目に映るもの、耳が聴くもの、口が味わうもの、肌が触れるもの、起きる出来事、他者からの言葉、全ては自分の心の現れ。世界にはあらゆる側面があるけれど、「選びとって感じている」のは自分。
良いことでも悪いことでも何かが起きたのなら、それが起きることを自分が選んだんだということ。
世界は自分の外側、どうにもならない次元で動いてて、隅っこで生かしてもらってるみたいな気分になりがちだけれど、世界はいつだって自分の内側にある。
自分が世界にどう接するかが、世界が自分にどう接するかと全く同じことだと思う。
閉ざされれば閉ざされる。開かれれば開かれる。
自分が世界を雑に扱えば、世界は自分を雑に扱う。
目の前にある1枚の洋服をどうたたむかがとても大事なことのように思える。
すさんでいたり疲れていたりして、所作が雑になっているのに気づく時にはゾっとする。
いつでもポジティブでなくていいし、道徳的でなくても、完璧じゃなくても、正義感にあふれていなくてもいい。
心が本当の意味で自由なら、すぐにこの世界は完璧な時間を刻み始める。
失敗や葛藤は「こうあるべき」にとらわれている、心が勝手に作り出すものだから。
だからただ丁寧に、そして自由でありたい。
心に「のりしろ」を持っていたい。ギリギリじゃない、幅。