写真 2013-07-08 12 39 54
小さい人も2ヶ月になりました。あっという間。
最初の頃と比べると輪郭がびっくりするほど丸く、ほっぺもふくらみ、あごも2重になっております。笑

人間の赤ちゃんは、驚くほど何もできない。
シマウマなんて生まれた瞬間から走るというのに、
人間ときたらゲップすらひとりでできない。
赤ちゃんの特技なんて

1 かわいい
2 全力で生きてる

という2点くらいじゃないでしょうか。

赤ちゃんが大きくなるためには、確実に誰かが24時間体制でお世話をすることが必要であり、つまりこの地球に存在してきた「おとな」は、どんな「おとな」であっても、確実にこのあまりに もなにひとつできない時期に、誰かに守られ、抱っこされ、ミルクをもらって、うんちやおしっこを手伝ってもらって、寝かしつけてもらって、生きてたってことなんだなあと思う。

まだここが地球っていう場所だってことも、昼と夜があるってことも、自分に体があるってこともわかっていない感じで、ちっこくて儚げで、首もグラグラなくせにとにかく一生懸命生きてて、快と不快を感じながら、全身くしゃっとなるくらい泣いたり、かと思うと寝てたり、指を差し出せばギュッと強くにぎりかえしたり、クーとかハーとかため息みたいな声を出したり、そして時々ふわーーっと綿菓子みたいな微笑を浮かべたりする。

キュン。

この「キュン」こそが有史以来人類を発展させてきた原動力に違いない。

自分だけの力で大人になれる人なんてこの世界のどこにもいない。どんなに一人で勝手に育ってきたみたいな顔している人にも、全力で人の手を借りて愛に生きてた時期があったこと、忘れちゃいけないなあと思う。

当たり前のこと。当たり前のことほど、忘れがち。

赤ちゃんはきっとそのことをまわりの「おとな」に思い出させるために、キュンの幸福を味わわせてくれるために、わざわざなにもできないで生まれてくるんだと思う。

同時に親の力、与える側の力の大きさを恐ろしく思う。あまりにも真っ白な存在、それをどっち方向にも持っていけてしまう権力。気負う必要はないけれど、その力を自分が持っているんだということも心の中にいつもとどめておこう。

愛しい=大変じゃない、ということではもちろんない。
振り返ってみる2ヶ月は睡眠不足と体の痛みとの戦い。でも苦労したのは物理的なことよりも、自分のペースを完全に新しいものにしていくこと。自分以外の人間に全力でアンテナを向けていくということ。自分のことどころか家事も全然できないし、何もしていないのに何故か忙しくて、一日が終わっていく。仕事が出来ない不安もある。荒れていく家の中で泣いている子を抱えて一緒に泣いてしまうような日もあった。

でも、だんだんそれでいいんだと思えるようになってきた。一人でわき目もふらず走ってた以前のペースで考えてしまうから、一日何にもできない、とどんどん焦ってしまう。手をつないでる子がいるんだから、できてないことじゃなくて、小さなことでも今日はこれができた!という方にフォーカスしたい。
太陽の下で洗濯物が干せた。手抜きだけどごはんが作れた。手紙が一通出せた。近所を少し散歩できた。一日にひとつでも何かできたら、それだけでいいと思って、今はゆるゆる歩いていこう。

何より小さな人が今日もおなかがいっぱいになって、オムツがぬれてなくて、ぐっすり寝ている、それだけでじゅうぶんすぎるほどじゃないか。