scan

大事に使っていた、陶器の器を自分の不注意で欠けさせてしまった。
3歳1歳がいる食事にも毎日ばんばん使っていたから、いつかは何かあるかも、と思っていたけれど、やっぱりショックだった。(しかもやっちまったのは、子どもではなく自分だった!)

でも、はじっこが割れて少し欠けただけだったから、「金継ぎ」というものをすればまだ使えるかもしれない、と思って、ネットで「金継セット」を買おうかと検索してみた。

そしたらびっくり。

金継セットを買う値段で、同じお皿が3枚は買えるではないか。
そりゃそうか、「ゴールド」なんだもんな、と当たり前のことを思い知る。

さて、どうしよう。

普通に考えたら、新しいお皿を買って、欠けたものを捨てるのが一番合理的だ。作家さんのお皿ではあるけれども量産されているものだし、私は金継をしたことがないし、うまくできる自信もない。

でも。私がこれまで愛着を持って使ってきたのは、欠けてしまった、このお皿だ。作家さんの個展に伺った時にご本人と直接会話をしながら、買ったこのお皿だ。

古いものを使い続ける方が、ピカピカの新しいものを買うよりも高くつく。それでも、どうしてだろう?使い続けたいと思うのは、目の前のこのお皿なんだ。

ポチッとするだけであっという間にモノが手に入る世界、決まった曜日に出しておけば、誰かが持って行ってくれて代わりに捨ててもらえる世界。ずっと一緒にいたいものと、簡単にゴミ袋に入れられるもの。その差を作り出すのは値段だけでは、きっとないはず。

モノを大切にするってどういうことだろう?
自分とモノと間の物語ってなんだろう?
それがちゃんと築けていれば、きっと何かがみえてくるはず。

と、そんなことをとりとめなく考えているであります。