足の裏
足の小指を捻挫した。保育園にお迎えにいった時に、焦っていたのか、置いてある棚の角に全力で右足の小指をぶつけたのだ。声が出ないほどの痛さだった!

紫色のソーセージみたいに腫れあがって、1週間しても痛みがひかないので病院にいったら、ギリギリ骨折していないというくらいのひどい捻挫で、全治2~3週間と言われた。やってしまった…。

しかし、これが本当に痛い。

足を引きずらないと歩けないし、少しでも何かにあたると激痛で呻いてしまう。靴が履けない。そして4歳児と1歳児が暴れまわって乗っかってくるので、しばしば蹴られたり踏まれたりして泣きっ面に蜂状態でうずくまる。

足の小指が、全身の中で果たしている役割がこんなにも大きかったのか、と感じる。

「足の小指は退化していく」とか、「未来の子どもにはなくなる」とか、読んだことがあって、日常の中での存在感も薄いし(だから意識とのリンクがぞんざいでぶつけたりするんだろう)、なんならいらないんじゃないか、くらいに思っていたけれど、そんなことはなかった…。

このちっぽけな指をちょっと捻挫しただけで、人は歩くことさえできないのだ。一見いらないように見えても、実は大事で欠けると全体が崩れるものなのだ。

全てに、役割があるんだな。

実際、小指をかばうような生活をしていたら、普段使わない体の使い方をするせいか、腰とか、肩とか、他のところまでおかしくなってきた。

長い進化の歴史の末に到達した現在の「カタチ」の中に無駄なんてない。(それでももっと長い時間を経たら次のカタチになるのかもしれないけれど。)

一つの細胞の中に、一つの臓器の中に、一人の人間の中に、そして社会や世界の中にバランスはあって、拡大縮小したら同じ模様が見えるフラクタル構造。「パワーオブテン」みたいに。一は、含まれる全の中で絶妙に役割を果たしながら、有機的に生き、生かしている。社会における人間ひとりの存在というものもきっとそんな感じ。社会という体を分担して構成する器官たち。役割が違うだけで、結局は大きな同じものを構成している仲間というか、相容れない相手さえも、自分と同じものというか。

と、思考は哲学にひたってみようとするけれど、実際はただただ、痛い〜〜!涙

治ったらこれからはもうちょっと、足の小指に意識を向けてあげるようにしよう。
アメニモカゼ二モタンスニモマケナイ、そんな足の小指に、私はなりたい。

タンスの角に小指ぶつけました、と病院に行くのと、
バナナの皮で滑って転びました、と病院に行くのと、

どっちが恥ずかしいだろう...。