ups90fmn.JPG「自己満足」について考えてみました。あらゆる表現につきまとう言葉。自己満足の最大のポイントは多分他の人はどうあれ、「自分は満足できてしまう」ところ。「だって私満足だもん」という言い訳が出来る。人生の主体である自分が満足できる事は確かに基本だと思う。けれど受け手がいないと成り立たないし、ありとあらゆる背景を持つ人が見るのが表現だから、それを考えてないものは押し付けがましいだけ。と、思っていました。自己満足=ネガティブという図式。
ただ、よく考えたら、「自分は満足である」と公にするのはとても勇気のいること。満足という事はそれ以上を求めていないということで、全力でやったという事で、「これが、自分という人間が満足するポイントなんです」と宣言することは勇気がいる。それが他の人にとっては「こんなもんなのか」と思われてしまうかもしれないから。自己満足レベルを他人に対して堂々と見せられるというのは等身大の内面をさらけ出す事だから、逆にすごい。「キルビル」を見てそう思いました。監督の自己満足のとことん具合が小気味良いほど伝わってくるから、おもしろい。極められた自己満足。それはきっとイコールその人が見てる世界。それが、今私が見たいものだな。「誰がなんと言おうとこれが自分に見えてる世界だ!」という傲慢ともいえる表現。ピンポンダッシュされたみたいな気持ちになれればいい。言い訳はしてほしくない。そんな世界に生きてることを、そんな視点で世界を見られる事を、うらやましい、と思わせて欲しい。結局は作り手が満足してるものじゃないと、受け手には伝わらないのです。と、ありがちな結論に終わりました。