Denali's Room 一語一絵

旅と猫とあんことスイカを愛する絵描き、デナリこと大野舞が日々をつづっています。

2004年05月

x4p6fykd.JPGピアノのため、久々に実家にもどってきました。そして愛娘デナリに再会。ひさしぶりに会ったというのに、この写真の直後いきなり私をひっかいて窓の外に飛び出していきました。

pmhnwffy.JPGちなみに同じ場所からとった夜の写真です。高いとこキライだけどこの景色だけはほんとにキレイです。

fdswkpjv.JPG小学生の時、マリオペイントというソフトに
私は感動しました。テレビに、絵が描けるのです。それまで私にとってキャンパスは画用紙だけでテレビは「向こう側」の世界のものでした。そのテレビに自分が直接絵がかけて、色が塗れて、動かせて、作曲もできる。あれは本当に、本当に今考えても優れたソフトだったと思います。もう10年以上前のソフトだけど、今あるそんじょそこらのお絵かきソフトより、全然良かった。本当に欲しくって、おねだりしまくってやっと買ってもらったのです。
電源いれた時の「マリオペイントッ♪」というサウンドロゴからマリオのキャラとかがスタンプになっててそれを音符がわりに作曲できたり
4枚絵をちょっとずつずらして描いてアニメーションに出来たり、私はあのソフトを
遊び尽くしたと思う。

で、最近の「アイト-イ」。私もこないだやってみました。多分技術的にもすごいんだろうし、身体を動かすとテレビの中の敵が倒せるのは、子供にとっておもしろいに違いない。私が子供の時に味わった感動を、彼らは感じるのかもしれない。でも、最初は良くっても飽きると思う。絶対に。
まず、基本的に「環境」が用意されすぎてると思う。手をうごかして画面の中の敵を倒すのは、おもしろい。でも、それはルールを与えられてるだけ。もうすこし自由度が高くって子供が「自分が創ってる」感を味わえないと(画面の中の街を好きに破壊したり作り直したりできるとか、空に絵が描けるとか)マリオペイントの創造性にはかなわないと思う。
マリオペイントは、子供に広い場所だけ与えて「ここに君たちの好きなものを創っていいよ!」という感じ。
アイト-イは、遊園地に子供を放り込んで「ここで好きなように遊んでいいよ!」という感じ。

最近のゲームとか、グラフィックとか技術面に目が行き過ぎててもっとシンプルな「何ができたら子供の目がキラキラするか」みたいのが
ちょっと足りない気がします。アイト-イは、いらないな。少なくとも今の段階では。
これからもうちょっとおもしろいものになっていくのかもしれない。マリオペイントは、今やっても絶対に楽しいと思う。

話は変わりますが昨日の夢は「リアル塊魂」でした。私がごろんごろん転がりながら、イスとか車とか人とか周りのものをどんどん巻き込んでぐちゃぐちゃのねろねろになりながら大きくなっていくのです。

o7hfxon0.JPG私のいる場所は23階。だから大地震の時はたぶん無理!って感じですがこんなはれた日はとても素敵です。曇ってると見えない海とその向こう、正面に六本木ヒルズ、左に東京タワー。こんな高いところで毎日生活してるなんて変な感じ。こんなにたくさんビルがあってその中に人がいっぱいいると思うとおかしな気持ちになるものです。

オタクの何が悪いのか。
何かについて語れる事が悪いことなはずはない。限りなく狭く、限りなく深く、踏み込んでゆく事で見えるものがある。(見えなくなるものもある・・・)
対象がなんであってもいい。熱く語れる事が何もないなんて、つまらない。けどそれは孤独になっていくことでもある。バカの壁的に言えばオタクはy=axの係数が異様に高い人の事で、自分の係数を高くしていっても周りとの壁は高くなるばかり。うさぎの皮膚の表面から自分だけ毛のてっぺんに上ったら、そこには誰もいないんだ。(ソフィーの世界)
多分オタクのよくないところはそこからなんだな。何かにはまっている事が悪いわけではなくて、コミュニケーション能力の問題。理解してもらえない→理解できるわけない と思ってしまうのは、きっと駄目。タコツボ化の一途をたどるから。かといって自分にだけ見えてるものを人に強要するのはもっとマイナス。
なんかすごくあたりまえのような事を書いたな。とにかくコミュニケーション能力の高いオタクを目指す事にする。

95grss91.JPG今日ふたつめのらくがき。描いていると没頭できてらくちん。

nupmb24b.JPGを見ながら描いたらくがき。

k4gm0ycv.JPG今日は情緒不安定気味。あまりはかどらない。


こういう吐き出し系の書き込み、掲示板の時には普通にかけたのに、ブログの今は「後で消すかな・・」とか冷静に考えてしまうのが、掲示板とブログの違い。

アーカイブ化されてしまう事を考えると、文章の推敲をしなくては、とつい考えてしまう。誰だか分からないけれど、40人とか50人の人が毎日見てくれていることを考えると吐き出し系の書き込みって気がひける。それが「人に見せて、蓄積する」事を最大の特徴にしているブログの良いところでもあり、ちょっと使いにくいところでもあるんだろな。

