だるま

2月頭。この季節になると、もう随分と昔のことなのに中学受験のことを思い出す。20年くらい前の話。2月頭は中学受験の季節なのだ。それに加えて最近させていただいたお仕事がその話題に関係していたために、いつにもましてじっくりいろいろ思い出したので、書いてみることにした。

小学校4年の春くらいから塾に行き始めて、その頃はまだ中学受験をする子自体クラスに3、4人しかいなくて、私はそれがどういうものなのか、全然分かっていなかった。「今やっとくと後で楽よ。頑張ってみる?」というような親の問いかけに意味も分からないまま「うん」と適当に言い、私の塾通いが始まった。(ほとんどの小学生なんてそんなものだ)
某Nバッグの塾に行き始め、最初は週3回、最後の方は毎日、日中も放課後も勉強した。毎週日曜日にはテストを受け、それで次の週のクラスの席順が決まってしまうためずっと緊張感があった。月4回の試験の結果で、その次の月のクラスが決まる。上がったり下がったりの超競争社会!たまに公開模試というのがあり、遠出した。帰り道の横浜そごうで両親と美味しいものを食べたりするのが唯一の楽しみだった。

夏期講習とか、小学生が夏休みにあんなに太陽に当たらないでいいんだろうか、っていうくらい授業漬け。昼ごはんも夜ごはんもお弁当。今考えても異様な気がするけど、当時の私はあまり変だと思っていなかった。学校以外の世界が広がって友達が増えたこと、小学校にはいないタイプの熱血先生の面白い授業を単純に楽しんでいたようにも思う。

志望校も適当な理由で決めた。文化祭が楽しかったからとか、制服が可愛いからとか。将来設計とかから逆算できる年でもない。中学受験というのは子供がやっていても、なんだかんだ一番反映されるのは、親の意向だ。小学校受験なら子供の意思はあんまりないし、大学や高校受験は親より子供の意思が大きい。そういう意味で一番中途半端な時期の受験だと思う。それでもいつの間にかなんとなく行きたい学校、はすごく行きたい学校、になっていた。

私はずっと「なるようになるさ」とノホホンとすごしていたが、まわりの緊張感に緊張していた。直接的に間接的に、Xデーに向けてそこはかとなく高まる周囲の期待オーラ。そういうものはちゃんと伝わるのだ。にも関わらず、不思議な事に、受験当日を迎える最後まで他人事な感じがしていた。ハチマキの先生の応援とか、教室内の空気が張り詰めた感じとか、お祭りみたいな狂乱ムードをどこか客観的に見ているばかりだった。だから私は一見真面目に受験生をしているようで、不真面目だったんだと思う。別に手を抜いていたわけではない。その時は自分なりにやってるつもりだった。ただ実感が伴ってなかっただけなのだ。

そして、それはしっかり、キッチリ結果に反映された。あのあらゆる交通機関が止まり、受験日も各校めちゃくちゃになるほどの大雪だった私の中学受験、私は落ちまくったのだ!第一志望校は一次も二次も見事にスパーッと落ちた。不合格だった時、大丈夫なふりをしながら自分の部屋の二段ベッドの布団の中で大泣きしたことは忘れない。周りの「頑張ったんだから、それでいいのよ」という励ましが余計に痛かった。小さいながらも「期待に応えられなかった」という自分のふがいなさに押しつぶされそうだった。それをその後も引きずり、その後も落ち続けた。

あの時の「ザ・挫折」としか言いようのない気持ちを忘れられない。中学受験に浪人はない。選択肢はない。自分がダメに思えてくるばっかりだった。もう後がない状態の時、ある学校の両親も一緒の面接で、私はこれまた失敗した。人見知りが激しかったので、知らない大人がこっちを見ているだけで緊張してしまってしどろもどろ。面接官が「両親以外で尊敬する大人は誰ですか」と聞いているのに「お父さんです。」とか言ってた。

当然のように落ちたが、でもこの面接が転機になった。母がこの面接のあと、長い受験生活の中ではじめて、「そんなへらへらしてちゃダメじゃないの!」と私を怒ったのである。私には衝撃だった。第一志望に落ちても怒らなかった母がいきなり感情をぶつけてきたので。それは母が母親の顔から「素」に戻った瞬間だった。へらへら。まさに私の他人事な感じが出てしまっていたのだと思う。怒られたのは受からないことじゃなくて、真剣に向き合ってないことに対してだった。その時はじめて、自分が本当の意味での努力をしていなかった事に気づいた。なんとなく乗り切れる、と全部を流そうとしていた。みんながあまりに必死すぎて、逆に大したことのないように扱ってくれているだけだったのに、私にはそれがわかっていなかった。

