Denali's Room 一語一絵

旅と猫とあんことスイカを愛する絵描き、デナリこと大野舞が日々をつづっています。

2004年06月

4hjiygj7.JPG私が東京で惹かれるもののひとつ、ビルの上のクレーン。高いところからみると、いろんな工事中のビルの上に赤と白のクレーンが乗っていて、高い位置にあるちょっとした森みたいに、たくさん見える。

最初は地面にあるクレーン。
仕事をすればするほど、どんどん高くのぼって気づけばまわりには何もいない。
頑張れば頑張るほど孤独になっていくなんて、なんて悲しいんだろう。その悲しさが、とてもいとしい感じ。クレーンの足元に、未来が出来ていくのです。
見ていると、そういうひとりぼっちになったクレーンたちがお互い会話をしているように見える。
「どうですか、そちらさんは」
「ぼちぼち完成ですかねえ。今日はいい天気だなあ」

n68ujv17.JPGはっけん       ふくろうげんぞう


よるになると
あたまも めのたまも ひかってきて
いろんなことを はっけんする

ゆうべは
「うちゅうのふところは でかい
 わしのふところも でかい」

ということを はっけんした
しんはっけんであった



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私にはだいすきな詩集があることを思い出しました。工藤直子さんの「のはらうた」全部で5冊くらい出ています。小学生のときに、何百回か分からないくらい読んだな。うさぎふたご、すみれほのか、けやきだいさく、へびいちのすけ、かまきりりゅうじ、みのむしせつこ……のはらの生き物たちが、書いている詩集なのです。この間ふくろうの絵をのせたので、その中から「ふくろうげんぞう」さんの歌を紹介。なんて幸せな気持ちになれるのでしょ。

pfi763yk.JPG2ヶ月ほど前から、フォスターピアレントというものになりました。つまり養父。私のフォスターチャイルドは南アフリカ、ケニアの大きな湖の近くに住んでいるピーター君、現在11歳。写真を送ってもらったのだけど、笑顔がとても素敵な男の子で、家族は9人の大家族。ピーターが18歳になるまで、私は彼を経済的に援助していくのです。
きっかけはごく単純なもの。私にとっては飲み会に行くような金額で、世界のどっかの誰かの為に何かが出来るっていいな、って思ったくらいでした。考えが変わったのは手紙が届いたとき。「将来の夢はお医者さん」って書いてあるのを見たとき。それまでリアリティのない国だったケニアが急に私につながって、そこで生きて生活しているピーターの姿がハッキリと浮かんで、すごく意味のある事だと思えた。彼が夢をかなえるのを、日本から見守っていきたいのです。それは、単なる自己満足なのかな。
でもそんなのどうでもいい、とも思う。物理的に、ピーターが勉強できたり、病気を治したり出来る事の方が大切。誰かの為を思う事で自分も満足できるなら、それには何の問題もないはず。少なくとも、私が働いて毎月もらっているお金には意味が生まれる。私も日本の写真や家族の写真を送ろうと思います。彼はそれを見て何を考えるのかな。希望すれば、会いにだっていけるのです。多分地球の上で、普通に生きてたら繋がらなかった全然違う点と点が繋がった感じ。写真の笑顔が素敵だったので、思わず紹介しようとしたけれど、本人の了解をとってないのでケニアの写真にしました。行ってみたいなあ!

0hh81u9a.JPGを、見に行きました。映画を前に見ていて、それはとても好きだったので前から楽しみにしていた。結論は、とてもよかったです。芝居を見に行ったというより、本当にHEDWIGのコンサートに行った、という印象。観客が立って踊っているという普通の芝居じゃ考えられない状況。三上博史の大迫力の演技、ほっそい足、引き締まった腰、淫靡でエネルギッシュ。見て思ったのは、私は映画を最初に見てしまったから「映画作品の舞台化」という視点でどうしても見てしまったけれど、もともとはオフブロードウェイの作品で、これはやっぱり「舞台」のための物語だったんだな、という事でした。
映画には、映画にしか出来ない表現方法がある。アニメーションに切り替えたり、カラオケになっていたり、場所を変えるのも、過去に遡るのも、自由。けれど、HEDWIGのあの「笑ってでもいないと泣いちゃうじゃないの」というほどの人生、それを観客に伝えられるのは舞台。2時間ひたすら彼女の語りと回想と歌のみ。場面も変わらない。登場人物もバンドメンバーのみ。でも、何より響いてくる。歌、いいなあ。中でも「愛の起源」が好きです。人はみんな自分のカタワレを探しているのです。

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