スーちゃん

やっと、このことについて書こうと思いました。

大野家の猫、本名スバルくん、愛称スーちゃんは、2013年4月8日22時過ぎに、腎不全でこの世を去りました。まだ8歳になるかならないかでした。めりこんだ顔面は褒めようにもどうにもぶさいくちゃんで、でもなんともいえない愛嬌があって、スピリチュアルで、佇まいは高潔でかっこよくて、モフモフのモシャモシャの太陽のにおいがする毛玉で、愛想ないくせにみんなに愛されて、猫生を全力で生ききった偉大な子でした。
最後の瞬間を看取って、ちゃんと空に送り出したにもかかわらず、この1ヶ月、どうしてもそれが現実とは信じられなくて、書くことができませんでした。書いたら本当になってしまうと思うと・・・。普段一緒に暮らしてきたわけではなかったので、こうして東京の家にいると余計に1階においてあるマリモの水をのんでいる姿や、2階のサンルームの陽だまりの定位置でのんびり寝ている姿が浮かんできて、仕方ありません。

今年の2月くらいから腎臓が急に悪くなって、あれよあれよと言うまにご飯を食べなくなり、水を飲まなくなり、点滴による透析が日々必要になって、ガリガリ痩せていきました。一緒に暮らしている家族の大変さや、ずっとは近くにいられない自分のふがいなさや、様子を見に帰るたびにどんどん悪い方向に向かっているのが分かって、どうにもできなくて、何をしていてもずっとスーちゃんのことを考えていました。
今思えばお正月、普段絶対一緒に寝てくれないのにベッドに夜入って朝までいたりして、ちょっと珍しいな、と思ったのを覚えています。いつも遠くを見ているような彼のことだから、ちゃんとわかっていたのかもしれません。

我が家は一族揃って猫好きなので小さいときからうちには常に猫がいました。先に見送らなくてはいけない悲しさもこれまでに何度も味わってきて、その度打ちのめされては一緒に過ごしてくれた奇跡に感謝してきました。

動物と暮らしたことがある人は絶対に避けられない、その出来事について書きたくて、「スピリチュアルかあさん2」を描くときに、スーちゃんの前にうちにいたデナリの話を紹介することにしたのですが、描き始めたときにはピンピンしていたスーちゃんが、描いているうちにこういうことになって、デナリの話を描きながら、動物もちゃんと転生するんだと思いながら、スーちゃんのことを考えて逆に自分が慰められるという変な状態になっていました。

元気なスーちゃんのエピソードをたくさん描きながら、傍らで弱っていくのを見ていなくてはいけないのは辛いものでした。漫画に描いたことで、スーちゃんを知らない人からも「スーちゃんのファンです!」と言ってくれる人が増えたので、描きながら「スーちゃんのファンがいっぱいいるんだよ~。お前は幸せだよ~だから頑張ろう!」とずっと祈っていました。

ほとんど動けなくなってからも、「スーちゃん!」といつものように呼ぶとしっぽをパタパタと振ってくれたスーちゃん。いつ呼んでも、何回呼んでも、絶対やってくれたのに、ある日もう呼んでもしっぽを振ってくれなくなって、鼻に管まで通されて食事も注射器になって鼻炎も併発して、いよいよ危ないかもしれないとなってからも、9ヶ月妊婦だった私はそんなにフットワーク軽く戻ることができず、待ってて、どうか間に合って、と全力で祈っていました。都合をつけて飛んでかえったまさにその日、私がやったミルクを飲んだのを最後にスーちゃんは旅立ちました。最後の何時間かは私はスーちゃんのしっぽをずっと握って、「愛してるよ~う」と繰り返し声をかけていました。近くにいられなかったふがいない飼い主の私なのに、そしてあんなにも具合が悪かったのに、私が帰って顔を見るまでちゃんと待っていてくれた、頑張り屋さんの優しいスーちゃん。しっぽを振れなくても、じっと見つめ返してくれたあの目を忘れません。

GWにふたたび帰省したとき、ピアノの上のコンパクトな壺に入ったスーちゃんを見て、ああやっぱり本当にいなくなっちゃったんだ、という事実がもう一度ズシンときて、わかっていたはずなのにまだ向きあえていなかったんだなあ、だめだなあ、と思ったらまたひたすら泣けた。

悲しくなるのわかってるんだから見なければいいのに、スーちゃんがうちにやってきた日のブログなんか、つい読んでしまったりして、名前をつけた日のことを思いだしてしまったりして・・・。(子猫の頃はジャニーズ系の美形だったことがわかります!)

デナリもそうだし、その前にいてくれた子たちもそうだけれど、寿命の長短は関係なく、人間の家族として暮らしてくれる動物は本当に強い。そして、限りなく寛大で優しい。動物は旅立つ時期をちゃんと分かって、受け入れている。いつだって旅立つ側の方がよっぽど潔く覚悟をしていて、見送る方がぐだぐだとその事実に抵抗する。

人間のようにコミュニケーションとれるわけではないから、彼らが本当の本当にどうしてほしいのかはわからないし、どうしたらいいのかこちらもわからない。管だらけにさせるのも、痛い毎日の注射も、本来の野生からはずれてる人間のエゴなんだろうし、治らないとわかっていて本人が辛い治療を続けさせることの是非も何度も何度も考えた。それでもちょっとでも長く生きて一緒にいて欲しいと、どんなわがままであっても、もう一日一緒にいたいと、そう願うことしかできない。
動物はどうしたって、ほとんどの場合先に逝ってしまう。
人間よりも短い寿命を、私たちと一緒に暮らすために捧げてくれて、たくさんの幸せをくれる。
だから一緒に過ごせる時間を全力で大切にしたい。

スーちゃん、一緒に暮らしてくれたこと、家族でいてくれたこと、楽しくて幸せな時間、もだえそうな可愛いしぐさや、私のアホないたずらにもイヤな顔せず付き合ってくれたこと(元からイヤそうな顔だからわからなかっただけかもしれないけど)、一生思い出し笑いできそうな面白い姿をたくさんたくさん見せてくれて、ありがとう。うちにきてくれてありがとう。

スーちゃん2

漫画の表紙に私よりも大きく登場したスーちゃん、完成したら見せてあげたかったのに、発売日にほんのちょっと間に合わず、旅立ってしまいました。だからスーちゃんを空に送る箱には、届いたばかりの最初の1冊目を一緒に入れました。向こうで読んでね。読み直して切なくなっても、スーちゃんのことをこうして記録に、記憶に、残すことができて良かったと今は思えます。
私よりよっぽど悟っててスピリチュアル能力が高かったスーちゃんのことなので、新しい世界をあのしかめっつらの般若顔でノシノシあるいているだろうし、デナリ含めその世界の先輩たちに合流して旅を楽しんでいるだろうし、きっとすぐ転生して、また地球にやってきてくれるような気がしています。

そうしたら、また、うちにきてね。クーちゃんもいるしね。

スーちゃんありがとう。

そしてスーちゃんを好きといってくださったみなさま、愛してくれたみなさま、ありがとうございました。

こういう形での悲しいご報告になってしまいましたが、魂は永遠!だし、思い出は魂にいっぱい刻んであるので、ずっとそれを心の中に持ってスーちゃんと暮らしていこうと思います。

スーちゃん3