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昨日搬出を無事に終えることができ、2週間にわたったBALでの「いのちとのくらし展」終了いたしました。最終日は急に行くことにしたにもかかわらず、ブログを見て来てくださった方もいてうれしかった!結局3日間しかいられませんでしたが、ずっとこの見晴らしのよい大きな窓からマリーナちゃんと並んで神戸の街を眺めていました。(最終日は神戸祭りなるものが盛大に行われていて、窓から下を眺めているとサンバカーニバルが通ったり、鼓笛隊やバトントワリングの人たちが通ったり、スターウォーズの一群が踊りながら通ったり、なかなかシュールな光景が展開されておりました)
会期中の延べ来場者数はなんと、1334人!すごい~。来てくださった皆様、ありがとうございました。そしてこのすばらしいギャラリーで最初の展示をさせてくださったBALの皆様、本当に本当にありがとうございました。

会場に残しておいたノートにもたくさんのメッセージ、帰りの新幹線の中で幸せになりながらしっかり読ませていただきました。どれも全部とってもうれしかったのですが、中でも「絵を見ていたら急に友達に手紙が書きたくなったので、ポストカードを買って帰ります」という一文がすごく印象に残りました。

多分それは私が絵を描いていく上で、見る人にこんな風に思ってほしい、こういう気分になってほしい、という、曖昧にモヤモヤと、でもずっと持っていた願いに、端的に輪郭を与えてくれるような言葉だったからだと思います。うん。

私にできる少ない物事のうちのひとつが、絵を描くということで、よかったなあと最近つくづくl思う。ちょっと気を抜くとすぐいろいろな事がどうでもよくなってしまったり、ふわふわ定まらなくなってしまったり暴力的気分になってしまったりするので、描くことで何より自分が救われてきたような部分があると思う。時間も空間も感じられなくなるくらいものすごい集中力で、思い通りのものをちゃんと描けているときが一番世界が鮮やかで、自分を肯定してもいいような気分になれるので、これが出来なかったら(上手い下手ではなく、手段としてこれがなかったら)いったいどうなってしまっていただろうかと思う。

そんな、限りなく自分勝手な理由で一方的にぶつけているものが、仕事になったり、誰かに求めてもらえたり、ちょっとでもプラスの影響を与えたり出来るということが、夢であったくせに、未だに信じられない。
やりたいやりたいと口に出していっているくせに、いざやれるとなると急に怖気づいて自信がなくなるのです。展示をやるので来てね!と宣伝するくせにいざ人がその人の大事な時間を割いて来てくれたりすると、ドキドキして仕方がなくなるのです。だからいつもオロオロ必死になってばかり。

でもその奇跡みたいな幸運と、いろいろな人とのつながりや支えに感謝しない瞬間は、私の生活の中で一瞬たりともない。多分表面に出ている部分の100倍くらい、私は日々泣きたいくらいその幸せと呼べる塊を、一人でじっくりキャンディのようにじんわりじんわり舐めながら生きていると思う。なかったら生きていけない。

迷ったり苦しかったりも、それも含めて自分だと、最近はちょっと思えるようになってきた。(30歳越したから?!)背伸びだろうが人生的規模の壮大な勘違いであろうが、常にやれることを最大限やる以外に出来ることはないもの。行動が変わらないのなら、その原動力となる気持ちもポジティブであるに越したことはないではないか。

と、なんだか謎の広がり方をしてしまいましたが、
これからもがんばります。欲張りに。

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