あざらし

2012年カレンダー「ことだまころころ」より。

あけましておめでとうございます。
随分と遅い新年のご挨拶になってしまいました。

いろいろと重なった年末年始を過ごして、ちょっとぼんやりしていたらあっという間に2週間経ってしまいました!

年末に帰省したのが12月27日、家族4人で飛行機で移動して、羽田空港に降り立って機内モードをオフにした瞬間、そこに出てきたのは大阪に住んでいる父方の祖母、書道家の春水おばあちゃんが亡くなったという連絡。

思わず立ち尽くしてしまいました。ざわざわした空港の音が一瞬ですーっと遠のいていく感じ。

家族全員で帰省してしまった直後だっただけに、また全員で戻るわけにはいかず、私の両親も出払ってしまうので夫のうしくんの実家に子供達を急遽預かってもらい、私だけがまた翌々日に関西を往復することになりました。お通夜は間に合わなくて、深夜に大阪について一泊し、次の日の葬儀だけ、参加することができました。

このブログにも何度も登場している、春水おばあちゃん。
私が人生で一番尊敬するアーティスト。
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おばあちゃんが高校生の時につくった作品。高校生ですよ!?天才か。

いつでも凛とした着物姿で、物腰はやわらかいのに、自分の思っていないことは決して言わない。気がのらないことやらない。そしてなにより、その小さな体、細い腕から生み出される、無限の絵や字の世界。おばあちゃんが文字を書くとき、そこにはいつでも一瞬のためらいもない。まるで力がこもっていないように見えるのに、すーっとひかれる線は常に強く、墨は、その形しかない、という確信をもったように紙に落ちていく。

とにかく、格好良い、という言葉が似合う女性でした。椎名林檎みたいな。
そんなおばあちゃんだから当然ファンが多くて、書を求められることも多くて、その仕事を受ければ一躍有名になって名前を残せる、そんな仕事の依頼もたくさんあったそうだ。それでもおばあちゃんは「私そういうの興味にないのよ」と一貫して断り続けてきた。私から見たらすごく綺麗に書けていると思う書も、おばあちゃんはよく「たいくつ」だと言っていた。かと思うと、食事していた時にレストランにおいてあったペーパーナプキンに、私がボールペンで描いたほんのラクガキのような猫の絵を「面白いからもらっていいかしら?」と大事に本に挟んだりしていた。

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おばあちゃんの書く仏さまはどこかかわいい。

そう、おばあちゃんはいつでも私の絵を好きでいてくれて、好きじゃないものを好きとは決していわない人だから、それが、何より私にとってうれしいことだった。会うたびに「あなたの手は綺麗ね」と言ってくれることもうれしかった。

阪神淡路大震災で家が壊れてしまう前は神戸に住んでいたおばあちゃん。小さい頃から私はずっと「神戸ばあば」と呼んでいて、それはおばあちゃんが大阪に引っ越したあとも変わらなかった。神戸はずっと私にとって神戸ばあばが住んでいるところで、だからおばあちゃんが90歳の卒寿を迎えたときに、三宮で一緒に個展をしたのだ。その時はまだ自分が神戸に住むことになるなんて思ってもみなかったのだけれど。

90歳の卒寿の時に私と一緒に展示をしてくれたこと。(その時のブログはこちら)私の2012年のカレンダー「ことだまころころ」のための字を書いてくれたこと。全然自己顕示欲のないおばあちゃんの作品をどうしても形にしていろんな人に見てほしくって、編集者の友達に頼んで作品集を作ったこと。そのあと、表参道にも巡回して同じ展示をしました。

それが、春水おばあちゃんとの一番の思い出。

そしてそのあとせっかく神戸に私がやってきたのに、2人目が生まれたばかりでフットワークが重くなってしまったこともあって、頻繁には会いにいけなかった。せっかく近くにいたのに、もっと会いにいけたのに。それが、今悔やまれること。この1月に会いにいくはずたったのに、それは永遠に叶わない。

95歳で眠るようにこの世を去るなんて、大往生だ。2人の子供(本当はおばあちゃんの子供は3人だったけれど、事故で長男、つまり父茂の兄を亡くしているおばあちゃん。子供を先に送らなくてはいけない親の気持ちは想像がつかない。)、5人の孫、11人(従姉妹に来月子どもが生まれるので、もうすぐ12人!)のひ孫に囲まれて天国にいけるなんて、幸せなことだときっとみんな言うだろう。私だってそう思う。みんな、おばあちゃんがいなかったらこの世に存在しなかった人間だ。一人の人間が残せる広がる枝はいかに大きいかと思う。

