Denali's Room 一語一絵

旅と猫とあんことスイカを愛する絵描き、デナリこと大野舞が日々をつづっています。

2018年03月

白花豆
あちこちで評判になっているのでご存知の方が多いと思うのですが、映画「グレイテストショーマン」観てきまして、これがもう本当に良かったのです。そもそもミュージカル好き、そしてサーカス好きな私にとってはもう好きな要素しか詰まっていない...。

最初から最後まで極上のエンターテインメントでした。異常に歌がうまくて異常にダンスがうまい人たちが、素晴らしい音楽をバックに惜しみなくその技術を披露しているので、面白くないはずがないのです。ストーリーもメッセージもいたってシンプルで、だからこそその技術が際立つ。劇場から出てくる時に、自分の中に生きる勇気が満ちてるのがわかる。

「This is me」。Let it goと同じなんだけれど、今の時代やっぱりこれなんだなあ...。多様性の中だからこそ、ありのままの自分への不安やゆらぎ、葛藤を払いのける魔法の言葉。とかえらそうに分析しながら観てたわけでもなく、始まった瞬間からダイソン並みの吸引力であの世界の中にひきこまれ、ずっとウルウルしてました。

映画というより、本当に舞台を観ているような気持ち。是非映画館で観てほしい映画です。劇中に出てくる「人間性の祝福( “a celebration of humanity”)」という言葉。ジョジョの「人間賛歌」に通じるような!

このワークショップセッションの映像もとても良い。これを観てすぐに映画館にいってしまいました。

ミュージカルが好きじゃない、何故急に歌いだすのか分からないという人もいて(タモリさんとか?)。それはそれで好みなので何を否定するところでもないのですが、心象風景だと思えば違和感も減るのではないでしょうか!気持ちを、状況を、心の移り変わりの経緯を、歌という手段で表現しているだけだと思えば!男女の愛を、平安時代の短歌のやりとりのように濃縮したエッセンスで表現していると思えば!と思わず熱くなってしまうほど、みんなにおすすめしたい映画であります。

ミュージカルが好きすぎて、私は普段の生活も基本的にはミュージカル脳で過ごしているというか、育児している時間の半分くらいは歌っている気がする...。既存の歌だったり、テキトーに自分で「こんばんのごはんは〜オムライス〜🎵ふわふわふわふわ〜🎵」みたいに節をつけただけのものだったりしますが...。恥ずかしくて決して第三者には見せられない姿であります。

あと、ミュージカル脳である自分をすごく感じるのが、はやとちり具合というか、妄想スイッチといいますか。よく夫のうしくんや仲の良い友達にも指摘されるのですが、相手が発したキーワードで「!」とスイッチが入ってしまう瞬間があって、そうなるとミュージカル映画みたいに頭の中で勝手に場面が切り替わって、音楽がはじまって、自分だけの世界に入ってしまうので、「それってこういうことでしょ?」と相手が結論を出す前に思い込みで先走ってしまうことが多々あるという、迷惑なやつです。問題を最後まできかないでスイッチを押す、早押しクイズ的な問答でもない限り役にたちません。それですら答えが間違っていたら意味がないわけで...。もちろん悪気は全くないのですが、相手からしてみたら「あ、いや、言いたかったのはそのことじゃなくって...」みたいな事が多々あります。自分で自覚しているダメなところで、直したいと思っているのですが、昔からずっとそうです。脳内で勝手に切り替わってしまうのを、衣装が変わるのを、通行人の人たちが急に一緒になって踊ってくれるのを(笑)、止めることができません(>ー<)

でもなんだろ、本当、ミュージカルって元気になるんです。映画の中に「人を幸せにするのが真の芸術だ」というような言葉があります。真の芸術が何か?私にはまだ分かりません。人をギリギリの崖っぷち、絶望の淵まで強引に引きずっていくような芸術もあると思う。けれどやっぱり、何かを作り、それを誰かに見せるんだったら、ポジティブな気持ちになるものを、私は作りたい。

