prayer
なんだかおかしいなあと思う。
特に今年はいろいろなことがある年だった。まだしめくくるのには早すぎるかな。
でもなんとはなしに「これはいよいよおかしいんじゃないかな」と思うことが多い年だった。

毎年そう思うし、いつの時代の人も毎年そう思ってるのかもしれないけれど。
古代エジプトの壁画に「最近の若い者は」という記述があるように。
どの世代も、自分たちの世代は特別である、という視点で語るように。

でもおかしい。何しろ自然や環境がおかしいし、人や国や社会、あからさまにいろいろおかしいと思うことばっかり。世界各地での自然災害の頻度や規模が尋常ではないし、ここ何年かの日本の天気の感じや季節の感じはやっぱり明らかにおかしいし。桜も変な時期に咲くし、この間行ったアラスカも、8年前に比べたら目に見えて氷河が減っているし、森もいくつも消えていた。

そのおかしさは「変である」ということではなくて、「変なものを見て見ないふりをしている」という気持ち悪さなんだろうなと思う。自分含めて。「気づいてるけどどうにもならない」という方が正しいのかも。「棒倒し」みたいに、何かがじわりじわりと削られて、ある日全てが崩れてしまうのではないかという予感、あらゆる角度からこれだけあからさまにいろいろなことが日々起きているのに、何も思わない人のほうが少ないに違いない。あっちこっちから、葛藤噴出しまくり。個人の葛藤、会社や社会や国の葛藤、そして地球そのものの葛藤。
あらゆるものが表面化して、ますますさらけ出されていくと思うと怖い。

かといって日常は日常としておしよせてくるので、今はバランスをとるのがとても難しい時代なのではないかなあ。どこまで正面からうけとめて、どこからゆるく受け流すか。それが一番難しいけれど、そのちょうどいいポイントを見極めることがコツのようなものである気がする。

今年は身の回りで本当に赤ちゃんがたくさん生まれて、私にも1歳ちょいの甥っ子がいるし、「未来」を考えることが多かった。未来を決定づけてしまうのは現在のあり方であるわけだし、その責任の大きさってどれほどのものだろう。これからどんな世界が訪れても、守られるべきものは正しく守られると信じたい。

何かできるとするならば、自分の内側しかないと思う。準備をし、心構えをし、できることはやっておき、そして自分の本当の声に対して誠実であること。感情をおしこめないで、抑えたいときは抑え、吐き出したいときは存分に吐き出すこと。本当にそれが出来たら何が起きても、きっと、大丈夫なのだけれど、私はまだまだ全然それが出来ていない。世界は自分の内側が反映されるものだから世界が理不尽に見えるということは、きっと私の中が理不尽なのだと思う。

いろいろなことに祈る毎日。
祈ることは無力でも、他力本願なことでもない。
心に向かい合うことだから。起きて欲しい奇跡を具体的にイメージする力だから。
避けられない何かさえ変えることが出来る力になると思う。