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何度引越しをしていても、住んでいた部屋が空っぽになる切なさには慣れることがない。ものがなくなってガランとした部屋は思いのほか広くて、そこで見た風景が部屋の記憶が再生されるみたいに、繰り返し白い壁に映るから。
下北沢に越してきたとき、私は変なことばかり続いてすっかりよどんでいた。空気のうすい洞窟を手探りで歩いているみたいな毎日だった。その前に住んでいた家であまり良いことがなかったから、よしもとばななさんから「もしもし下北沢」の新聞連載の挿絵のお話を頂いたのをきっかけに、気づいたら下北沢に自分も住んでいた。下北沢なんて大学生になるまで行ったこともなくって、なんだかオシャレな人しかいちゃいけないイメージで、演劇や映画を観にいったりすることはあっても、自分が住むことになるなんて考えたこともなかったのに。

越してきた日のことをよく覚えてる。ダンボールに囲まれて電気もないのに、新しいことが始まる予感にひたすらワクワクして「下北沢にきたからにはまずはシンボル?である餃子の王将を食べねば!」と勝手に思って餃子を2人前買ってきて、ごはんだけ炊いて、一人でむしゃむしゃ幸せな気持ちで食べたのだった。

「もしもし下北沢」は大きな喪失を抱えた主人公が、下北沢という町とそこにいる人たちに救われて、少しずつ再生していく物語で、私はすっかり自分を主人公のよっちゃんに重ねてしまって、物語の世界を生きながら毎週下北沢の絵が描けることが幸せで仕方がなかった。そして実際に連載が終わる頃には下北沢のエネルギーに包まれて、すっかり再生してしまったのだった!ばななさんの物語には、本を閉じても消えない魔法の力があると思う。

そこから6年間。29歳だった私は35歳になった。
越してきたときは1人だったのに、街から出て行くときには3人になっていた。この町でピノは生まれたのだ。退院したてのほやほやのふにゃふにゃを抱えて、病院から下北沢の部屋に戻った日のことは忘れない。

たくさんの人に助けられた。本当にいろんなことがあった。

人生が変わるきっかけをくれ、ことある毎に手を差し伸べて助けてくれたばななさんにはどれだけの感謝も足りない。チームで頑張ったもしもし下北沢関連のたくさんのイベントのひとつひとつが忘れられない思い出。どんな時もご近所にいてくださることが心強かったし、道でぱったり会えたりポストにお土産を発見したりするのも日々の幸せだった。弱る度、悩む度、頭で考えてラクチンな方に流さそうになる度に、その大きな優しさと厳しさが行くべき道を正し、照らしてくれた。

店の前を通ると毎回変わらず「あ、まいちゃん」と手をふってくれるティッチャイのみゆきさん。どれだけここでごはんを食べただろう。ティッチャイのごはんで私の体はできている!具合が悪いとき、死ぬ程忙しいとき、家まで届けにきてくれたみゆきさん。ティッチャイという場所を通じて出会えた仲間たちや精霊や守り神に囲まれてごはんを食べるとほっとした。ピノも汁麺(「たいちょーちゅるちゅる」と呼んでいる)で大きくなった。

震災の時も、その後の不安な日々も、下北沢にいて仲間が近くにいたことでどれだけ救われたか分からない。みんなでできることをしようと、すごい世界を持つサボテン春菜ちゃんの歌声率いる春風合唱団が結成されて、その後もたくさんの場面で一緒に歌った。

