レストランで、カフェで、何かを食べたいと大騒ぎし、注文したものが運ばれてくると、「いらない」と一口も手をつけない。
雨の日、両手がスーパーの袋でふさがり、傘をさし、更に抱っこ紐に10キロの赤子を入れている母に向かって「だっこ!!」と喚く。
言われた通りのことを言われた通りにしているのに、「ちがーーーーーう!」と怒る。
登ったら落ちるよ、と繰り返し言っている場所に登って、案の定落ちる。
渋滞に巻き込まれた車内で、持ってきてないものを出せと騒ぐ。
母に分身の術を要求する。
こちらが聞いたこともないルール(母は先に階段を登ってはいけない等)を「なんでそんなことしらないの?」みたいな勢いで主張してくる。
どうですか~~
怖いでしょ~~~ホラーでしょ~~~
全部実話どころかあるある幼児エピソード〜〜〜
大人的感覚でいう「正しいこと」(約束は守りなさい、危ないことはやめなさい、人が嫌がることをしてはいけません等)を言っているだけなのにキレられる理不尽さよ。私が「やめなさい!」と少しでも強引に引きはがそうとしたものなら、「ままがいたいことしたあ!!」と極悪人扱い。涙
ピノももうすぐ4歳、ますます色々なことが楽しく、そして難しく。
「魔の2歳」期間が終わったら、楽になるのかと思いきや3歳になってからの方が手こずることが増えました。イヤイヤ期と反抗期は別なのか!?そして「天使の4歳児」だという噂は本当なのか?都市伝説なのか?!
ピノは親の私から見ても「おっとり」とか「のんびり」という言葉の真逆をいく性格をしている。活発で、よく喋って、一刻も止まっておらず、感情の起伏が激しい。(ちなみに、ネムもである…どうなるんだこれから。)近頃はとにかく思春期のような感じというか、急速に発達する精神に、感情が追いついてない印象。「子どもである自分」に憤っている。妙に大人っぽい面があると思えば、赤ちゃんに戻ったみたいになることも多く、複雑なお年頃なんでしょうなあ。
なんやかんや、理性の通じないザウルス、ネム1歳の方の世話でいっぱいいっぱいになってしまうことが多いので、我慢をさせてることも多いのだと思うから、そこは申し訳なく思っている。その気持ち、長女である私はよくわかるからこそ。
本当に分身の術が使えたらいいのにな。
最近の私はよく「ママひとりしかいないんだから!!」と怒鳴っている気がする。「やってあげたいけど、できない」それもまたストレス。
もちろん、成長したからこその歓び、楽しさもたくさんある。
例えば最近はもう普通に会話が成り立つので、カフェで女子トーク的な感じにピノと盛り上がることもできるのである。「ママさあ、きょうこんな失敗してさ〜しょんぼりよ」とかいうと「だいじょうぶだよ、だってままはわざとじゃなかったんでしょ、ピノちゃんがげんきをあげる」とか言ってくれたりなんかして!いつのまにこんないろんなこと言えるようになったんだろう、と感動する。
それにピノが作るもの、描く絵がとっても私は好きで、ハッとするようなインスピレーションをいつももらっている。子どもの作り出す線や形は、本当に自由なんだよなあ。だから、粘土を一緒にこねたり、お絵描きするのはお互い真剣に、何時間でもやっていられる。
3歳って何かと不安定で、そこが面白いところでもあり、行き詰まるところでもある。いろんなことが、わかるようになったからこそ、楽しいし、わかるようになったからこそ、ごまかしがきかなくなる。「その場しのぎ」が通用しなくなるし、言い返されて言葉に詰まることも増えた。
先日こんなことがあった。とにかくなんでもすぐ買ってほしがるピノに私が「お金はそんなに簡単なものじゃないんだよ、お金をもらうっていうことは大変なことで、ママもパパも頑張ってお仕事をしてるからもらえるんだよ、だから大事にしなくちゃ」的なことを言ったら即座に「だってピノたくさんあそんでるよ、ママいつもピノちゃんは”あそぶのがおしごと”っていってるでしょ、ピノなんでおかねもらえないの。」
ぐう。
と、こんな感じで、こちらの矛盾点をついてくる。
「なんで?」「どうして?」攻撃も、鋭い。
「なんでおとなだけびーるをのんでいいの?」
「かいしゃってなに?」
「なんでふゆのつぎは、はるなの?」
「にじってなにでできてるの?」
なんで?なんで?なんで?である。
3歳児にとって、なんて世界は不思議に満ちてるんだろう。
しかし私もわからないことばっかりである!
