piano

今週は月に1回のピアノのレッスンがあった。
気づけばなんと、習い始めて現在25年目!!

6歳の時にピアノを習い始めて、そのあと受験で一時お休みしたり、留学で1年空いたり、旅で数ヶ月さぼったり、してたけれど、基本的にはとぎれることなく、習い続けているわけです。ただ、大学を卒業するまでは週1回だったけれど、就職して都内に出てからは、月1回に。

12歳の時までならっていた先生はとてもスパルタで厳しくて、あまりの厳しさに私はピアノもレッスンも全てが嫌いになってしまい、13歳の時に先生が変わって、その先生はゆる~くて相性ぴったりだったので、それから今までずっと同じ先生に習っている。私の13歳から30歳を知っている人が親族以外にいるってことがすごい。

24年間引き続けてる楽器。我ながら、しつこいというかしぶとい。
そう書くとものすご~く上級者で上手いみたいだけど、
これは謙遜でもなんでもなく、ど下手です。
いやもう本当に。発表会とか目的が何もなくて、自分が楽しむためにならっているから、ある程度弾けるようになったら次にうつるので、全然完成しない。あんぷで弾ける曲なんて1つもない。
特にレッスンが月1回に減少してからは、一人暮らしの家にピアノはないので、練習も出来ないし。ただただ、なんとか現状維持するだけ。

とにかく今は月1回、ピアノのために時間をやりくりして帰省する。
都内から実家まで1時間半、実家からピアノの先生の家まで車で更に1時間近くかかるので、レッスンがあるときは丸一日、それしかできない。
でも、続けている。下手なのに。上達しないのに。時間ないのに。
プロになりたいとか、人にきかせたいとか思ったこと人生で1度もない。でも、続けている。

なぜなら、好きだからだ。

クラシックCDを聴くだけじゃなくて、それを下手でも、自分でなぞることが、何より楽しいから。今はもう存在しない多くの作曲家たちの心の中をすこぅしだけ、のぞきこめて、そこにシンクロできる気がするから。
うまく乗れているときのあの無心になっている感覚が、脳みその間にいっぱい隙間をつくって、その隙間に出来る創造性の真空空間で浮遊している感じがする。その時間が最高に幸せ。本と同じで、弾いてみたい未知の曲はまだまだ無限にあって、それが私の一生の中にずっとあり続けてくれると思うと、それだけで幸福な気持ちになれる。

ここまで「THE・趣味」と呼べるものに出会えてよかったな。
なんでも、はじめるより続ける方が難しくて、続けること、続けてこられたこと、それ自体に意味がある。そこだけは誇れる。私の日常生活の中でピアノにさいている時間はごくわずかだけど、それでもそれを長年蓄積してきたことで、そこに何か「勢い」みたいなものがうまれていて、あとはもう勝手に雪だるま式にエネルギーは大きくなっていくと思う。

好きな作曲家について書こうと思ったけど長くなりすぎたからまた今度にしよう。ちなみに今週のレッスンで弾いたのはブラームスの「2つのラプソディー」、ベートーベンの後期ソナタとセザール・キュイの前奏曲の1番。私はフランスのおされな近現代の作曲家が一番好きなんだけど、先生にはいつも「あなたは生真面目だから生真面目な古典が合ってる」と言われてしまう。一番好きなのはドビュッシーなんだけどなあ。

私の人生の夢は、こんなところで簡単に暴露すると、場所はどこでもいいのだけど、離れになっているアトリエと、グランドピアノがある防音の地下室がある家にたくさんの猫と住むことで、それは20年越しの夢だから、絶対いつか実現できるように頑張ろう。

そしてピアノは、今の先生以外に習うことはもう考えられないから、先生が私の人生を見届けているように、私も先生の人生を見届けて、一生続けようと思う。