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マチュピチュの居住区の中の家にかかっていた蜘蛛の巣。
水滴がキラキラと光って、とてもきれいでした。蜘蛛の巣の向こうには雲が見える。



そんなわけで第一日目に引き続き、二日目の日記です。本当は一週間くらい滞在してInca Trail をキャンプしながら歩き回ったりしたかったけれど、今回は2日間でした。一日目に引き続き長く、そしてテンションが高い日記ですが、どうぞお付き合いください。
マチュピチュ2日目、雨。

本当は朝四時半におきてワイナピチュを目指し、ヘアピンカーブを上るはずが、体が皆石のように動かなくて断念・・。朝の始発バス(AM6:00)に乗って、再びかの地へと向かう。雨なのか、霧の中にいるからなのかどっちだか分からなかったけれど、あたり一面真っ白だ。もう2日目なのだから昨日ほど緊張しなくても良さそうなものなのに、この神秘的な朝もやの中でまた違ったマチュピチュに会えると思うと、同じ道を歩いていてもやっぱり鼓動が早くなった。そうして山道を登っていって、真っ白の中に浮かぶ山々の間から再び姿を現したマチュピチュはなんとも言えず荘厳で、この世のものではないものを見ている気持ちでした。

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朝もやにけむるマチュピチュの中の小屋。
もはや、完全に雲の上です。


雨はしばらく降り続き、険しいワイナピチュに上るのは危険だということで少し延期して、昨日は見る事が出来なかったマチュピチュの反対側のエリアを探検した。「探検」という言葉がこの場所には本当にぴったりだと思う。マチュピチュの中のつくりはまさに迷路のように入り組んでいて、いたるところに細い階段や、扉や、洞穴があって、どっちから来たのかすぐに分からなくなってしまう。階段の中にはそのまま空中につながっているように見えるものもあって、そこを歩いているとそれが自然なのだけれど、気をつけて歩いていないとすぐに足を踏み外しそうになる。祭壇や、コンドルの形をした巨大な石が置いてあるコンドルの神殿などを見て、私たちはワイナピチュを上り始めた。

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この三角形のてっぺんまでいったと思うと、今でも足がすくむ・・・


ワイナピチュ。マチュピチュは「古い山」という意味ならばワイナピチュは「若い山」を意味する。マチュピチュの横にぴったりと、空中都市を更に見下ろすような形でそそり立っている三角形。しかしその頂上にもやはりアンデネスや神殿が作られている。マチュピチュよりももっと空と宇宙と太陽に近い場所だ。この山は人数制限をしていて、一日500人しか上れない。山の入り口で番号をもらうのだけど、私は今日この山に登る中で56番目でした。
早速上り始めたものの、雨上がりで道がツルツルしているのに加えて道のりは本当に急で、すぐに息が切れてしまう。一歩一歩、足元を見つめながらたまに眼下に広がる信じられない光景に目を向ける。雲はもはやはるか足元に広がり、アンデスの山々「聖なる谷」はずっと遠くまで見渡せて、そして目の前にはマチュピチュが雲の切れ間からその姿をのぞかせている。まだ自分がそこにいることが信じられなかった。
ワイナピチュの山道は本当にすごい。全然、登る人に親切には作られていないのでものすごく急な崖、それこそ足場が50センチくらいで一歩踏み外せば谷のそこまでまっさかさま、絶対助からない、みたいな道もある。いきなりアドベンチャーでした。高所恐怖症ではないけれど、その道を通る時はさすがに足がガクガクして、下を見ることがまったく出来なかった。

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ワイナピチュの頂上付近、富士山よりもずっと高いところにもこんな風に神殿とアンデネスがあります。


崖を上り、雨でぬかるんだ洞窟をくぐり、空中に突き出した階段を上り、ワイナピチュの頂上へ。ワイナピチュの三角形の頂点、てっぺんの岩に腰掛けた時には自分が仙人か神様にでもなったような気分でした。今までこんなに高いところに来たことはない。自分の過去も、現在も、未来も、全部がこの一点に凝縮されて、時間の流れが止まってしまったかのようにすら思える。しばらく座っていると、雲がすっと晴れてワイナピチュの一番上からマチュピチュを見る事が出来た。朝はあんなに雨が降っていたというのに、昨日の虹に続いてまたギフトだ。

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ワイナピチュの本当の本当にてっぺんでは、岩がごろごろとしています。

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ワイナピチュの頂上から見たマチュピチュ。遺跡全体が、コンドルの形をしていると言われています。そう見えるような、見えないような。


私がこの場所にいることを、マチュピチュが肯定してくれている、そう、思ってもいいかな。
帰りはまた来た道を同じように下っていった。(山というのは概してのぼりよりもくだりの方がいっそう足がきつい・・・)再びだんだんと、マチュピチュが近くに見えてくる。言葉に出来ないスピリチュアルな時間でした。ひざも足もガクガクで、顔は真っ赤になったけれど。
マチュピチュにいられる時間がだんだんと残り少なくなってくる。もっといたい。ずっとこの場所にいたいと思うけれど、仕方がない。砂みたいに指の間からすり抜けて零れ落ちていく時間を少しでも自分のものに出来るように、最後の最後までマチュピチュの中を歩き回る。石をなでて、空気を吸い込む。この時間を、この感触をこの遺跡の記憶を自分の中に焼き付けておけるように。そうして最後はもう一度、全部が見渡せるアンデネスに一人上って、マチュピチュの絵を描きました。見るのと、描くのは全然違う。スケッチは私は本当に下手だけれど、じっくりと全体をそして細かい部分を眺めながら描いていると、その風景が自分の中にすっぽり納まって吸収されてゆく気がする。マチュピチュは本当に複雑で、細かい部分がぼやけて曖昧な絵になってしまったけれど、それでも最後にまた一歩、マチュピチュに近づけた気がした。
さようならマチュピチュ。

甲高くて物悲しいグッバイ・ボーイ(子供たちが「グッバーイ」と叫びながらヘアピンかカーブを駆け下りてくるのが、マチュピチュの名物)の声を聞きながら、山を降り、電車に揺られ、クスコへと戻りました。

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日光のいろは坂も真っ青の、ヘアピンカーブ。ハイラム・ビンガムロードという名前のこの道路はハイラム・ビンガムというアメリカ人の名前から取られています。マチュピチュの第一発見者として知られていますが、実際には最初に発見したのも発掘したのも山に住んでいたインカの農民で、いろいろと物議をかもす事にもなっているそうです。それにしてもここをまっすぐ駆け下りてくるなんてすごい。



この旅は私の人生の中で本当に大切な旅になった。夢は現実になり、憧れは思い出になったけれど、それでも私は26歳の今この時、このタイミングでマチュピチュに出会わなかった私の人生は存在しえなかったと強く思う。
私は来るべき時に、来ることが出来た。これ以上の幸福はない。
思い描いていたマチュピチュは私の想像を圧倒的にしのぐ偉大さでそこに存在していた。
そこを訪れた私はただの点に過ぎなくて、やっぱりこれは片思いなのだと思う。私は恋をし続けてきたし、出会いを果たしてその想いは更に強いものとなったけれど、たとえ私が自分のものにならないのならいっそ消えてなくなってしまえばいいとさえ思ったところでそんなものマチュピチュにとってはお構いなしだ。まるで「金閣寺」。

さて、2日間にわたる記憶私はうまく綴る事が出来ただろうか。分からないけれど、今はまだこの恋の余韻の中にひたっていようと思う。いつかまた会える、その日まで。