子どもは、私が言うことをものすごく真剣に聞き、そして吸収してしまう。一回適当に言っただけのことを、すごく細かく覚えていたりする。だから、適当で一貫性のないことを言ってしまってはいけないと思うのに、忙しかったり余裕がなかったりすると、なんで攻撃にうんざりして「そういうもんなの!そうなってるの!」としか言えなくって混乱した顔にさせてしまうのだ。
幼児にとって、親は「絶対」。
そんな誰かにとっての「絶対」である自分について考えているとクラクラしてしまう。全く自信が持てない私がピノとネムの親であるということが、自分で不安だ。
そんなわけで相変わらずしょっちゅう自己嫌悪に陥っているわけですが、とにかく未熟なのはどうしようもないから、少なくとも自分が未熟であることを子どもに隠さず、嘘はつかず、わからないことはわからないと伝えて、なるべくフェアな関係でいようと思っている。「うん、ごめんそれママもさっぱりわからないから、今度しらべておくわ」と伝えるようにしている。
それから、ピノが何かに固執してイーーーッとなっている時は、
とにかく
「願いをいったん叶える」
というのが最近の私の方針。
ものを買え系の願いは「いったん」叶えるというもんでもないので、ケースバイケースですが、とにかく「やって、できること」は、できるかぎりやってあげる(という姿勢を見せる)こと。
例えば、雨の中抱っこをせがまれたら、頭ごなしに無理!!!というのではなくて、一旦どこかで雨やどりして荷物や下の子を降ろしてでも、抱っこしてあげる。
料理をしている時に「遊んで!」となったら、一旦火を消してでも、遊ぶ。
寝る前になってテレビを観ると騒ぎ出したら、一旦つける。(だめ!ではなく、つけてもいいけど、10分で消すよ、いい?などと中庸の選択肢で約束させる)
遠回りなようで、これが近道。
この「一旦」というのがポイントで、それをすることで沸騰している鍋の「差し水」になるというか、そうするとすーーと落ち着いて、すぐ自分から「歩く」といったり「消す」といったりするのです。イーーッとなってる3歳児というのはグラグラ煮え立ってるだけで、本当にそれを望んでいるのかなんて自分でもわからなくなっていて、単純に「ママは自分の味方なのか?」ということを試したいだけなんだと思う。密室にもんもんガスがこもっている時に一緒に燃えても酸素不足に陥るだけなので、とにかく窓をあける。一旦、風を通すことで、空気がリセットされる。
それに、どんなにメチャクチャを言っているようでも絶対に本人なりに筋の通った「理由」があるので、それをじっくりと聞く。そうすることで、落ちついていく。「上着を着たら、下に着ているTシャツのキツネさんが外が見えなくなってかわいそう、だから着たくなかった」といったように。
そして、それでもだめなら!
「問答無用ハグ」攻撃である!
泣き喚いている3歳児をとにかくハグして、暴れても押さえつけてハグして(笑)何いってるかも関係なく「すきだーーーーー!」と言うだけというシンプルな最終兵器である。「どうしよう〜!ママピノちゃんのこと、すっごくすきなんだけど!!!!!どうしたらいいと思う!?」とか言うと、「えー…?しらないけど。」とかいいながらもなんか落ち着くのである。
テキトーだ!しかしテキトー上等だ!
「凍死、餓死しなきゃ合格」というくらいまでハードルを下げられたらこっちのもん。
子どもは如実の母の心を反映する。鏡みたいに。だからこそ、日々の育児のコツはなにかと「じっとりしない」ことにつきるなあと思う。カラッとね。自己嫌悪に陥ったら、真剣に反省し、そして忘れる!前にも書いたなこれ...成長してないってことかしら!?