今日は、駄目。言いたい事が言えないし、言ってはいけないから。

t1jr3emy.JPGゲーマーだと思われているけれど私がするゲームはRPGがほとんど。
アクションとか、パズルとかはやらない。本も山ほど読むけれど、小説が多い。

考えてみると、私は「作られた世界」や「物語」が好きなんだな、と思う。
特に、完全に、100%、誰かの頭の中で構築されている世界。
だってそれっておもしろいじゃない?
なんの必要があってその人はどこにも存在しないその世界を考え出したのか。
何を思って、そこに生きる生き物や、言葉や、単位や、歴史や、食べ物を作ったのか。
それってどっから出てきたの?
それってもしかしたら地球を作った人の考えにも通じるかもしれないと思うと。

ノンフィクション小説も、ビジネス書やエッセイ、教養本みたいなのも読む。
現実ももちろん物語には違いないし、新しい切り口や視点をもたらしてはくれる
けれど、それはわりと実際的な人生に対する栄養。恋愛小説とかはこっちに入るかな。
そういうジャンルのものは「自分の中にどう消化するか」みたいな視点で読む。
そうじゃないものは、「そこに旅行に行く」みたいな視点で読む。

小さい時、おばあちゃんが寝る前に布団の中でしてくれた村の話。
ナウシカやラピュタの世界、グインサーガの世界、FFの世界、指輪物語の世界
、ミヒャエル・エンデの世界、イノセンスの世界、「パンドラの鐘」の中の古代の王国、
ヤマムラアニメーションの世界、あとはマグリットとか。
誰かの頭の中にしか存在していない世界と、そこに住む人たちと、その生活。
あまりにも完璧に作られた世界はそれ自体が勝手に動いていて、
語られる以外のその人たちの日常だって想像できる。

そんなわけで私は妄想から生まれた世界は
とてもよくその人の頭の中を語っていると思うのです。
その人がふと思いつかなかったら永久に存在しない、っていう
危ういバランスの上に成立してる。何がわからないって「他人の頭の中」ほど
分からないものはないから、他人の中に自分では決して思いつけないような
世界が生まれているのを見たいと思う。現実よりも。

大好きな本や絵本は何度も何度も、本当に何度も読む。映画も何度も観る。
どれだけ浸っても、その世界では単なる旅行者にしかなれないのが
悔しいんだけど。いつか自分自信が、そういう世界を作れたら、と思う。

bnynrot7.JPG今日、朝駅まで歩いていたら空気が濃くってまた夏の香りがした。それで、思った。
「視覚」はビデオや写真で記録に残せる。「聴覚」は録音すれば残せる。
でも「におい」はどうだろう。
その時の「におい」を瞬間的に永久冷凍保存できるような
ものって、ないんだろうか。前に何かで五感のうち、
人間が一番長く記憶に残せるのは嗅覚だって何かで読んだ。
それって、外部に残しておけないからそうなってるのかな。
私は「におい」に敏感なほうだと思う。
友達の家のにおい。
6歳までしか住んでなかった保土ヶ谷の家のにおい、
もうしんじゃったひいおばあちゃんの家のにおい、
アラスカのにおい、メキシコのにおい、タイのにおい、アイルランドのにおい。
アラスカは山と雪のにおいで、メキシコは蒸したさつまいものにおいで、
タイはもち米のにおいで、ダブリンはコーヒーとみずたまりのにおい。
それから、SFCのにおい。(覚えていたいかどうかはともかく)

たまに今、そういうかつてかいだことのあるにおいがどこからか
ただよってくると。「あ、あのときあの場所でかいだ」って思って、その時みたものや
一緒にいたひとや食べていたものを全部思い出す。
においはとても主観的なもので、全く同じにおいでもなんとも思わない人も、
涙が出る人もいる。
人間の感覚の中で、一番デジタル化が難しいものじゃないのかな。
においをデータベースにして、好きなにおいを写真のアルバムみたいにいつでもかげたら、って思うけど
それは嫌だな、と同時に思う。頭の中にしか残せないものこそ、ほんとうに覚えていようと努力するし、
装置になってしまったらつまらないかもしれない。におい=その人の記憶、だから。においを全部覚えておければ、日記をつける必要もないのかもしれない。におい日記。

でも、広告でもにおいがついていたりするし
結局はにおいの分子が鼻のねんまくについて感じているものだから、デジタルになってしまうのかな。
誰か教えて。

そうそう、昨日生まれて初めての体験をした。それは「舌がつる」という事。
うれしくもなんともない、むしろ恐怖。ジュースをストローでのもうとしたら、つった。
舌がいたい、って手足がつるのとは全然違う。口の中がねじまがっているかんじ。
一人で四苦八苦したけど、泣きそうだった。舌も筋肉なんだなあ。
多分、想像を絶する変な顔をしていたから、誰もいなくて良かったと思う。

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