その一喝ではじめて、私は本当に必死になった。ちきしょうと本気で思ったし、母も言って楽になったのか「面接の特訓しよう」と言い出した。数日間スパルタな面接特訓をして、私は怒られまくり、言い返し、泣いて、でもなんだか鍛えられていった。そうか、これか!と思った。やっと、それまでの全てが、ぎゅっとしたキラキラする結晶に凝縮していくような感覚があった。

そして結果的に、今はその学校に行けて本当に良かったと思える中学の2次試験に合格したのである。そこしか受からなかったけど。合格を聞いて母も私も飛び跳ねた。私よりも母が喜んでたのが嬉しかったのを思い出す。帰りにスーパーファミコンを買ってもらった。

懐かしい、中学受験の話。

今はもう子供も減ってしまって状況も全然違うんだろうなあ。受験が良いとか悪いとか一言ではもちろん言えないけれど、私があの体験を通して大きく変わった事は確かだ。受験には合格と不合格しかないし、結果より過程、とかいったって不合格は不合格。偏差値で区切られ、クラスで区切られ、合否で区切られる。自分が定まっていない年齢の時に、まわりと自分との差を示されて、序列の中に配置される。敢闘賞がない世界はある意味スッキリすがすがしいことでもあるのだけれど、子供にとっては大変だ。比べられないから、本当にそれが良い方法なのかなんて分からない。

それでも私にとっては、学んだ大切なことの方が多かった。「ど根性野菜精神」みたいなものがそこで身についたと思う。頑張ってもどうにもならない事もあるということ、それでも全力で頑張らないと後悔するのは自分だということ、そして自分が納得いくまで頑張れたら、その結果ついてくる結果に不満はあっても後悔はないということ。仮にその時不満しかなくても、こうして20年も経つとそれは結果的にはそうなってよかった、と思える宝物にきっとなるということ。

全力の失敗だけが後に生きる。受験を扱った記事には常に「合格体験記」しかないけど、失敗が糧になると言うなら「不合格体験記」があってもいいとも思う。(書く方は辛いけど)大きな挫折があって、人生の中の苦しい部分があって、そしてなんとかその辛い部分を乗り切るいう体験は、かけがえのない財産になると思うのです。どの年齢であっても、高校や大学受験であっても、どんなジャンルであっても。

私はあの時期がなかったらずっとヘラヘラ生きてたような気がする。だからこそあの時怒ってくれた母の一言に今でも感謝するのです。あの時こじあけてもらった扉は、その後も今に至るまで閉まっていないと思う。私が長女で、初めての受験で、親たちも必死だっただろうなあ、と思うとキュンとします。ランナーは子供でも、結局伴走者として同じ距離を走らなくちゃいけないのが親というものなんだ。レポーターや芸人さんが行くような過酷な取材で、例えばアルプスの頂上で、一番大変なのはスクリーンに映る人だけど、そこには同じ場所を重~いカメラや機材をしょって歩いている画面に映らない人たちの存在がある。そんな感じ。親って大変だ。

子供が受験生だったとしたら、ありきたりだけれど「同じ目線で一緒に向き合う」事が何より大切だと思う。腫れ物的話題にするのではなく、きれいごとにするのでもなく。豪華な夜食を作ることより、○○ちゃんは大丈夫よ、と根拠なく言ったりすることではなく、ダメならダメという現実を認めて一緒に立ち向かう事だと思う。ちゃんとダメ出しをする、ちゃんと怒る、その上で共に作戦を練る。それは一個の人間として扱うことだし、根底に愛と肯定がある行動なら何を言っても子供にはちゃんと伝わる。

中学受験をする子供親の気持ちなんて、今の私に分かるわけないのに、つい自分の体験を思い出して、年齢的にも小学生よりは親視点になってきてるので、えらそうに書いてしまった!

これだけ時間が経っても鮮明に思い出すんだから、それだけ小さい子供に深く刻まれた体験はその後まで尾を引くということだと思う。親が何気なく口にしたこと、言ったことも忘れているような事をその子供はずっとずっと覚えていたりする。それが一生の祝福になる場合もあれば、一生の呪いになる場合もある。とっても素敵でとっても緊張感のあることだから、いつかそんな事になれば私なりに全力で一緒に走ってあげようと思います。体力ないから多分先に脱落するけど。私の受験で疲れた親たちは、妹は中学受験のない小学校に編入させてたけど。笑

そんなわけでこの季節になると「あの一喝」を思い出して背筋を伸ばす。

がんばれ受験生。
がんばれ子供たち。
がんばれお父さんお母さん。