Denali's Room 一語一絵

旅と猫とあんことスイカを愛する絵描き、デナリこと大野舞が日々をつづっています。

n5gyuiat.JPGピカソのことば「昨日の自分の模倣をしてはいけない」

この言葉は、はじめて聞いてから常に私の心の中にあったけれど、実践するのは難しい。ひとは、うまくいった過去、ほめられた自分にしがみつくし、安全なことをしたがるから。それなりにうまくいくと分かっていて、まわりの言葉も想像できることばかりをくりかえす。
でも、それじゃダメなんだ。
だから、私はいつもこの言葉を思い出す。

fg95bybb.JPGエレファントバニッシュ千秋楽を、見ました。場所は地元三軒茶屋のシアタートラム、もう1年以上住んでいるのに初めて行った劇場。
そしてそのあまりの精度・完成度・演出の細やかさ、おしゃれさに、衝撃。「芝居」という枠の中でみたらこれまで見たものの中で一番好きだったかったかもしれない。村上春樹が好きなせいもあるけれど、彼の自意識が限りなく拡大した世界観をどのように舞台にするのかと思っていたら、小説的世界観と演劇ならではの手法が見事に調和してました。ひとつひとつの動きや演出が本当に磨きぬかれていて。
自分の意識とその延長線にのみ存在する他人、独白と、自意識を体現する役割を持った他者。世界の中での自分の存在に対する違和感と、自分と世界をかろうじてつなげている何か。それは、ゾウだったり、マクドナルドだったり、眠りだったりする。
すごかったな。千秋楽に見られてよかった。当日券、並んだだけはあった。

htgw00x5.JPG「そうしたら、ぼくといっしょにいろんな夢がみられるからさ」

yiaftbgg.JPGワニはいいました
「ぼくの口のなかにはいっておいでよ」

one8he1b.JPGたなばたが近いので和な感じ。
色をあまり使わないように頑張った。
ほんとはもっとキレイな黒なのだけど、例によって色味が出てません。

こうやって絵をのせはじめてから随分時間がたって、気づけば「今日のらくがき」が随分たまってる。これ、どうしたらいいのでしょう。どうしたらいいと思いますか。
私のよくないところは出したいものを出してしまったらもう満足して、ちゃんと管理しないところ。作品の扱いが杜撰なので、怒られてしまいます。

akmm761i.JPG石で顔をつくったり はっぱに絵を描いたり 決められたかたちのなかで自由に遊ぶのがだいすき。むかし、石ころを山ほど拾ってきてぜんぶネコにしました。

84b2rewy.JPGこの絵は、私が描いたものではなく、ピーターが送ってきてくれたもの。ピーターというのは前にも書いたけれど、ケニアにいる私のフォスター・チャイルドです。

とても嬉しかった。これが、ピーターの住んでいる家なんだ。窓がいっぱいあって、家の周りには木がいっぱい生えてるんだ。青が好きなのかな?毎日どんなことを考えて、過ごしているのかな。絵を描くのが好きと言っていたから、2人で絵描きさんを目指してみるのもいいかもしれない。

多分彼にとっては想像もつかない、遠い日本に住んでいる私のために描いてくれたはじめての絵。自分の住んでいる家のらくがき。ありがとう。私も紙を描いたら、絵をいれよう。ケニアと日本でらくがきの交換。

9tljnc6p.JPG楽しい事が終わったあとはいつも寂しくなるけれど、楽しい事は終わるからこそ、次の楽しい事のことが考えられます。
楽しい事が毎日続いたら、それはきっと楽しい事ではなくなるから。

それと一緒。泣いてる顔や怒った顔があるからこそ、最高の笑顔があるのです。

f8aqtt4l.JPG雨の香りが好きで。

あの濃い空気が好きで。

雨粒が、傘にはじけるパラパラという音が大好きで。

目をとじれば、それは拍手の音だから。
満員御礼、スタンディングオベーションのカーテンコールの音だから。その音が鳴っている間だけは、舞台でゆっくりと、さみしいピエロみたいにお辞儀をしている自分を思い浮かべられるから。

af4p8xpv.JPG私にとっての悲しみとは傷ではなく、入れ墨だと思いました。傷がついたばかりの時、入れ墨をいれたばかりの時、その痕は同じように生々しくて 心が震えて涙なんて出ないほど痛む。違うのは、傷はやがてかさぶたになって消えていくけれど入れ墨はかさぶたが剥がれたあと、皮膚の下に鮮やかな色彩の刻印が残るということ。

もう、触っても張裂けるような痛みはないかもしれない。毎日眺めることはないかもしれない。
ちょっとずつ、その形について語れるようになったかもしれない。
年をとって皮膚がたるんだら、輪郭はぼやけるかもしれない。
でも、絶対に消えない。
消えるどころか、年々私の皮膚と同化していく。一度入れ墨になった記憶は、もう必要な自分そのもの、自分の一部。私はその入れ墨を通して思考するし、世界を眺めるし、友達と話したり、絵を描いたりする。
なかった時の自分にはもう戻れないし、なくなったら、それはもう私ではない。
例えば6月の終わりには、その形を確認するだろう。それを繰り返して、ずっと生きていくだろうと思う。
痛みなんてそもそもないほうがいい、と言われたらその通りだ。けれど入れ墨を身体にもっていることは、忘れてしまう傷よりもきっと大きな意味を持つに違いない。

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