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石巻でのボランティア活動から戻りました。1週間に満たない短い時間でしたが、感じたことはあまりにも多かったです。心のどこかに「もう3ヶ月」という気持ちがあった中で、目にした景色は悉く信じられないものばかりでした。それでも3月からいる人が声を揃えて「あの時から想像もつかないくらい片付いた」と言うので、当時の光景はどんなだったろう。更には私が見たのは広大な被災地域の中の石巻市というたった一つの街の姿。果てしない。

被災地の現実を五感で体験したことで、自分の中の大震災が変わりました。あんなにもゼロになってしまった場所や人たちに、安全で快適な場所から「頑張れ」とか「大丈夫、一人じゃない」とか、安易に言えない。瓦礫と化した家、ヘドロの臭い、何ひとつ残っていない街。写真は全壊地区である南浜町を日和山公園という高台から見たところ。無事に見える家も本来そこにあったものではなく、家ごと他の場所から流れてきたというものが多いです。津波の被害にあったところは満遍なく容赦なく破壊され奪われていました。夕焼けに染まる景色を見ながら、ただ、祈りました。

復興という言葉が眩暈がするほど遠く思える中、それでも何とかしようとしている人たちがたくさんいて、着実に1歩1歩進んでいる姿もたくさん目にしました。今、本当に切実に人手が必要とされています。1人でも多く、1日でも早く、長く。家族だけでやれば1ヶ月かかってしまう作業が、大人が10人いれば2日で終わるのです。どんなに果てしない作業でも、大勢でやれば早く終わりが来る。被災した方から何回も「最近はボランティアさんが減っちゃって・・」という言葉を聞きました。

彼らが本当に辛くなるのは、ある程度時間が経った今からなのではないかと思います。世間の関心が薄れて人が減っていくのに、自分たちの時間は3月11日で止まってしまったまま。大切な家も思い出も瓦礫の下に埋もれて、掘り出す気力もないのに周囲の時間だけがどんどん動いていく。それはどれほど辛いことだろう。

私が被災地から東京に戻って一番「ああ、帰ってきた!」と思ったのは、入れなかったお風呂に入った時でも、レトルトじゃないごはんを食べられた時でもなくて、「カフェで一人で読書しながらお茶した」時でした。人間にとって本当に大事なものって、実はライフラインのその先にあるように思う。電気ガス水道、衣食住だけでは人は生きていけない。心のライフラインもある。お茶したり、ゴロゴロしたり、散歩したり、意味なく誰かに電話したり、そういう「なんでもない」時間を、心は死ぬほど欲してる。それがないと、どんどん虚ろになってしまうのです。生活を整えるのがもちろん一番大事だけど、中止になりそうな祭りやイベントを開催するのも大事だけど。そういう単発なことだけではなくて、ちゃんと日々続く「なんでもない時間」が一日でも早く被災地に訪れるように、できることをしていきたいと思いました。

今回、体力ない私でも、ちゃんと「人手」になれました。もっとできる。だからこれきりにするのではなく、また行こうと思います。ボランティアに行くことをあまり特別なこととして捉えるのではなくて、変な言い方だけど、習い事に行くみたいに、平常心をもって生活の一部分みたいにできたらいいなと思っています。

後はもうちょっと実際の活動について、次から詳しくレポートしたいと思います。うれしいことに私のブログやつぶやきをみて「私も行きます!」と言ってくれた人が何人かいたので。「行ってみたいけど具体的に何があるのか分からなくて不安」という声もあったので、なるべくプラクティカルなことをシェアしたいと思います。

現地で写真を撮ること、最初は観光地じゃないんだし、と思っていたのですが、被災者の方の「逆に撮って欲しい。今の石巻の姿をなるべく伝えて欲しい」という言葉を聞いたので、何枚か撮ったものもアップします。

続く。