でも、今は、もう会えないことが、ただ寂しい。

字を書いている時の、子どもみたいに無邪気なおばあちゃんの顔や、精巧な工芸品みたいな美しい手や、「コロコロ笑う」という言葉がこんなに似合う人っていないといつも思っていた、鈴みたいな笑い方。それを忘れない。

棺に入っているおばあちゃんの顔はとても綺麗だった。寝ているようにしか見えないのに、さわると氷のように冷たくて、これまでにも何度か感じたことがある、そのギャップにびっくりする。人間の肉体は命が抜けると、本当にただの「物質」になるんだなあと思う。大理石の床とか、シャンプーのボトルとか、そういうものみたいに。

shunsui

「あそびをせむとや」

火葬の前、棺の中にみんなで、たくさんの花を詰め込んだ。最年少は1歳の甥っ子も。おばあちゃんの体はあっという間にたくさんのきれいな花に覆われて、顔しか見えなくなった。おばあちゃんの作品の中にある「あそびをせむとやうまれけむ」(ちょっとあそんでみようとおもってうまれてきた)という切り絵、それから表紙の絵を描かせて頂いたよしもとばななさんの「花のベッドでひるねして」という大好きな物語のタイトルの言葉をくりかえし思い出した。棺の中のおばあちゃんはまさに、ちょっと昼寝してるだけみたいに見えたからだ。花と光に包まれて、この世界にやってきて、心おもむくままに遊んで、そして肉体を去る。生まれてくることと、死ぬことは、ふたつでひとつ。

私の2018年のカレンダーと、一緒に作った画集「卆寿昔話」も入れた。あっちの世界で眺めてくれるかな。

おばあちゃんの好きだった定番の朝食も最後に入れられて、棺の中はぎゅうぎゅうになった。「こんな大げさなのいやよ~」とコロコロ笑うおばあちゃんの声が、聞こえてくる気がした。
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おばあちゃんは必ずこれだった、毎朝の朝食。ミルクティー、紅茶、ハム。私が棺に入れてもらうとしたら、なんのごはんになるかなあ。やっぱり、あんこかな?笑 でも、スイカも食べたいし。お寿司もパスタも好きだし。

まだおばあちゃんが身体をあまりうごかせなくなる前、よく年末年始にみんなで旅行に行っていた。だから、今回年の瀬にこういう事になってしまって、ただでさえ忙しい年末はみんな頭がこんがらがるくらい慌ただしくなったけれど、「きっとおばあちゃん、いつもみんなで会っていた時期に、また集まりたかったんだね」ってみんなで納得した。お葬式だから悲しいはずなのに、わさわさいる子どもたちが四六時中ワーワーキャーキャーと走り回って大声で笑っていて、おもちゃが飛び交っていて、わいわいごはんを食べて、賑やかきわまりなくって、なんだか本当にみんなでいつもの旅行をしているみたいだったのだ。ただ、そこにおばあちゃんがいないだけ。

骨になったおばあちゃんは両の手のひらにおさまるほど。この肉体におばあちゃんの血が流れていることを誇りに、あの凛とした背中をおもいだして、そして「ものを作る」ということに対する姿勢を受け継げるように、私も生きている間は、全力であそびたいとおもいます。

いつかまた、おばあちゃんの作品を見てもらえるような展示をしたいよ。おばあちゃんの素晴らしい作品をいろんな人に見てほしい。身内自慢と言われても、ぐいぐい宣伝しちゃうよ!画集「卆寿昔話」も、個展会場で販売しただけだから、それもまたどういう形でかわからないけれど興味ある人には見てもらえるようにしたい。

天国にも、きっとおばあちゃんのファンが増えちゃうね。

さようなら。ありがとう。いつか、また。

2012

私の大好きな写真。ピノが産まれて会いにきてくれた時の1枚。
「赤ん坊ってみんなにやーーってわらうのよねえ」とおばあちゃんらしい言い方でピノのあたまをなでてくれた。

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「うれしくて もすこしいきて いたくなりました」

その時にもらったお祝いにひっそりと書いてあった言葉。

葬儀のあとはとんぼ帰りで再び実家へ。12月30日の夜に到着。ちゃんとお留守番頑張って、「ママ~!」と飛びついてくるピノとネムを抱きしめたら、その暖かさに救われました。生きているものは、生きるんだ。

長いご挨拶になってしまいましたが、本年も頑張っていきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願いいたします。年末に喪中になってしまったため、年賀状を頂いたのに頂きっぱなしになってしまった皆様、ごめんなさい。

いろはきり絵

これも好き。切り絵の文字。

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こよなく猫を愛したおばあちゃん。大野家の猫好きはおばあちゃん譲り。

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棺の横においてあった。おばあちゃんの誕生日の花言葉がぴったりでびっくりした。

母ゆりこのブログにもおばあちゃんのことが書かれています。家族みんながおばあちゃんの一番のファンでした。