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出産した日の話。

何時にこうなって、何分にこうなって、みたいな生々しい出産ドキュメントは実は出産直後に書き終わっていました。でも産後ハイの状態で書いたのでブログに載せるにはあまりに生々しい上に長かった・・・。だからちょっと落ち着いて。
産後の話を先に書いているので順番は前後してしまいますが、2ヶ月ほど経つ今思うことを。
出産は100人いれば100通り、どっちが楽も何が普通もないのは当たり前。偉そうに語れるものでもないので、ただの私の記録です。私も出産前にいろんな人のエピソードをブログを読んだりしたのが意外に不安を軽減してくれたり、参考になったりしたので。

私の出産は破水から始まりました。予定日4日くらい前だったので、呑気に下北沢で一人大山茶苑のカキ氷を食べてたら、いきなりだらーっと高位破水。初産は遅れるもんだと勝手に思っていたので、準備が整ってないままあわててバタバタ入院してから生まれるまで丸2日間。

臨月に入ってから「入院から5時間のスピード安産でした!」とか言っている自分を引き寄せようと、あらゆるスピリットに祈り、イメージ&現実化しようとしたのですが、結局世界は鏡、私の深層の中にある不安の方をしっかり引き寄せてしまったようです。宇宙はごまかせない!

その間、とにかく繰り返し思ったのは

え?街を歩いているお母さんたち、みんな本当にこんなことに耐えたの?!
こうやって太古の昔から人間は増えてきたの?!

まじか!!すげーな!!!

でした・・・。

自分の母はもちろんのこと、世の中の全ての経産婦さんに平伏して頭をこすりつけてハハーッとしたい気持ちでいっぱい、へたれの私にはあらゆる意味で想像を超えてたし、これまでの人生で思っていた「自分の体に可能なこと」の限界をはるかに突破できたことに自分で驚いた体験でもありました。なにしろ運動音痴で、あらゆるスポーツを避け、体を酷使したことのないまま過ごしてきた人生でしたので・・・。

陣痛から始まるパターンと、破水から始まるパターンがあるのは知ってたのですが、陣痛からの方が良いんではないか?と思います。比較できないしどっちにしろ選べるものではないですが。いきなり破水するとギョッとするし、陣痛がきていなくても感染をふせぐため即入院になってしまうし、破水から24時間以内に生まなくてはいけない、みたいなタイムリミットが設けられてただでさえ極限なのに焦りが加わるという・・・。入院してしまうとそこから非日常になってしまうので、どうしても消耗します。陣痛の感覚が狭まるまで、家でリラックスして過ごす、とかが出来たらよいのかも。でもどちらにしろ、はじめてだらけの渦中でそんな余裕があるわけはない。

出産にはずっと夫のうしくんと、母ゆりこが立ち会ってくれたので、心強かったです。2人いてくれたから交替で休んでもらえたし、絶妙な連携プレーが可能になりました。

陣痛はとにかく壮絶&悶絶の一言。あの下手な赤富士からもわかるように!最初は重い生理痛くらいなもんで、これなら耐えられる、と思ってたのですが、最終的には声が枯れるまで絶叫しました。私の病院はなるべく促進剤を使わないという主義だったため、破水から40時間が経過しても分娩に至れず、寝ないで食べないで、全然開かない子宮口に泣きそうになりながらただただ陣痛に耐え、もう母子ともに限界!となったときに結局促進剤が使われたので、一番体力が必要で、痛みもピークになった時点で既に全員疲労困憊。

明日のジョーでいうと、燃え尽きて白い灰になったところから、決勝戦始まった!みたいな感じ。

促進剤が投与されてからの痛みはそれまでの比ではなく、腰骨に五寸釘が特大トンカチでガツンガツンと打ち込まれているような衝撃がエンドレスでおそってきました。「鼻からスイカ」とかいろいろ例えられていますが、私には「骨が吐きそうな痛み」でありました。吐きそうで吐けない、オエッオエッというあの苦しみが全身の細胞で起こっている感覚でした。

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ちなみにこの時点で3日目の朝10時くらいだったのですが、想像を絶する痛さに、もうこれは出てくる感じだろうさすがに、と思って助産師さんに「そ・・・そろそろですよね?」と期待をこめて聞いてみたところ、

「そうですね~日が暮れるまでには産まれると思いますよ!」

のあっさりした一言。

3人の心が完全に折れた瞬間!笑

これ以降はもう意識が飛び飛びで時間感覚が曖昧なのですが、結局生まれたのは実際日が暮れる頃、午後16時36分。子宮口がちゃんと10センチ開いてからも、うまく赤子が回転できてないとか降りてこられてないとかいろいろあって、永遠に続くかと思われた不安と痛みの後、最終的に「さあ、思いっきりいきんでいいですよ!」と言われたときは神の啓示かと思いました。

ここからが不思議な体験でした。

いきんでいる間は確かに猛烈に苦しい。でも酸素吸入されていたからか、脳内物質のおかげか、いきみといきみの間の時間は「痛みのない世界」でした。それどころか妙に気持ちがよくって、下手すると恍惚とか陶酔とか言ってもいいくらい。まわりから音がすーっと全部消えて、光だけが目に入って、そのぜんぶを幸せな気持ちで上から客観的に見ていました。「あたまが見えてきましたよ~」の声も、「がんばれ!」の声も、ヴェール一枚隔てた向こうから聞こえてくる。体は毛細血管切らして、パーツが全部顔にめり込みそうなほど頑張っているんですが、精神はふわん、ふわん、と光の中に浮かんでいるような感覚。

