。

アレが出ました。結構久しぶりに。
キレイにしているのになぜ・・・・
この家で一人暮らしを始めて、一番最初にアレに遭遇した時は混乱のあまりなぜか後輩に「あのさ、出たんだけど」と電話をし、どうにもならないとわかっていながら騒いでみた。とにかく泣きそうでした。アレがいるだけで、家全体がお化け屋敷と化すのです。アレをみつけた瞬間、心地よい場所はどこにもなくなってしまうのです。
でも今日の私は違った!「あ、いる」と思った瞬間そろそろと後ろに後ずさり、後ろ手にスプレーを握る。そしてゆっくり近づいて、あれが息絶えるまで攻撃。見えなくなったら様子を伺って、また攻撃。倒すまでの時間、30分。そのせいであいのりを見逃したけれど、良いのです。私は成長しました。自分にエールを送りたい祝

でも戦いに消耗して、今日はらくがき描けず。まさかアレを描くわけにもいかず。

8x7vw3u7.JPG『しまいのはなしになったから、今日はおしまい』(「嘘月」より)

私にはふたごの知り合いが多いほう。5組。似ていたり似てなかったりするけれど、やっぱり一緒にうまれた、というのは特別なんだろうな。小さい時にはあこがれてました。でもこれはどちらかというと双子というより「半神」(萩尾望都)かも。

高校の時の友達と1年ぶりくらいに会いました。ものすごく久しぶりなのに、ものすごく自然で、まるで当たり前みたいにすぐにいろんな話が出来る。そういう存在って大事。多分10年会えなかったとしても、会えばすぐに元通り。

ups90fmn.JPG「自己満足」について考えてみました。あらゆる表現につきまとう言葉。自己満足の最大のポイントは多分他の人はどうあれ、「自分は満足できてしまう」ところ。「だって私満足だもん」という言い訳が出来る。人生の主体である自分が満足できる事は確かに基本だと思う。けれど受け手がいないと成り立たないし、ありとあらゆる背景を持つ人が見るのが表現だから、それを考えてないものは押し付けがましいだけ。と、思っていました。自己満足=ネガティブという図式。
ただ、よく考えたら、「自分は満足である」と公にするのはとても勇気のいること。満足という事はそれ以上を求めていないということで、全力でやったという事で、「これが、自分という人間が満足するポイントなんです」と宣言することは勇気がいる。それが他の人にとっては「こんなもんなのか」と思われてしまうかもしれないから。自己満足レベルを他人に対して堂々と見せられるというのは等身大の内面をさらけ出す事だから、逆にすごい。「キルビル」を見てそう思いました。監督の自己満足のとことん具合が小気味良いほど伝わってくるから、おもしろい。極められた自己満足。それはきっとイコールその人が見てる世界。それが、今私が見たいものだな。「誰がなんと言おうとこれが自分に見えてる世界だ!」という傲慢ともいえる表現。ピンポンダッシュされたみたいな気持ちになれればいい。言い訳はしてほしくない。そんな世界に生きてることを、そんな視点で世界を見られる事を、うらやましい、と思わせて欲しい。結局は作り手が満足してるものじゃないと、受け手には伝わらないのです。と、ありがちな結論に終わりました。

q9y0qjhc.JPGプレゼントはとてもうれしい。しかもそれがこんなちょっと変わったマンドラゴラみたいな鉢植えならなおさらうれしい。

wy4mg83t.JPG何故か今さら買ってしまいました。Mother1+2のサントラ。初めてマザー1をしたときから音楽がずーっと好きだったんだけど、聴くとなんだかなつかしい、あったかい気持ちになるのは私だけではないはず。ゲーム好きだからとかそういう事ではなく、はっきりこれは良い音楽である、と断言したいところ。そしてなんだか一人で聴きたくなる。昼寝をしながら。車を運転しながら。絵を描きながら。ごはんを作りながら。誰かとわいわいでも良いけれど、自分の中にふかくふかく入り込んでいけるようなメロディ、自分の中にもとからあったメロディを探していく旅の物語だから、一人で聴くといろいろな事を思い出せる気がするのです。

7si98vng.JPGダブリンで一番好きだったのは、町並みの中でも、ドア。ダブリンでは景観のために家を建てる時の規則が厳しくて、決まった色の建物しか作れない。ただドアだけが「何色に塗ってもいい」って事になってて、だから建物はレンガだったり石だったり無彩色で統一された町並みの中、ドアだけが鮮やかな赤だったり、黄色だったり、紫だったりする。ルールがあるからこそ、自由な部分が生き生きして見える。ドアを通して人が一生懸命「我が家」を表現しようとしている感じがして、私は大好きなのでした。帰る前にはドアの写真ばっかりいっぱい撮ったっけ。この赤い扉は、学校からのバスの帰り道で見えたもの。思わず、バスを降りて撮ったのです。

lunoujd0.JPG風邪をひきました。
ここんとこ寒かったり暑かったりよく分からない。咳がひどくなると、肺炎の恐怖がカムバック。とりあえず熱でぼーっとしています。その上帰るときに傘がなくってびしょぬれ。
それでも描いた今日のらくがき。いつもどうしても、かきやすい女の子を描いてしまうので(あと、身体の曲線が好きだから)たまにはおじいさんや無機物とか、ちょっと今までにないものも描こう。でも間違えて左利きになってしまった。
最近月がキレイなことが多くて、一人月見。

qfpp4k8w.JPG日曜夜の友人&後輩の誕生日会、楽しく過ごしてさあ寝よう、と横になったとき。午前1時くらい、窓の外からいきなり絶叫。「助けて!!」女性の声。続けて何度も。「助けて!助けて!助けてぇ!!!」
こう書くと伝わらないかもしれないけれど、闇をつんざく悲鳴とはまさにこのこと。大音量でマンション全体に響く響く。本当に今にも殺されそうな声で。私は飛び起きた。変な汗が身体中からどーっと出る。こんな感じ、何回か味わったことがある。胃がよじれるみたいな嫌な感覚。それまでの日常がサラサラと崩れて、当たり前みたいに「非日常」がやってくる瞬間。それは地震の最初の「グラッ」という揺れがくる瞬間とちょっと似ている。

結局は単なる男女の喧嘩で女性がヒステリックになっていただけという事がわかったんだけど、変な汗はその後も止まらない。悲鳴が今も耳から離れない。
声を聞いた時、外にすぐ出て行けなかった。危険かもしれない、ナイフを持っている変質者がいるかもしれない、と考えたら足がすくんで。それだけすごい声だった。様子を見に行った友人を行かせたくない、と思ってしまった自分。助けて、と悲痛に叫んでいる女性の事より、自分や自分のまわりの人の事を考えてしまった事実にとても落ち込んだ。けれど誰かがいなくなってしまうのはもういやだ。かっこ悪くてもいい。そう思ってしまう事は自分勝手だとも思う。自分さえ良ければいいなんて人間になりたくない。けれど私は、目の前で誰かが助けを求めていたら本当に危険を考えずに動けるんだろうか。本当に、そこで一歩を踏み出せるだろうか。いつも考える。いつかやってくるかもしれないその「瞬間」のこと、まだ私には無理なのかもしれない。ハードルはまだ、高い。

だけど、きっと踏み出せると信じたい。

6月の雨のにおいは特別なにおい。

↑このページのトップヘ