img20080826.jpg

最近よく、本人からの告知ではなく、いろいろなメディアを通して同年代の友人の活躍を耳にすることが増えてきた。ふとテレビをつけると友人が出ていたり、本屋さんに友人が出した本が並んでいたりする。25,6の時まではそんなことなかった。それがとても嬉しく、そして刺激的だ。
友人であったらもちろんだけれど、例えばそれがスポーツ選手でもアーティストでも、自分と同い年だったりすると知らない人でもつい注目してしまう。
その人は私と同じだけの時間をどんな風に生きてきて、どんなモチベーションでもって今そこにいるのか、気になるのだ。そして私もパワーをおすそ分けしてもらうのだ。

私が勝手にそう思っているだけだけれど、まあ、勝手に思うくらい良いではないか。

それはまだ見ぬ「同年代の君」への片思いみたいなもの。

それぞれジャンルは全然違うのだけれど20代も終わりに差し掛かり、それなりに社会に対して何かが出来る世代になってきたのかなあ、なんて思う。そういうニュースを聞くと、とてもワクワクする。そして同時に焦ったりする。
同じだけの時間を生きてきて、私には何かができているだろうか、ということ。

最近「絵を描くために絵を描く」んじゃなくて「絵を描くことで何が出来るか」を考える。おぼろげながらやりたいことは見えている気がするのに、まだ輪郭がぼやけていてよく全体像がつかめない。
って言うとなんだかえらそうに、おこがましく聞こえる。
でも、実際は別にそんなに崇高な意味ではないのだ。ただシンプルに描くことに向き合えなくて、言い訳をしているだけかもしれない。ただ、ただ行動するんじゃなくて、その先にある結果を見たいと、何かを形にしたいと、思うようになったというだけだ。
欲張りになっているのかもしれないけれど。
「自分に何かが出来る」なんて思うこと自体がおこがましいことは百も承知の上で、敢えてそれを考えていこう。だって全ては自分の意識次第だもの。

最近はそういった自分の変化を感じて、その事自体は悪いことではないのではないかと思う。絵を仕事にしたいとずっと思ってきて、幸運にも今それが叶っている事に心から感謝したいけれど、1年後その状態を続けていられるかどうかなんて誰にも分からない。だからこそ、日々の自分の変化に敏感でありたい。
変わっていくものを見るのは怖い時もあるけれど、嫌ではない。

それがちょっとでも誰かのために+になるものであったらいいと思うし(それもとても主観的で曖昧なことだけれど)少なくとも社会に害を及ぼすものでなければ(笑)いいと思う。

だって横を見れば地平線上の先まで、頑張っているたくさんの「同世代」の姿が見える。地球の歴史、何十億年に比べたら針の先っぽの先っぽみたいな、私が生まれた1980年からこの2008年までという短い時間。その時間を、時代を共有しているというだけで、すごい事だと思う。何も言わなくても共有できる土台があるというのは、ものすごい事だと思う。

知り合いかどうかが重要なわけではない。
もちろん出会えたら、こんなに嬉しいことはないけれど。

頑張れ同世代。いつも元気をありがとう。
そして私も頑張ろう。

勝手な恋文、失礼致しました。