なんでもそうだけれど、いつも後から振り返ってそれが特別だったと分かる。つきまさでお茶を飲みながらかめまさくんを眺めたこと、茄子おやじでカレーを食べたこと、モルティブの豆が好きで引き出物にしたこと、B&Bで本や家具を見たりトークショーをさせてもらったこと、ピュアロードでフリマしたり歌ったりしたこと、ワンラブではっちゃんといろんな話をしたこと、ソレイユの山本さん夫妻と子育てトークしながら髪を切ってもらったこと、タッキーさんとはどこで会っても最終的にいつも宇宙の話になること、近所にこしてきた勝俣くんちに夜中遊びにいったこと、雅子さんとラーメン屋を求めてさまよったこと、大山茶苑でかき氷食べてたら破水した(笑)こと、ピノを通じて出会えたママ友たちとランチ場所を開拓したこと、ピノがまだ小さい時、寝かしつけてから一瞬トロワシャンブルにいってシナモントーストを食べるのが至福だったこと、inspired by Starbucks で個展させてもらってかっこいいスタッフさんたちと友達になれて嬉しかったこと、パンとごはんの奥さまに赤ちゃんが生まれたこと、天狗祭りやカレー祭りやイカ祭りやとにかくいろんな祭りに参加したこと、たくさんのライブや、演劇をみたこと。毎年の楽しみだった緑道の桜、今年も最後に見ることができて嬉しかったこと。

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 下北沢の一番好きなところは、「人」に出会えるところ。ぶらぶら歩いているといつも誰かに会えて、なんてことのない立ち話をするだけで一日が楽しくなる。「知り合い」だった人がいつの間にか「友達」になっている。旅から戻って下北沢の駅を出る度「南口商店街」のゲートが「おかえり」と言ってくれているようでほっとした。超方向音痴の私もいつの間にか気づけば迷路みたいな下北沢でも迷わなくなった。今日はこのルートで散歩しようかな、あっちから回ってあれを買って、あそこでお茶しようかな、ここにいったらあの人いるかな、ぐるっとまわって最後にオオゼキに寄ろう、あ、なんか新しいお店できてる!仕事で煮詰まっていても、散歩に出れば帰る頃にはすっかり気持ちも軽くなっていた。

ピノが生まれたときにも実は1回引越している。その時に一度下北沢以外に住むしれないという話になった。1人暮らししていた家は3人にはあまりに狭かったからだ。下北を出れば、もっと安くて広くて子育て向きなところに住める。うしくんと散々話し合った。でもいくら話し合っても最終的には「ティッチャイに歩いていけないところじゃやだよねえ」という結論に達して、結局下北から下北に引越したのだった。

いつでもわさわさ、がちゃがちゃしていて、「閑静」という形容詞の真反対みたいな場所。常にどこかで何かが起きてて、デフォルトでお祭り騒ぎで、部室みたいで、統一感なんてまるでなくって、でも色が混ざりながらも濁ることはなく、不思議と綺麗な絵みたいになっている町。
ばらばらのゴールを目指している旅人同士がたまたま同じ方向に向かう乗り合い船に乗っていた、当然のように過ごしていたけれど、出会えたことや一緒に過ごせた毎日こそ奇跡だったんだと今はとてもよくわかる。これから先どこに住んだとしても、人生の特別な時期を過ごしたこの6年間のことを思い出さない日はないだろうと思う。

今は、寂しいけど、こんなに寂しいなと思える存在に、出会えたことの方がずっと幸せだ。離れてもなくならないし大丈夫だ、と確信を持って言える関係を築けたことが、誇らしい。町とそういう関係を築けたことが今まで一度もなかったから、それもきっと下北沢という場所ならではの力なんだろうと思う。

東京に住んで12年。そのうちの約半分が下北沢。中にいると分からない奇跡に気づかせてくれるため、流れはやってくる。後から振り返って初めてわかる、「必要な体験」のため、変化はやってくる。「逢沢りく」も読んだことだし!タイミングの神様の采配、一度きりの人生、ぐーんと動いたほうが面白いに違いない。

大好きな下北沢の、大好きな人たち。これからはいろいろな場所で会えると信じて。
私の大好きな人たちがいる、大好きな町。
ありがとう、下北沢。さようなら、下北沢。

そして新しいおうち、新しい町、これからどうぞ宜しくね。
両親が育った町。阪急電車に乗っていると、10代の父母の姿が見えるような気がする。実家は遠くなっちゃったけど!
新しい扉が開くのがわかる。

いつかひょっこり戻ることが、あってもなくても、それでもあの駅に降りる度にやっぱり南口商店街のゲートは「おかえり」って言ってくれると思うんだ。

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みゆきさんと葉山で。