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週末にとてもなつかしい会がありました。同窓会と言えば同窓会だったのですが、それは「大学受験の時通っていた予備校の英語のクラスの集まり」という、あまりに懐かしいというか珍しいというか。全員が13年ぶりくらい。そしてそのEECと言われていたクラスの先生を囲む会となりました。このような会が実現したのはひとえにFacebookがきっかけです。本当にすごいツールだ。普通は予備校時代は大変で辛かったりするもので、(実際大変で辛い)終わるとハイおしまい!とみんな忘れたりしてしまうものだと思うのですが、こんなに時間が経ってから集まれるなんて、皆にとって大切なクラスだったんだな、と思いました。
腰越のおいしいイタリアンで13年分の近況報告をしました。英語の先生になってたり、翻訳の仕事をしていたり、バリバリ会社員として活躍してたり、オホーツク海でたらこを取る船に乗ってたり(!)、みんな本当にいろいろな道を歩んでて、S先生は変わらずかっこよく奥様はお美しく、話を聞くのがとても楽しかった。

私が英語が好きなのも英語で長文を読むのが苦にならないのも、S先生とクラスのおかげだった、と今でも思っています。高校の授業のおかげじゃなく。そのクラスでは、受験用の大学別問題対策とか全然やらなかった。過去問題なども全然やらないどころか、そもそも受験の話すらしてなかったような気がする・・・。

S先生は哲学や心理学にとても造詣が深くて、そんな話をいつでも、目を輝かせながらしていました。認知心理学の話や、カール・ポパーの話や、宇宙の話や、ガラパコス諸島の生態系の話や、先生が好きな話題の研究論文や新聞記事、雑誌の記事とかをコピーしたものをひたすらに読む、という長文読解の授業だったのですが、英語は日本語に訳しながら読まずに英語として読めと言われて授業のスピードも速くてついていくのも必死でした。
でも、何語で書かれているかはもはや関係なく、先生が持ってきてくれるあらゆるジャンルにわたる課題文の内容そのものが毎回私にとって本当に面白かったのです。

他の授業は「過去問は最低10年分くらいとけ、傾向を知れ!」「こういう構文は○○大学に多いから覚えておくように!」とか「この言い回しはこういう語呂合わせで覚えろ!」とかそんなのばっかりで、本当にただ受験のためだけの勉強をさせられている、という感じでした。通っていた高校の授業もそれに近いもので、だんだん試験に必要な科目しかやらなくなってきて、漢文とか美術とか地理とか私の好きだったものはあまり比重がおかれなくなってきて、わけもわからずとりあえず出題範囲を丸暗記するみたいな感じでした。

でもS先生は「○○先生が自転車を買って流星号という名前をつけたんだ。大事に乗っていたけれど、長く乗っている間にサドルが壊れてサドルを変えた。次にハンドルが壊れてハンドルを変えた。壊れた部分を次々に直していったら、しまいには最初に買った状態から全てのパーツが入れ替わった。本来流星号を構成していた部品全てが違うものになったら、それは本当に同じ流星号であると言えるのだろうか?だとしたら流星号とは何か?」なんていう話を議題に延々と話をしていたのを今でも覚えてます。

その授業で私は英語も受験も関係なく、「世界にはこういう考え方がある、こういう実験がある、こういう思想がある、なんて面白いんだろう」って毎回心底わくわくできていたのです。勉強ってこういうものなんだ、とはじめてわかった気がしたのでした。その先生に教わったからその科目が好きになった、という体験はみんなあると思います。その逆も。なぜ日常生活では使わない知識を身につけ、将来役に立たない勉強をしなくてはいけないのか、というのは10代の永遠の命題?だけれど、単純に今思うのは、役に立つからするものじゃなくて、面白いからするものなんだと思います。勉強は。ゲームを好きな子供がゲームに熱中するように、面白いことをするのに意義も理由もいらないので。そう考えるとあらためて先生って本当にあらゆる意味で大変な仕事です。その科目を好きになるかどうか、だけじゃなくて、生涯勉強を面白いと思うかどうかがかかってると思うと。

日本の受験のしくみは特殊で、良し悪しを一言ではとても言えないけれど。高校だろうが大学だろうが予備校だろうが関係なく良い先生との出会いは人生の宝。それは絶対です。「これなんだか面白いな、もうちょっとよく知りたいなあ」と思えるようになるために、学生時代というのはある気がしています。好奇心の核みたいなものを活性化するため。知らないことに出会う、という体験は学校や受験は関係なく何歳になっても続いてくものだから。知らないことにワクワクできる心さえあれば、自分でぐいぐい調べるんだろうし、そもそも別に学校なんていかなくたっていいと思います。が、子どもが自力でリーチできる情報は限られているし、先生という職業の人にいっぱい会える、という意味ではやはり学校や塾なんだろうなあ。そしてきっと良い先生とは、語彙とか年号とか公式とか構文だけじゃなくて、歴代日本の総理大臣の頭文字の覚え方でもなくて、知らないことに対峙するときの姿勢(=attitude) を教えられる先生だと思う。特にどういうジャンルの勉強があるのかもまだわからない中高生にとっては。教育って大変だ!子どもを育てるとかがそれのもっと究極形だと思うけど、一体どんなことだろう。

たいして勉強してきてないくせにえらそうなことを書いてしまった上、結局世の中いろいろ面白いと思っているうちに本来の目的が本筋じゃなくなってしまい(汗)、予備校をやめて高3の夏から留学したのでまともな受験はしなかったわけですが。私は今も言語を学ぶのが好きだし、心理学とか哲学とかの話をするのもとても好きです。私があの授業で得たものって大きいかったんだなあと昨日改めて思ったのと、もしかしたら10代の若い人もこのブログを読んでくれてたりするのかもしれないな、と思ったのでつらつら書いてみました。

てへぺろ。(って女子高生の間で流行ってると聞いたんですが。なんだそれ。)