img20070226.jpg昨日の夜の話。
終電近い時間に、池袋からJPに乗りました。土曜日だった事もあって、かなりの混み具合。ギュウギュウと押されて、ところてん状態だったのですがちょうど私の前に子どもをだっこしたお母さんがいました。
車内は完全なる密着状態。お母さんは、私に背中を向けて立っていたわけですが、子どもをだっこしたお母さんが私に背中を向けて立っているということは、つまり。。。

私の目の前10センチ以内に子どもの顔がありました。


どもは女の子で、1歳くらいかな・・。かなり小さいです。
そしてその子が、私の顔を

じっ・・・・

と見ているのです。
「遠慮」という概念がこの世に存在していることすらまだ知らない生き物です。

子どもというのは自分の感情がポジティブであれネガティブであれ、「自分を良く見せる」なんて事を考えていない分、ときに残酷なまでに無邪気に自分の好奇心に忠実です。
齢1歳。
せちがらい世の中に生まれ出でたばかりの、タブラ・ラサ的生き物。
毛穴ひとつないつるっつるの肌。
彼女にとってきっと全ては新しく、この世界は輝いて見えているに違いない。

そんな子ども(しかも全くの赤の他人の子)に10センチの距離で
じーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと
凝視されている事を想像してみてください。

img20070226_1.jpg

ああっ そんな曇りない目で見つめないで!!!!
汚れた大人になってしまった私を責めないで!!


的な気分に襲われました。

別に何にも悪いことしてないのに、なんだろうこの感じ。
これは完全なる大人の被害妄想で、別にその子どもが

「なんでこのおばちゃんこんな疲れた顔してるんだろう」とか

思ってるわけではないのです。
彼女はきっと私を見て

「この動いている母親ではない生き物はなんだろう」

くらいにしか思ってないのです。

だからこそ。

子どもの目はあまりにまっすぐで、
私はもう彼女が見ているように世の中を見つめることは出来ない。

子どもとか赤ん坊の目の中には
そういう「自分がなくしてしまった世界」
がひとつあるような気がするのです。

いろいろなものを得ていく一方で
いろいろなものを無くしてしまうことが成長なので
変にうしろめたいような
うらやましいような気持ちになってしまうのはきっと

何ももっていないように見える赤ん坊が
大人がもっていないものを誰よりもたくさん持っているからなのでしょう。

そんなわけで、私はその子の視線に応えようと
その子との時間無制限にらめっこ一本勝負に出たのですが


3秒で完敗しました。