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心に残る本、が好きな本とは限らない。
好きで、何度も読み返したい本があり
心に残って、決して忘れられないのに、もう読みたくないと思う本もある。
重松清の「疾走」は私にとっては後者でした。
ずっと読みたいと思っていたので、文庫になったと同時に購入。
「疾走」のタイトルの通り、一気に読み終えた。
そういえばあまり見かけない「おまえ」という二人称の語り口に
最初は感じていた違和感が 語りかけられているうちに
「おまえ」が「わたし」になっていくのが分かった。
どうしようもなく「ひとり」であることを理解していながら、
それでも「誰か」と繋がりたいと思わずにはいられないにんげん。
「言葉」に勝手によりかかって勝手に解釈して勝手に絶望、もしくは希望を見出すひらがなのにんげん。

”仲間が欲しいのに誰もいない「ひとり」が「孤立」。
「ひとり」でいるのが寂しい「ひとり」が「孤独」。
誇りのある「ひとり」が「孤高」。”

だとすると「孤高」でいられる人間なんて存在しないんじゃないかと思う。
この物語は孤高であろうとして それでもやっぱり孤独だった人達の物語だと思う。
完全なるひとりであることに誇りが持てるのは
きっとそのひとが「ひとり」じゃないからだ。
哲人王でもない限り「ひとり」でなんていられない。
そう思う。
人生を「ひとり」で疾走する。それでも
時間の強度を高めようとしたとき、そこにはきっと誰かがいる。

ただ、構成が巧みすぎて、読み終わってから思うことだけど技巧的な感じがした。
うまく言えないけれど、良い意味で乗せられたというか・・
白石一文の言葉は、作者本人がもがいているのを共有する感じがして
こっちもその苦しみに巻き込まれている苦しさがあるけれど
この物語は闇が冷静に見つめらていて
(神の視点で描かれているのだから、そうあるべきなのだとは思うけれど)
闇がお盆にのって目の前に出されてくる感じがする。
どっちが良いという話ではなく、そういう印象でした。
どちらにしても心に刺さった。

最寄り駅に電車が到着したときに先の気になる本が読み終わってない時
家まで帰る10分が待ちきれなくて 駅前の喫茶店で最後まで読んでから帰ったりする。
普段はあまりないけれど今日はそうでした。(前回が「一瞬の光」だったような)
読み終わって外に出たあと 何故か自分も走りたくなって
家まで走って帰った。