日々のギュウギュウ詰めの間を縫うように縫われて
ポトリと産み落とされるいきものたち。

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えりまきヘチマムシです。地道に、全部編んでます、はい。
でも実はこのボディ部分は、網掛けて挫折したマフラーが前身になっています。今日も地球に潜ってます。シャベルを一応持っているのですが、実際に潜るときにはこのえりまき部分が回転してドリルのような役割を果たすので、シャベルもバケツもただのファッションです。そういうお年頃。

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たまに部屋の中に迷い込んで、どこかにひっかかっています。夏場は暑苦しいです。ところで、今はまた旅に出ていらっしゃるいるばななさんから生まれた直後にメールを頂いて、つい達成感から写真をお送りしてしまったのですが
「これはヘチマか?」
というコメントを頂きました!いわれてみると、確かに!!
と思い、嬉しくてえりまきヘチマムシという名前になりました。
勝手にゴッドファーザーにしてしまって、すみませんばななさん・・。
ありがとうございます!

そして最近のつれづれ。
最近一日の中でいろいろな事がめまぐるしく起きていて
一日が一日の気がしない。
一日が一週間くらい長いのに 
一年が一日よりも短いように思えるのはどうしてなのか。

「生活」をちゃんと慈しみたい。
ひとつひとつのことを大切に丁寧にしたい。
なのに、全てが「プロセス」のように思えてしまうときがあって
目の前にあることの扱いがとてもぞんざいになる。

嬉しいことや新しいことが毎日起きる。
大変なことは苦しいことも毎日起きる。
けれどそれがどんな事であっても、消化する間もなく身体の中に押し寄せてきたら、プラスもマイナスも自分の栄養になるもならないもないのだ。

喜ぶのも、悲しむのも、何かを感じ取る時はいつだって全力で。
感情のメトロノームの振れ幅が狭くなってきたらそれは危険信号です。

書きたいことも思うことも たくさんあるのに、「ちゃんとした出来事」「ちゃんとした言葉」にしなくては、と思っているうちに新しい事が起きて上書きされていってしまう。出来事や、感情や、言葉や、想い。それなら、それが不完全で未熟なままであっても、ちゃんと外にだしてあげたほうがきっといいのに。
ここは自由でいられる場所であるはずなのに何を枷に感じているんだろう。ありのままに、ちっぽけなことも、もうちょっと肩の力を抜いていろいろと書いていけたらいいなと思うのです。

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<今日の詩>

いらないときは いくらでもあるのに
欲しいときだけ どこにも見つからない
それはダンボール 
それはガムテープ 

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