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先日、デジカメのメモリーカードがいっぱいになっていたので写真を整理していたら

あっ


と思った瞬間に 削除するつもりのなかった すごく良く撮れていた写真を消してしまいました。
そのあと地団駄踏んで憤ってみましたが消してしまった写真は戻ってこない。
悔やんでも悔やみきれず、しばらく自分を呪ってブルーになりました。

デジカメに保存された 大切な時間の一片は
創られるのも一瞬 そして消えるのも一瞬。
よく言われていることかもしれませんが
結局のところアナログなんだなあ、と最近よく思います。
これが手にとれる写真だったら、
あっと思ってやぶれちゃったり、何かをこぼしてしまったりすることはあっても
一瞬で、その写真の存在それ自体が消え去ってしまう事はない。
だからなるべく普段から デジカメ写真もプリントアウトするようにしているのですが
今回はそれを怠っていました。

私たちは最近なんでもかんでもデータで保存して 画質も劣化しない、かさばらない、と
データを「持っていること」に満足しているけれど
データは結局記号と信号の集まりであって 結局それはとてももろく、そして不安定なもの。
パソコンがクラッシュしてしまったり 
メモリーカードをなくしてしまったりしただけで
数百枚の思い出なんて簡単に消えてなくなってしまうものなのです。

メモリーカードに保存されているデータ、というのは
私にとって数学でいう「三角形」とか「二次曲線」とか「線分」とかと同じで
概念や定義としては存在もしてるし理解も想像も出来るけれど
そこには抜けられない透明な壁のようなものがあって
決して手で触れられない、温度の低いものに思える。

5000年前のエジプトのパピルスが今も保存されているというのに
私の両親が生まれた時の写真が 茶色くなりながらもしっかりと保存されているというのに
今、私のPCに保存されているこの「○○.jpg」 が 100年後も残っているなんてとても思えない。

どれだけデジットな世の中になったとしても残っていくのはアナログなもの。
残っていく、というよりも、「大切にされる」もの。
つまり、形あるもの。
デジタルは消えやすくもろいものだと書いておきながら
分かりづらいですがつまりは「時間を刻み、衰え、消えてゆく」もの。
劣化してゆく美術作品を データ化して保存するとか
世界遺産をデジタル化してアーカイブにするとか
そういった流れを否定するわけではないけれど
人が大切に出来るのは(概念として)「永遠に存在するもの」
ではないのだと思う。
うまく言葉に出来ないなあ。

地球がいつか滅びて 何もかもがなくなって そしてある日宇宙から誰かがやってきた時に
発見するのは やっぱりそんなアナログなものなんじゃないかな、と思う。