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いろいろあってちょっとタイミングずれてしまいましたが、先日、長女ピノが幼稚園を卒園しました。コロナウイルスで開催されるかどうか直前までわからなかったのですが、親1人の参加、超短縮版ながらも開催して頂けました。本当だったら両親ともに参加したかった、とみんな思っていたと思うけれど…。

どのおうちもお母さんだけの参加だったので、みんな写真やビデオを撮るのに必死。あまりに短縮版すぎて、感慨にひたる暇もなく、卒業証書も代表1人がもらうだけ、お花も全員いっぺんに渡すだけ、練習した歌はなし、スライドショーもなし、謝恩会もなし。本当だったら数時間かかるはずの式は、30分で終わりました。

それでも、短くても、ちゃんとセレモニーに参加することは子供たちにとっても必要だったと思います。写真を撮ったり、先生にハグしたり。まだ小さくても、これが何かの最後で、何かの始まりだ、ということをみんなちゃんと理解している。そんな「区切り」をつけることができて、良かったなと思います。(といっても3月中旬の時のこと。今だったらまた違ったと思いますが…!)

幼稚園時代の終わり。

赤ちゃんだったピノ、幼児だったピノはもういない。上の絵の2歳のピノがちょうど「スピリチュアル母さん3」に登場していたくらいですね!
神戸から引っ越してきて、最後の1年だけ保育園生活から幼稚園生活にかわり、ずいぶんと環境が変わってしまうことを心配していました。大好きだった神戸のお友達とバイバイして、全く新しい世界に馴染めるか、心配で。けれど子供の柔軟性と自由さは、常に親の想像を超えていく。

大人が勝手に作る「こうじゃなきゃ」「きっとこうなる」フレームを、いともたやすく飛び出して、自由に羽ばたいて飛ぶ。心配は杞憂に終わり、ピノは新しいクラスの、新しいお友達とすぐに仲良くなって、まるでずっとそこにいたみたいに見えました。
理解が早く大人びていて、器用で、割となんでもこなせるように見えるピノ。
運動神経が良いのも全く私に似ていない。(うらやましい)
反面、繊細で心配性、怒ると赤ちゃんのような爆発の仕方で、未だイヤイヤ期が続いているような気がする時もある。やさしくあろうと思っても、つい私もガミガミ言ってしまう。しかし対等に言い返してくる。「え、ママそれはちがうでしょ」「もーー!全然話聞いてないんだから!ママって!」と、よく怒られるししょっちゅう言い合いになる。

けれど、私のかわりに妹ネムの髪の毛を三つ編みに結ってあげているその後ろ姿は、気づけば随分と大人っぽく、すっかり女子である。私が助けなくちゃとずっと思ってきたけれど、最近では助けられることが増えている。

わたしの葛藤なんてなんのその、子供は待ったなしに成長していく。
1秒も待ってくれない。だから、赤ちゃんの頃のように24時間一緒にいる時代から、これから少しずつ、離れてる時間が増えていくんだろうけれど、見てないとどんどん流れていっちゃうその透明な川のような流れを、そのなかの光を、見逃さないようにただ見つめていたい。困難な目にあっていたら、全力で手を差し伸べたい。

そんなにたくさんのことはしてあげられないし、完璧でもいられない。でも、私が生きてきた中でこれだけは言える!という何かを、自分の生き方を通して伝えていけたらと思う。

私にずっーーと抱っこされていたあの子は、ランドセルを背負ってすっくと立っている。
その立ち姿はとても、頼もしい。

本当に、もう小学生になってしまうんだなあ…。

卒園式は泣く暇すらなかったけれど、3日間もかかって生まれてきたときのこと、はじめて保育園に預けられて泣いていた日々のこと、妹が生まれてちょっと不安定になってきた時のこと、引っ越してきた時のこと、そんなあれこれをぼんやり思い出しながら今目の前にあるちょっと大人びた顔を見ていると、やっぱり涙が出てくる。

卒園本当におめでとう。
たくさんいいお友達に出会えてよかったね。
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卒園式の日に咲き誇っていた木蓮がとても綺麗でした。。
頼りない母さんですがこれからもよろしく。
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ちなみに先日の四十路の誕生日に、ピノは幼稚園で先生に教えてもらって、内緒で指で編んでいたマフラーをプレゼントしてくれました!なんて嬉しい、手編みのマフラー。コツコツ作ってくれていたと思うと胸アツだぜ!大事にするね。
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この手紙の文面からも、私が6歳に気を使われていることがわかります。笑
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「メッさージ」(惜しい!w)ありがとう。