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2歳児ネムがいやいやまっさかりでなかなか日々手こずっております。そして4歳児ピノもだいぶ話が通じるようになってきたものの、それでもまだまだいやいやモードになることも多く、ダブルで発現するともう私も虚ろになってしまうというか、だいたい1日10回は顔がハニワになっている昨今です。笑 

その中でよく考えるのが「こだわり」のこと。母はみんなそれぞれにこだわりを持っていて、それはもう100人いれば100通り。みんなそれぞれ、違うルールを信じている。誰も間違ってないし、誰が一番正しいということもない、教祖が100人いるみたいなものだと思う。だからこそ、気をつけなくてはいけないといつも思う。自分の家で当たり前のことが他の人にとっては「ええっ!?」と目をひそめられるようなことかもしれないし、その逆もまた然り。何を食べさせるか、おもちゃは何を与えるか、何を観せるか、何時に寝かせるか、お友達とケンカになったらどうするか。母たちはみんなそれぞれのこだわりを作り上げてそれを守っているけれど、自分のルールが全員に適用されるわけではない、ということを意識しておくことはとても大事だ。

何が正しいではなくて、ただ違う。「だしは絶対に昆布と鰹節からとる」と思っている人と「ほんだしで十分」と思っている人とでは、必然的に毎日のTO DO の量が変わっていく。それが生活の中でのあらゆるジャンルに関して起こるので、ひとつひとつの手間は大したことがなくても毎日の積み重ねの中で膨大な違いを産む。全部を100%は誰もできない。だからこそ、緩急つけて、折合いつけて、自分が納得できる着地点を探すのだ。

こだわりは、かっこいい。美学でもある。

けれどこだわりは、窮屈でもある。

漢字で書いたら「拘り」。誰に強制されているわけでもないのに自分に課している拘りは、まさに重たい拘束衣のようなもの。何のための、誰の為のこだわりなのか?

それを自分でつきつめていくと結局、子どものため、と思っているようで単に「自分が心地よくいられるため」だったりする。拘りにがんじがらめになると、やることが増えすぎて大切なものが見えなくなってしまうように思う。かといって、緩めすぎるとどこまでも緩んでしまい、原型を留めなくなることもあるから本当に、本当に難しい。
関係ないのですが、先日のこと。

夜、いつものように2人の歯をみがいて、絵本を読んで、布団に入れて電気を消して、さああとは寝るだけ、という時間。

むくっと起き上がったネム。

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という衝撃発言!想像の斜め上をいく2歳児にまた顔がハニワに!いや、水飲みたいとか牛乳とかならわかるけど米って!当然私も最初は「だめだよだめ〜!もう寝る時間でしょ〜」とかたしなめていたのですが、「いやーーー!!ふりかけごはんーーー!」とどんどんボルテージがあがっていき、大騒ぎで泣き出すネム...。最終的には「たべゆーーーたべゆーーー!!!」とスイッチはいっちゃって、何をいってももう止まらない。

頭の中で瞬時にいろんなことを計算。

To give, or not to give? 
それが問題だ。

ちーん。

はい、ごはんあげました...。ピノがもう寝そうだったので電気つけたくなくて、真っ暗な中で、ベッドの上で、茶碗いっぱい分のふりかけごはんをガツガツ食べたネム...。これ以上ないシュールな光景でありました。(笑)ごはんを食べたらネムの怒りは差し水をしたようにおさまり、おとなしくもう一度歯を磨き(でもテキトーになっちゃったけど)、そしてバタッと寝ました。

冷静に考えたら、寝る直前にごはんを食べるのも、ベッドの上で食べるのも、あらゆることがダメなんだけれども、あの場合はもうそのへんのこだわりはさっさと捨てて、とにかく本人の願いをかなえてあげる、衝動を満たしてあげる、というのが正しかったと思う。

なんでも「ゆるくこだわる」くらいがちょうどいいな、と思う。なんとなくのルールはありつつ、「ま、いっか」という鷹揚さ。強すぎる拘りは両者にとって何も良いことがない気がする。如何に手をぬくかばかりを考えているゆるゆる育児をしているこんな私でさえも、ポイントポイントに「これだけは譲れない」みたいなものがあり、それはもう自分でも如何ともしがたいもので、それが原因でしょっちゅう子どもたちと言い合いになっているので、もうちょっと譲れるようになりたい。

To give, or not to give.

この2つの間で逡巡する機会は育児をしていると非常に多いのですが、こだわるよりさっさと与えてしまった方がお互い笑顔でいられる場合も多い。

あー難し!
日々模索中。