Denali's Room 一語一絵

旅と猫とあんことスイカを愛する絵描き、デナリこと大野舞が日々をつづっています。

2006年01月

ShowLetter_1.jpgまいにち、とてもさむい。帰ったばかりの部屋の中は まるで氷の洞窟のよう。

そのせいか、こんな夢をみました。私は、南極の氷の下、海と氷の境目のとこにぽっかりと出来ている洞窟の中にひとりで暮らしています。
そんな深いところまではペンギンもアザラシも遊びにきてくれなくて、ひんやりとつめたい部屋の中で 私はアツアツのおでんを用意して、誰かが来るのを待っています。でも。誰が来るはずもなくて、用意したおでんを一人で食べている。そのうちにだんだんと、息が苦しくなってくる。という夢。でも、南極の氷のそこからちょっと顔を出して水面を見上げることは とても気持ちがよかった。

こうもさむい日々が続くと、私はいつも野良猫のことを考える。こたつで丸くなれない猫たちは いったい今どこでどうやって過ごしているのか。最近家の周りでもあまり見かけないけれど。

願わくば、どこかに(そう、たとえば南極の氷の下にでも) そんな野良猫たちが寒いときにいつでも集まれて、身を寄せ合って、おでんをつつけるような、そんな人間にはたどり着けない場所がありますように。

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「デナリ、空を飛ぶ」

生まれてすぐの風邪が治ったあと、デナリは全く健康に、極寒のアラスカですくすくと大きくなっていきました。その時期には、私は学校で演劇部に入っていたので毎日放課後練習が入ったりして、帰りが夜遅くになることも増えました。(そのときは、「屋根の上のバイオリン弾き」の大道具係をやっていました。うちの高校の演劇部は相当大きくて、演劇部に50人以上のオーケストラ部の生徒も加わって、学校からの資金援助もあったので、高校生レベルをはるかに超えたすばらしい舞台だったと、今でも思います。)

友達が増えて英語が話せるようになって、どんどん楽しい時間が増えていくにつれ、デナリと家ですごす時間は減っていきました。やっぱり、人間ってわがままです。
それでも、やっぱりデナリの存在が、私にとってはものすごく大きかった。
家に帰るたびに飛び出してくるデナリを見るたびに、私はうれしくてしょうがなくて。
学校であった楽しいことや、たまに落ち込むこと、私は部屋でよくデナリに話していました。
そのうちにデナリ見たさに友達が私のうちに泊まりにきたりもするようになりました。
オーロラが出ていた夜、私はデナリと一緒にそれを見ていました。
「早く帰りたいなあ」は、いつのまにか「ずーっとここにいたいなあ」に変わっていました。
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また猛烈に忙しい日々がやってきて 今物事をあまりちゃんと考えられません。
コマツタ。でも更新はなるべく毎日できるように、がんばりまする。
もろもろお知らせをば。
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デナリがうちにきてから、私の心はとてもはずんで、家で留守番をしているときも、前ほど寂しいと感じることはなくなっていました。学校から帰って名前を呼ぶと、家の中のどこにいても私のところまで走ってくるデナリがとても愛しく、楽しい日々が続きました。
ところが。
ひよわな彼女は、うちに来て2週間くらい経ったときに
早速とんでもないことになってしまったのです。
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img20060121.jpg今日朝おきて、窓を開けてびっくり 一面銀世界!
東京でこんなに雪降るのいつぶりでしょう。町がまったくいつもと違って見えて、道歩く人も少なく 妙に静かで とても美しいです。
雪をあまり見たことがないダマ三兄弟も、勇んで外に飛び出してゆきましたが
ふかふかの雪に体をとられてどうにも転がることができませんでした
今日、夢の中で(もしくは夢じゃなかったのかもしれないけれど)デナリが私に会いに来てくれました。うたたねしていると ニャー、と声がして、ベランダの窓を開けると そこにぼんやり白いかたまりがいて、手を伸ばすと小さな頭に手が触れたので 頭をなでなでしました。
その直後目が覚めて、急いで外に飛び出していったのですがやっぱり何もいませんでした。
でも、デナもこの雪にアラスカ気分になって、わざわざ会いに来てくれたのかも。