同じところをぐるぐるまわっているようで、ちょっとずつ上昇していく、そんな螺旋階段を歩いていられたらいいなと母は今日も試行錯誤です。
満面の笑顔で飛びついてきて、
「ピノちゃんねえ、ままのこと、だいすき!うちゅうから、とびだすくらい!!」
とほっぺたをこすりつけてくる、そんなご褒美だってもらえるんだから、なんだって頑張れるのだ。
ピノももうすぐ4歳、ますます色々なことが楽しく、そして難しく。
「魔の2歳」期間が終わったら、楽になるのかと思いきや3歳になってからの方が手こずることが増えました。イヤイヤ期と反抗期は別なのか!?そして「天使の4歳児」だという噂は本当なのか?都市伝説なのか?!
ピノは親の私から見ても「おっとり」とか「のんびり」という言葉の真逆をいく性格をしている。活発で、よく喋って、一刻も止まっておらず、感情の起伏が激しい。(ちなみに、ネムもである…どうなるんだこれから。)近頃はとにかく思春期のような感じというか、急速に発達する精神に、感情が追いついてない印象。「子どもである自分」に憤っている。妙に大人っぽい面があると思えば、赤ちゃんに戻ったみたいになることも多く、複雑なお年頃なんでしょうなあ。
なんやかんや、理性の通じないザウルス、ネム1歳の方の世話でいっぱいいっぱいになってしまうことが多いので、我慢をさせてることも多いのだと思うから、そこは申し訳なく思っている。その気持ち、長女である私はよくわかるからこそ。
本当に分身の術が使えたらいいのにな。
最近の私はよく「ママひとりしかいないんだから!!」と怒鳴っている気がする。「やってあげたいけど、できない」それもまたストレス。
もちろん、成長したからこその歓び、楽しさもたくさんある。
例えば最近はもう普通に会話が成り立つので、カフェで女子トーク的な感じにピノと盛り上がることもできるのである。「ママさあ、きょうこんな失敗してさ〜しょんぼりよ」とかいうと「だいじょうぶだよ、だってままはわざとじゃなかったんでしょ、ピノちゃんがげんきをあげる」とか言ってくれたりなんかして!いつのまにこんないろんなこと言えるようになったんだろう、と感動する。
それにピノが作るもの、描く絵がとっても私は好きで、ハッとするようなインスピレーションをいつももらっている。子どもの作り出す線や形は、本当に自由なんだよなあ。だから、粘土を一緒にこねたり、お絵描きするのはお互い真剣に、何時間でもやっていられる。
3歳って何かと不安定で、そこが面白いところでもあり、行き詰まるところでもある。いろんなことが、わかるようになったからこそ、楽しいし、わかるようになったからこそ、ごまかしがきかなくなる。「その場しのぎ」が通用しなくなるし、言い返されて言葉に詰まることも増えた。
先日こんなことがあった。とにかくなんでもすぐ買ってほしがるピノに私が「お金はそんなに簡単なものじゃないんだよ、お金をもらうっていうことは大変なことで、ママもパパも頑張ってお仕事をしてるからもらえるんだよ、だから大事にしなくちゃ」的なことを言ったら即座に「だってピノたくさんあそんでるよ、ママいつもピノちゃんは”あそぶのがおしごと”っていってるでしょ、ピノなんでおかねもらえないの。」
ぐう。
と、こんな感じで、こちらの矛盾点をついてくる。
「なんで?」「どうして?」攻撃も、鋭い。
「なんでおとなだけびーるをのんでいいの?」
「かいしゃってなに?」
「なんでふゆのつぎは、はるなの?」
「にじってなにでできてるの?」
なんで?なんで?なんで?である。
3歳児にとって、なんて世界は不思議に満ちてるんだろう。
しかし私もわからないことばっかりである!
