gohan
毎日会う保育園のママたち、それは志を同じくする戦友みたいなもので、日々とても助けられる存在。
そして毎日必ずといっていいほど、かわす会話がある。
それは

「今日の夜ご飯なに??」

である。

もう本当に。
日々のごはんづくりって、大変ですよねみなさん!
朝ご飯を作ったと思ったら、次は昼ご飯。昼ご飯を作ったと思ったら、次は夜ご飯。夜ご飯を作ったと思ったら、次は明日の朝ご飯。作っても作ってもすぐ「次」のことを考えなくちゃいけない。

ネム1歳はまだ大人と全く同じものはまだ食べられず、別に3食作らなくてはいけない。ピノもしっかり食べる今、そちらのごはんも適当にばかりはしていられない。そして、こんなタイミングで突如昨年末から夫のうしくんが「グルテンフリー宣言」をし、毎日の献立作りは更に複雑な様相を呈しているのである...。

献立を考える、というのはだいたい(私の場合は)1週間をひとつの単位とした綿密なパズルみたいなもので、何をどういう風に消費するか、無駄をなるべくなくすにはどうしたら良いか、ということがとても重要である。

夫のみなさん、妻が毎日「今日は家で食べるのか」ということをしつこく聞くのがうっとうしいかもしれませんが、でも、大人一人(特にグルテンフリーを実践している人(笑))が食べるのか食べないのか、ということはこのパズルにおいて実にいろんなことを左右するのですよ!

主夫の方の場合はこれらの話は全て逆になりますが。

料理の何が大変って「献立を考える」ところ。
元から得意でもないから日々ネタ切れ。
更に時短で作れるもの、となるから、結局同じものばっかり。
「作る」のは実はそんなに大変ではない。
誰か考えて!指定して!作るのはやるから!と日々思う。

だからこそ母たちは毎日情報交換して「明日うちもそれにしよ〜」と参考にし合ったり、レシピや、スーパーのフェアや、おいしいお惣菜やさんを教えてもらったり。感謝なのです。

毎日作っていないサイドの人は、だいたい「そんなに大変なら作らなくていいよ」とか「週末は外食しよう」とか、「出来合いのもの買ってきたらいいよ」とか言うものである。しかし!じゃあそれでいっか♪で解決するかというと、そうでもない。
その1回の、その1食の問題ではないから。
食事ってとにかく大人はどうにでもなるけれど、子どもたちは何かにつけそういうわけにいかない。

そして外食をして作らなくていい片付けなくていい楽さと、お店に迷惑をかけないように子どもを制御し食べさせて、自分も食べる、という労力って釣り合わなかったりもして、自分は何を食べたか覚えてない、なんてことの方も多い。

週末のスペシャルな外食より、日々の地味な買い出しを手伝ってくれる方がよっぽど主婦、主夫は助かるのであります。

それでいてしかし、毎日作ったものを「おいしい」と食べてくれる相手がいたならば、作る側は嬉しいし、やりがいもある。 もっと頑張ろうと思える。うしくんは私の作るものが失敗でもマンネリでも文句を言わずおいしいと食べてくれるので、そこは感謝である。

そこで登場、3歳1歳の気まぐれザウルスたち。

食べたいというから作ったのに、いらない、と言われるのは当たり前。
ネムは食べたくないものには固く口を閉ざし、なんなら床に投げつける。
ピノも「これはイヤ」となると一口も食べないことも多い。

家でも外でも、食べてくれるかどうか、というのが本当、目の前に出すまで読めない。

そうすると、これならいけるか、という安全パイをとるからますますマンネリ化する。自分は食べたいけど、子どもは食べないもの(葉っぱのサラダとか)はすっかり作らなくなった。
もっと肩の力を抜けばいいんだけど、今でも十分手抜きしてるんだけど、結局毎日何かしら作らなきゃいけないことに変わりはない。「人間が食べ溜めできる動物だったらいいのに」と食に関して自他ともに認める食いしん坊である私が思ってしまうほどである。

ピノも4歳が近くなり、いろんなことが分かっているので、例えば2日続けてカレーを出したりなんかすると、「え、またカレーかい」とか言ってくるし!

こちらが栄養を考えてちゃんと作ったものは食べてくれないことも多いくせに、先日もー今日は疲れたと思って、レトルトのハヤシライス(ドラッグストアとかで売ってる、90円とかのやつ)をごはんにかけたものだけを出したら、「おいしい〜〜!!!」を目を輝かせて完食し、次の日に保育園の先生に「きのうママが作ってくれたハヤシライス、すっごくおいしかったんだ〜!」とか言ってるし!

隠れてマヨネーズ吸ってるし!

そういうもんですよね、子どもって…

それでもピノのいっている保育園にはおいしい給食があるので、本当に助かっている。なんなら私も一緒に食べたい…。これでお弁当も加わったりしたら、想像もできないなあ。

基本的には、食事作りが私の役割であることは子どもらが家を出るまでにはずっとそうなんだろうから、道のりは長いなあ、と遠い峰を眺めるような気持ちで今日も未来の献立を考えるのである。

楽したい、解放されたい、と思いながら気づくと、おいしそうな食材や、旬の野菜を見てワクワクし、キッチン用品を見て心踊る自分がいるのである。圧力鍋、欲しいな。無水鍋もいいな。スペースパンってどうなんだろう。これとこれを組み合わせたら美味しいかも、よし、今度作ってみよう。やっぱり、料理は好きなんだな、とは思う。あくまで、それに集中できる時間をもらえるならば、ということですが!(今は作ってる側から中断されるので、いかに素早くやるか、という焦った気持ちしかないから全然楽しめない...)

そして、やはり、食事作りの大変さを感じるたびに、母ゆりこのことを思うのである。料理の苦手な母ゆりこ、唐揚げをどうしてもカラッと揚げられなくて、いつでも焦げてべちゃっとした唐揚げしか作れないゆりこ、母の得意料理とは何だったか、と今聞かれても、正直、「これ!!」というものを私は挙げられないが(笑)でも、だからこそ、私と妹が家を出るまで、本当に頑張ってくれたんだなあ、ということが今になってひしひしとわかる。
中学、高校時代、私も妹もずっとお弁当だった。その頃には仕事を再開していた母がどれだけ大変だったかと思う。ほとんどが茶色のみで構成されていたあのお弁当を思い出すと、私の血は、肉は、母ゆりこが費やしてくれた時間で、できているんだなあと実感する。

よし私も頑張ろう、と思う。もうちょっと、レパートリー増やさないと。

手は抜きつつ、でもいつかピノとネムに「これほんとおいしい!!」と
言ってもらえるものが作れることを夢みつつ。