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家族が急にいけなくなって、急遽舞台「ねじまき鳥クロニクル」を観に行けることに!起き抜けにテンション爆上がりしたものの開演まで全く時間がなく、半分パジャマで家を飛び出して、アクロバティックなチケット受け渡しの後、芸術劇場へ走る。

そして夢のような時間を過ごした。はじめてディズニーランドに行った幼児のような顔で息を止めるいきおいで舞台を見つめていたと思う!

今まで見た舞台でとても印象に残っているのが、サイモン・マクバーニー氏演出の「エレファントバニッシュ」で、やっぱりそれも村上春樹作品でした。小説もそうだけれど、人間の無意識下から何かがジワリ、ジワリと湧き出して現実を侵食していくあの感じは、圧倒的に映像より舞台の方が合っていると、思うのです。自分でもそれがそこにある事を知らない、もしくはわかっているのに見えてないふりをしている、なにかニュルニュルしたものを直接鷲掴みにされる感じは恐怖でもあり快感でもあり。というすんごい素人なレビューですが…

関係ないのですが
私が昨日見た夢の中で、誰かが死んだのです。私はその人の横で、死にゆくその人をみていて、張り裂けそうなくらい悲しくて、泣いていて、でも、同時にこれは起こるべき事だからと納得もしている。そして、ただただ、手を握りながら、その人の肉体が静止するのを見つめていて、ああ、もう少し後にはもうこの人と話すことはできないんだ、と思っている。死の傍らにいる感覚がすごくリアルだったのに、さて、目が覚めてみたら、誰が死んでいたのか、誰の手を握っていたのか、さっぱり思い出せない!男だったのか、女だったのか、年齢も輪郭もぜんぶほどけて、何もわからない。はっきり覚えているのは、握っていた手のあったかさだけ。思い出せないことが気持ち悪いから頑張って考えれば考えるほど、迷路の中に迷い込んだ気持ちになる。

ただの夢だけれど、あまりにリアルな夢は、何かを繋ぐチャンネルのように思えることが多い。意識の底の底にあるものが何か、どんなものなのか、意識していないんだからわかるはずもないんだけれど、そこに確かに、それがある、その事実を見せつけられるような物語でした。自分の全部の属性が消え失せて、ただただ一人で、孤独に沈んでいく旅。

今日、その夢を見たことも。そして今日、たまたま行くはずもなかった舞台に行くことになったことも。

小さい時から舞台が好きです。現実と夢の境目がなくなる瞬間、意識が肉体から飛び出して、舞台の上で一緒に過ごし、そして目覚める。作る緊張感も、観る緊張感も、知っている、と思う。大学の時にサークルで演じた、野田秀樹の戯曲「農業少女」の百子の最後の長いセリフをいまでも、まだ暗記している。舞台の世界に関わるもの全てが好きだけれど、この6年ほど、育児フェーズに入ってから、観劇のハードルはものすごく上がってしまった…だから、今日のような日はとても特別。特にそれが久しぶりで、良い時間であったなら、その余韻の半身浴でずっと幸せでいられる〜!

(ちなみに私がものすごく昔から見る悪夢の定番は「客席は満員で、本番が始まろうとしてるのにセリフを全く覚えておらず、台本を持っている人を探しまくる」である。)

人間の頭の中ってすごい。
人間の想像力ってすごい。

私も、表現するもののはしくれとして、少しでもいいから、誰かの中に、何かこんな気持ちになれるものを作りたい、もしくは井戸の中に射す光の中で何かを描いてみたい、と浸りながら帰途につく。

はー舞台はいいなあ。
しつこいけど。
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綿谷ノボルシャツ!