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今日はトトトントトトンして七草粥を作りました。美味しくできました。いつも実家でおばあちゃんが作る七草粥を食べてきて、その味を目指したけれど、やっぱりおばあちゃんがトトトントトトンしている背中を見たあとに食べるお粥の方が、まだまだ深い味だなあと思った。お正月の暴飲暴食で疲れた胃に優しいということになっている七草粥ですが、お正月の暴飲暴食で胃が拡張しているので、ものすごい量食べられてしまい、結局七草粥でおなかがぱんぱんになるという本末転倒具合でした。
土用の丑の日とか、冬至のゆず湯とか、お節とか、七草粥とか、節分とか、日本に生きていると、本当に四季を通じて「今日は○○の日」というのがある。やらない(知らない)人も多いだろうし、ただでさえ細々とあるのに、そこに企業戦略がのっかってくるとますますよくわからなくなってくる。好きでもないのにポッキー食べなくてはいけないような気持ちになる日とかある。

いろいろな日本古来の習慣、実際私も全部は出来てないし、お節も全然作れないし、意味も知らないで形だけやっても意味がないというような意見もあるけれども、私はそうは思わない。毎年、決まった日に決まった行動をする、という行為そのものが「定点観測」なのではないかと思う。同じ種類の行動を同じ時期にすることで、去年のこの日には何をしていた、とか、その前のこの日には何をしていた、とか、芋づる式に思い出されて、家族の話題にもなるし、点が無限にひろがって数珠みたいに繋がって見えるから。

行事は残せるものは残していきたい。自分でもなるべく意味や歴史を勉強して、上の世代から習って、サボらないで、でも無理せず手をぬけるところはうまく抜いて、ちゃんと無理しないで次の世代に伝えていけたらいいなと思っています。その習慣が時代を超えて残ってきている、それだけでもそのことには深い意味があって、そんな日々のちょっとしたことが、人間が集合意識で共有していく生活という光のかけらじゃないかと思うのです。ちゃんと、風邪をひかないように、とか、胃をやすめるように、とか、理由もあるしね。

が、ここまで書いて気がついたけれど、今年年賀状を書けてない私に何も言う資格はない・・・!

チーン・・・。
でも、寒中お見舞いになると思いますが、細々と書きますので・・・・

しょんぼり。

気をとり直して、最近思うのは「だし」みたいに生きたいということです。

しごくシンプルで、でもだからこそどこまでも奥深くなれて、いくらでも追求のしようがあって。
同じことを同じように繰り返していても、絶対同じ味にはならなくてそのときだけにしか出せない味わいがある。
材料も奇をてらわず、誰にでも手に入るものでできるのだけれど、丁寧にとっただしはほんとうに幸せの味がするし、毎日口にしても決して飽きることはない。それはちゃんとてまひまをかけたっていう時間の味でもある。

だし、は、わびさび、と一緒で、他の言語に翻訳すると違う意味になる。これもやっぱり、とても日本的なものなのだと思う。実際海外にいっても今はDASHIで通じる。

いいなあ、奥深いなあ、だし。
だし的な生き方をめざしていきたい。

そう決心して、一度お友達のお料理家さん、荒木典子先生に「だしって・・・本当に深い世界ですよね!だしとは、いったい何なのでしょうね!?」と禅問答のように問いかけたことがあるのですが
帰ってきた答えは

「だしなんてつまり味のついた水よ!!」

チーン・・・。

なんともその人らしい分かりやすい答えが帰ってきて、一瞬え~?!と思ったものの、あ、なんだ、そういうことだったのか、と考えれば考えるほど合点がいって、典子さんのとるだしの美味しさにもまた納得したのでした。私にとってだしの定義は「味のついた水」ということになりました。結局、シンプルが究極。

だしに、だしをちゃんととれる人に、あこがれる。
じっくり丁寧にシンプルに、そんな2012年にしたい。

定点観測 feturing だし。