子どもは、私が言うことをものすごく真剣に聞き、そして吸収してしまう。一回適当に言っただけのことを、すごく細かく覚えていたりする。だから、適当で一貫性のないことを言ってしまってはいけないと思うのに、忙しかったり余裕がなかったりすると、なんで攻撃にうんざりして「そういうもんなの!そうなってるの!」としか言えなくって混乱した顔にさせてしまうのだ。
幼児にとって、親は「絶対」。
そんな誰かにとっての「絶対」である自分について考えているとクラクラしてしまう。全く自信が持てない私がピノとネムの親であるということが、自分で不安だ。
そんなわけで相変わらずしょっちゅう自己嫌悪に陥っているわけですが、とにかく未熟なのはどうしようもないから、少なくとも自分が未熟であることを子どもに隠さず、嘘はつかず、わからないことはわからないと伝えて、なるべくフェアな関係でいようと思っている。「うん、ごめんそれママもさっぱりわからないから、今度しらべておくわ」と伝えるようにしている。
それから、ピノが何かに固執してイーーーッとなっている時は、
とにかく
「願いをいったん叶える」
というのが最近の私の方針。
ものを買え系の願いは「いったん」叶えるというもんでもないので、ケースバイケースですが、とにかく「やって、できること」は、できるかぎりやってあげる(という姿勢を見せる)こと。
例えば、雨の中抱っこをせがまれたら、頭ごなしに無理!!!というのではなくて、一旦どこかで雨やどりして荷物や下の子を降ろしてでも、抱っこしてあげる。
料理をしている時に「遊んで!」となったら、一旦火を消してでも、遊ぶ。
寝る前になってテレビを観ると騒ぎ出したら、一旦つける。(だめ!ではなく、つけてもいいけど、10分で消すよ、いい?などと中庸の選択肢で約束させる)
遠回りなようで、これが近道。
この「一旦」というのがポイントで、それをすることで沸騰している鍋の「差し水」になるというか、そうするとすーーと落ち着いて、すぐ自分から「歩く」といったり「消す」といったりするのです。イーーッとなってる3歳児というのはグラグラ煮え立ってるだけで、本当にそれを望んでいるのかなんて自分でもわからなくなっていて、単純に「ママは自分の味方なのか?」ということを試したいだけなんだと思う。密室にもんもんガスがこもっている時に一緒に燃えても酸素不足に陥るだけなので、とにかく窓をあける。一旦、風を通すことで、空気がリセットされる。
それに、どんなにメチャクチャを言っているようでも絶対に本人なりに筋の通った「理由」があるので、それをじっくりと聞く。そうすることで、落ちついていく。「上着を着たら、下に着ているTシャツのキツネさんが外が見えなくなってかわいそう、だから着たくなかった」といったように。
そして、それでもだめなら!
「問答無用ハグ」攻撃である!
泣き喚いている3歳児をとにかくハグして、暴れても押さえつけてハグして(笑)何いってるかも関係なく「すきだーーーーー!」と言うだけというシンプルな最終兵器である。「どうしよう〜!ママピノちゃんのこと、すっごくすきなんだけど!!!!!どうしたらいいと思う!?」とか言うと、「えー…?しらないけど。」とかいいながらもなんか落ち着くのである。
テキトーだ!しかしテキトー上等だ!
「凍死、餓死しなきゃ合格」というくらいまでハードルを下げられたらこっちのもん。
子どもは如実の母の心を反映する。鏡みたいに。だからこそ、日々の育児のコツはなにかと「じっとりしない」ことにつきるなあと思う。カラッとね。自己嫌悪に陥ったら、真剣に反省し、そして忘れる!前にも書いたなこれ...成長してないってことかしら!?
同じところをぐるぐるまわっているようで、ちょっとずつ上昇していく、そんな螺旋階段を歩いていられたらいいなと母は今日も試行錯誤です。
満面の笑顔で飛びついてきて、
「ピノちゃんねえ、ままのこと、だいすき!うちゅうから、とびだすくらい!!」
とほっぺたをこすりつけてくる、そんなご褒美だってもらえるんだから、なんだって頑張れるのだ。