そんな魂が体から出たり入ったりするような変な時間がしばらく続いて、「ほら!」の声に我にかえった次の瞬間、光の中から何かがぽわっと浮かび上がって、おなかの上に生暖かい塊がドスッと乗せられて、「ふぎゃー!」という声が聞こえました。そこにいたのは、9ヶ月間お腹の中で一緒に過ごした、小さな人。あったかくて、ぬるぬる。茫然自失でへその緒がチョキンと切られるさまをぼんやり見ながら、その生きてる!という生々しい重さに自然と涙がこぼれました。

しかしその後本来ならカンガルーケアをするはずだったのが、時間がかかりすぎてしまったせいか、子どもは最初の一声をあげたあと静かになってしまい、早々に酸素室にはこばれていきました。どんだけ心配でも動けるはずもなく、胎盤を出したり(痛いし)、切開の傷を縫わなくてはいけなくて(これまた激痛)それにも1時間くらいかかって、クラクラする落ち着かない時間。
いきなりものすごく心配をかけてくれた子でしたが、その1時間後くらいには酸素室から出てきて、シャンプーしてもらって、髪も体もきれいに。呼吸も安定したから大丈夫、と言ってもらえました。あんなにほっとした瞬間はありません・・・。どんなことでも起こりえる現場。医療の発展ですごくいろいろなことが可能になっているから、つい安全と思ってしまうけれど、最終的にはどんな技術も立ち入れない神の領域、母子共に健康な出産はやっぱり奇跡。

しっかり抱っこさせてもらったときには「なんだこの宇宙生命体は!」とドキドキしました。ずっと自分の一部だったものなのに、すごく、ドキドキ。だって、あまりに小さくてシワシワでふにゃふにゃ。愛しい可愛いという気持ちに増して「私がちゃんとしなければどうにでもなってしまう・・・!」と緊張感というか使命感みたいな雷に打たれて再びクラクラしました。体重をはかられたり、ダボダボの服を着せられたりしている様子をみんなで、宝物を見るような気持ちでながめていました。

ということで最初から最後までジェットコースターな2日間、へなちょこな私が母になった日の話。

今もこの世でもあの世でもないような、あのぼんやりした不思議な世界のことをよく思い出します。あれはどこだったんだろう。何もかも光り輝いていた、あの世界は。みんなあそこからやってきて、あそこへ帰っていくんじゃないかと思うような、そんな泣きそうに懐かしいような世界でした。あんな気持ちになれる場所があることがわかっただけでも頑張った甲斐があった!

もしかしたら私もあの時、生まれなおしたのかもしれません。
出産体験なんだか臨死体験なんだか分からないような話。

長丁場でしたが、母ゆりことうしくんがいたからできた、全力疾走でした。2人ともありがとう。出産直後にみんなで撮った写真、私が一番笑顔で、2人はつかれきってます。笑
誰より頑張ってくれた子どもにお疲れさまです。
新米も新米ですが、まだまだよろしくね。

ちなみに何かの参考になるかは分かりませんが、陣痛に際してはとにかく無になって「これは痛いんじゃなくて熱いんだ」と痛みと熱さを脳内ですりかえるゆりこ直伝の手法が私には有効でした。入院グッズの中でもっとも役に立ったのはペットボトルストロー。これは100円ショップで適当に買ったものでしたが、一番活躍しました。例のテニスボールもお役立ちでした。

あとはそんな気分になれなくても、陣痛が本格的にならないうちにちゃんと寝てがっつり食べた方がいいんだという学び。出産は体力勝負。ゼリーとかは飲みやすいけどすぐ消化されてしまうし、最終的にはやはり米!助産師さんも「子宮も筋肉だからちゃんと食べないと力が入らない。それにはライスよ!」と仰ってました。だからちゃんと食べてなかった私は最後、ひたすらガチョウのように食べ物を口に突っ込まれてました。とても食べられるような状況じゃないから首をふるふるとふるんだけれど、無理やりチョコレートやら明太子おにぎりが口に押し込まれてくる味のワンダーランドでした。

どれだけ辛くても、産んだ瞬間に痛みは忘れる!とか言いますが、私はやっぱりあんな痛かったことね~!オラにはもう二度と無理じゃわい!!と今も思っています。でも、痛みを忘れるからまた産めるんじゃなくて、あれをもう一度経験しても、あの光の世界や、そこからやってくる命に会える喜びをまた味わいたくなるときがやってくるのかもしれません。
命から命が生まれることのすごさ。自然なことなんだけれど、実際は複雑で難しい偶然と確率の迷路の最後にやっとこの世にやってくる。今地球にいる全ての人間がそんな奇跡を経て肉体を持ってること、そのことを忘れてはいけないと思います。

お母さん、うんでくれてありがとう。
娘よ、うまれてくれてありがとう。

いつか私も、この子の出産に立ち会う時が来るだろうか?
自分からつながる命の誕生を味わうときが来るだろうか。

ところで関係ないのですが、その病院はなるべく産む人がリラックスできるような形で、ということなのか、出産のときにも分娩着に着替えません。つまり入院した時に着ている自分の入院着のまま、産みます。そして私がその時に着ていたのは、下はユニクロのステテコ、上は「ジョジョの奇妙な冒険」第4部の、オラオラオラと東方仗助がプリントされているピンクのTシャツ・・・。私は、てっきり着替えさせられるものだと思っていたのです・・・。まさかそのままジョジョTで子ども産むとは。透明じゃなくて良かったです。

そのTシャツが仙台の「ジョジョ展」限定販売のデザインだったことに、お医者さんや助産師さんは果たして気づいていただろうか・・・ということがいまさら気になっています。