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これは載せるのは恥ずかしいですが多分、今から8年か9年くらいに描いた絵。
タイトルは、あったんだけど、忘れてしまった。今日は、そんな話。
気づけば、もう随分と長くこのブログを書き続けている。
もうすっかり生活の一部になってしまって、書くことが習慣になっているけれどよく考えたら2004年の4月からもう3年も続けている。

先日私の大親友、アジアで大活躍している661が、彼女のブログで私のことを書いてくれました。彼女と私は同じ会社の同期で今は全然別の道を歩いている。日本にいないからなかなか会えないけれど、会わなくってもいつも繋がっているような気がする、そんな双子のような存在です。
そんな彼女が私が1年以上前に(確か会社を辞めようとしている時に)書いた記事を今紹介してくれていて、私はその日その日、心に浮かぶことをただツラツラと書いているだけなのに、それがそんな風に誰かに+のエネルギーを与えられていると思ったら、なんだか強くなれたような気がしました。

それをきっかけに2004年とか2005年とかの過去の記事を読み直しはじめたらどうにも止まらなくなってしまって、その時、その時の気持ちや情景が次々にフラッシュバックして、気づけば1時間くらい経っていた。普段私は描き散らかしているばっかりで、昔の記事を読み直したりはあまりしてこなかったのです。この3年の間の頑張ってる自分、どうしようもない自分、元気な自分、みじめな自分。よくぞこんなに書いた、と思うくらい私という人間の全てがここに混在している。
自分の文章を読みふけるなんて、自分でもちょっと気持ち悪いと思いつつ、でも今日の自分と昨日の自分だって違うだと思える事があるのに、忘れている事ばっかりの3年前なんてもう完全に別人みたいなもんだ。書いた時には鮮明なのに後から読み直すと妙に他人事に思える夢日記を読み直すときの気持ちと似ている。自分で笑ってしまったり、励まされてしまったり。

同時にそれは、昔の自分の作品に触れる事でもあって、それは目をつぶりたくなるくらい恥ずかしかったり嫌だったりする事でもある。下手。よくこんなものを人様に見せていたと、頭を抱えたくなる。
でも、その時はそれが自分なりのベストだったんだ。
過去の言葉や作品に 自分でハッとしてしまうのは 多分その「感じ方」がもう今の自分からは失われてしまったから。同じテーマであっても、今の自分ならそう表現しない、したくても出来ない、と思うから。良いとか悪いとかではない。それはただ「違う」ということ。

変ろうとか、変わりたいとか思わなくても
変化は気づかないうちにゆっくりゆっくりと起きる。
だから、「絵が昔と変ったね」なんて言われると ドキリとしてしまう。
例えそれが褒められているのだとしても、
過去の自分が背後の物陰からじっと覗いているようで。

生きていくことは、変化していくこと。
生きていくことは、何かを失い、そして同時に何かを得ていくこと。

それこそブログを読み直して、過去にも引用したピカソの言葉をもう一度思い出した。それは「昨日の自分の模倣をするな」というもの。とても勇気付けられ、また首が絞まるような気持ちがする言葉。モノを作り出していく上で過去の自分自身にinspireされる事があるのだとしたら「オリジナル」とは一体なんなのだろうと混乱してしまうけれど。

そして今この瞬間の自分も、この日記も、
きっと未来に読み返して「そんなこともあったなあ」になる。

失ってきた多くの代わりに自分が何を得てきたのか 分からないけれど。
それでも人は きっと常に無くすものよりもひとつ多く 得ているのだと信じたい。