この過剰な想像力と妄想力が、絵を描くという仕事においては少しは役に立っていると思うしかない...。

劇団四季をはじめ、THE有名どころなミュージカルの舞台は結構観ている方ではないかと思います。ミュージカル映画もGleeも大好き、あとデビューしてないのは宝塚かな。神戸に来てから、そして阪急沿線に住んでから、宝塚を意識することがとても増えたので、観にいってみたいです。どはまりしちゃったらどうしよう...。その予感大です。

私がどうしてこんなにもミュージカルが好きかというと、小さい頃の自分が大きく関わってきます。映画と関係なくなりそうなので、また今度に続きます。

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これは5年くらい前に買ったストッケのヴァリエールバランスチェア。

なぜこの椅子を買ったかというと、岩手在住の作家のやえがしなおこさん(ザグドガ森のおばけたち、という私が挿絵を描かせて頂いたかわいいおばけたちのお話の作家さん!もう本当にかわいいお話だから童話好きな方には是非読んでほしい!)のおうちにお邪魔させてもらった時、やえがしさんがこの椅子で執筆されていて、その背筋がピンとした姿がとても印象に残って、私も姿勢が悪くなりがちな仕事なので、いいなあと思って。実際この椅子に座ると否が応でも姿勢がよくなります。

しかし結局リビングに置いてあったのでピノネムが遊んだり座ってごはんやおかしを食べたりしていたら、いつの間にか座面はシミだらけ。全体的に汚れ、バリバリのデロデロになって、こりゃそろそろサヨナラだなって思っていたところ、神戸の大好きなお店「北の椅子と」でかわいい生地を見つけたので、ふと思い立って張り替えをお願いしてみた。これまた私の好みど真ん中のすごく素敵なヴィンテージ家具や小物を扱うお店で、カフェのごはんもとっても美味しい。キッズスペースもあって、子連れにも優しい。ただ、行きにくい場所にあるのでしょっちゅうはいけないのが残念。

そしてー!椅子は生まれかわって帰ってきた。
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2歳児ネムがいやいやまっさかりでなかなか日々手こずっております。そして4歳児ピノもだいぶ話が通じるようになってきたものの、それでもまだまだいやいやモードになることも多く、ダブルで発現するともう私も虚ろになってしまうというか、だいたい1日10回は顔がハニワになっている昨今です。笑 

その中でよく考えるのが「こだわり」のこと。母はみんなそれぞれにこだわりを持っていて、それはもう100人いれば100通り。みんなそれぞれ、違うルールを信じている。誰も間違ってないし、誰が一番正しいということもない、教祖が100人いるみたいなものだと思う。だからこそ、気をつけなくてはいけないといつも思う。自分の家で当たり前のことが他の人にとっては「ええっ!?」と目をひそめられるようなことかもしれないし、その逆もまた然り。何を食べさせるか、おもちゃは何を与えるか、何を観せるか、何時に寝かせるか、お友達とケンカになったらどうするか。母たちはみんなそれぞれのこだわりを作り上げてそれを守っているけれど、自分のルールが全員に適用されるわけではない、ということを意識しておくことはとても大事だ。

何が正しいではなくて、ただ違う。「だしは絶対に昆布と鰹節からとる」と思っている人と「ほんだしで十分」と思っている人とでは、必然的に毎日のTO DO の量が変わっていく。それが生活の中でのあらゆるジャンルに関して起こるので、ひとつひとつの手間は大したことがなくても毎日の積み重ねの中で膨大な違いを産む。全部を100%は誰もできない。だからこそ、緩急つけて、折合いつけて、自分が納得できる着地点を探すのだ。

こだわりは、かっこいい。美学でもある。

けれどこだわりは、窮屈でもある。

漢字で書いたら「拘り」。誰に強制されているわけでもないのに自分に課している拘りは、まさに重たい拘束衣のようなもの。何のための、誰の為のこだわりなのか?

それを自分でつきつめていくと結局、子どものため、と思っているようで単に「自分が心地よくいられるため」だったりする。拘りにがんじがらめになると、やることが増えすぎて大切なものが見えなくなってしまうように思う。かといって、緩めすぎるとどこまでも緩んでしまい、原型を留めなくなることもあるから本当に、本当に難しい。
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