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私にとっての、今年1年をあらわす言葉。
考えてみたら、すぐにひとつの言葉が思い浮かんだ。

それは、「死」です。
2006年という年をふりかえってみると
今年はとても「死」を身近に感じたことが多かった年でした。

年があけてすぐに 私の最愛の娘だった愛猫デナリが亡くなって
よく知っていた知猫ニータが亡くなって
その後すぐに 知犬のジョジョが亡くなって
春にお世話になったおじいちゃんが亡くなって
雨の季節に電車事故で亡くなった友人の毎年のお墓参りに行って
夏の地球一周の船旅の最中には自分自身がグアテマラで轢かれて
一歩間違ったら死んでた体験をして
秋に旅から帰ってきてみたら、旅の間に叔父さんが事故で亡くなっていた。

これまでこんな年があったかな。
これまで1年の間に流した涙の量がこんなに多い年はあったかな。

ないな。

「死」もしくは「喪」だな。

ただそれは 実際には常に私たちのまわりに満ちているもので
きっとそれがたまたま今年 多く集まってしまったというだけなのだろう。
ひとつの要素が、濃くでてしまったということ。

死は悲しい。
死は辛い。
死はさびしい。

けれど、死は必ず訪れるし 誰にでも100%訪れるし
いつ、どこで、どのように、という違いがあるだけで
この世に生れ落ちた瞬間から 人は死に向かって歩いている。


今年の日本の世相を現す言葉は「命」だという。
喪われていく一方で、誕生していくものがある。

この2つの言葉は 正反対で表裏一体、同じ言葉だ。
同じ一本のひもの、はしっことはしっこみたいなものだ。
紐が長いか、短いかの違い。
結べば、それは輪っかになる。

いつ死んでもおかしくない。
いつ何があってもおかしくない。

だからこそ、いま、この瞬間に、自分が生きていて、ここに
生かされている、その事こそに意味があると思えばいい。