「名前をつけよう」
 
 うちにやってきた小さな同志に、最初にしてあげたことはもちろん、「名前をつけてあげること」でした。名前はとても重要です。人間もそうですが、その「音」の波動がその子のアイデンティティに大きな影響を与える、と勝手に思っているからです。
名前をつけるときに考えたのは「アラスカっぽいこと」(安易ですみません)。そしてこの不健康そうな子猫にこそ、「強そう」な名前をつけたいと思いました。となると、必然的にアラスカの大自然や壮大さをイメージさせるものにしたいという話になり、家族で子猫の顔を見ながら話し合って、上がってきたのが以下の候補たち。
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デナリに出会ったのは、私が17歳のときでした。
アラスカに留学していた私は最初の3ヶ月くらいひどいホームシックにかかって
しまって、気分の沈んだ日々を過ごしていました。
私のステイしていた家はホストマザーが離婚していて、私よりひとつ年下のアリシアと、同居人である30代半ばのリーという女性、女ばかりの4人で暮らしているというちょっと不思議な家でした。みんなそれぞれ忙しく、学校が終わって帰ってきてから夜までは家に私ひとり、という状況が多かったため、まだ英語もそんなに出来なくて学校で友達を作れていなかった私は余計に寂しさが募って、「猫を飼いたい」とお母さんに相談してみたのです。

 今考えたら留学生がステイ先の家でペットを飼うだなんてありえないと思うし、よくも自分はそんなこと図々しい事を言ってしまったなあ、とも思うのですが、それでも家に一人ぼっちで寂しかった私は、「自分と一緒に過ごしてくれる存在」が欲しかったんだと思います。わがままな話です。最初は反対していたホストマザーも(当たり前だ)私が説得すると、OKしてくれました。その時の条件は3つ、「子猫であること」「ちゃんとしつけをすること」「一緒に日本につれて帰ること」。子猫じゃなきゃ駄目だった理由は、多分そのほうがちゃんとしつけやすいから、ということだったと思います。
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1月15日、午前4時、デナリはこの世を去りました。満8歳と少し。
この冬は本当に寒くてその前日も、その次の日も、大雨だったのに
嘘みたいに晴れてあったかい日の朝でした。
治療法のない病気でした。一度発症してしまうと、もう治らないのだそうです。この日まで持たない、とお医者さんに言われた日から2日も長く頑張りました。私も妹も家を出て、家族全員が家にいることなんて今はすごく珍しいことなのに、ちゃんと全員揃っている日に、全員に見守られてデナリは旅立ってゆきました。本当は甘えんぼたったのに、なかなかシャイで甘えられなかったから、最後はみんながいてくれるときを選んだみたいです。最後の方はもう、点滴生活で目も見えなくて足もフラフラなのに、ずっと私達家族にかわいい顔を見せてくれていました。

よく頑張ったね、えらいよデナリ。
もう苦しくないよね。あったかいところにいるかな。

今は何も描けないし 
心の一部がぽっかり抜け落ちてしまったみたいで
何も思い浮かばないけど
この偉大な猫のことをちゃんと伝えていこうと思う。

本当に幸せな日々を、ありがとう。
生まれてくれて、そして私と出会ってくれて、ありがとう。

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「デナリって一体どんな意味?」とよく聞かれます。
デナリ、デナリ。
確かにあまり日本語にはない響き。

だから、これから私の最愛の猫である、偉大なデナリの物語をおはなしします。

彼女はいま、もう治らない病気と必死に戦っています。

頭をなでてやるとちょっとうっとうしそうに目を細めて
名前を呼ぶと パタパタっとちょうど2回、しっぽを振ります。

その小さな塊はとてもあたたかくてふわふわしていて
なでている自分が何故そんなに泣いているのか
わからなくなってしまうくらいです。

時間がかかるかもしれませんが、しばらくの間、お付き合いください。

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2006年1月11日、今のデナリです。

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