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ルテアトルシネマの中のポスター。

ひとつ前の記事にも書きましたが「届かなかったラヴレター」、観てきました。ゲネ(本番前日のリハーサル)をみせて頂いたので、また本番とは違うちょっとザワザワした雰囲気があってまたその雰囲気も臨場感があってとても素敵でした。私の絵のポスターも貼ってあります。ミュージカル仕立ての歌語り、というコピーの通り、ミュージカルではなく普通の手紙の朗読でもなく、かといって演劇とも違う、という不思議な空間の中で実際に公募で集められたいろいろな人の手紙が読まれ、その合間に井上さんとクミコさんの美しい声が響き、ぐっと来てしまいました。
いろいろな人がいろいろな人に対して綴った気持ち。
その人たちのことを私は全く知らないけれど
その気持ちがそこにある、あった、ということが
不思議なくらいのリアリティでもって迫ってくる。

手紙って、なんだろう。と、今更ながら考えておりました。
同じように気持ちを伝える手段ではあっても、相手に対してリアクションを
求める度が高いメールや電話とは違って、もちろん誰かに向けて書いているんだけど
それはどちらかというと独り言に近かったり、相手の為のもののようで
自分がすっきりしたり納得したいがためのものだったりする。

ものすごく相手のためのもので、ものすごく自分のためのもの。
それは会話ではなくて、物語や、詩や、絵に近いと思う。
言葉のための言葉が ただ そこにあるかんじ。

そして、舞台で読まれた29篇の手紙を聞いていて思ったこと。
母に。父に。子供に。兄弟に。恋人に。友人に。恩師に。または知らない誰かに。

どれだけ多くの言葉があろうと、いろいろな言い方があろうと、どんな長い、またはどんな短い手紙であろうと、突き詰めていくと、人が改まって「手紙を書くこと」で伝えたい気持ちというのはそんなに多くないんじゃないかということ。

「ごめんなさい」

「ありがとう」

「あいしてる」

「さようなら」

もしもう1つ付け加えるなら「おめでとう」かな。

もしこの中から1つだけに絞るなら「ありがとう」です。

後悔、絶望や幸福、混乱、希望、と感情のフィールドは千差万別なのだけど、
手紙というものは結局全部、ゴールにあるこの言葉のどれかにたどり着くまでの道を作るための方法に思えました。

もちろんこれはひどく強引な話で、憎しみや葛藤みたいなドロドロを手紙で相手に伝えるというケースももちろんあるだろうけれど、その気持ちを伝えたい場合はあまり「手紙」という手段を選ばない気がする。そして仮に選んだとしても、そこも更に因数分解すると結局「ごめんなさい」だったりして。
感情の素数は実はすごく少なくてシンプルかもしれないな。

あれ、舞台を観ていたときはすごい発見だと思ったのに
書いたら当たり前な気がしてきたぞ。