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旅から帰ってくるとあっという間に
いつもどおりなのもいつもどおり。
精神的にも物理的にもなんだかジワジワと余裕がなくなってくる感じ・・。
忙しい、っていうんじゃなくて、充実しているんだ!と思おう。ベッキーのように。
とにかくいろんな事が同時に起きています。

私が自分で思う自分のいやなところのひとつはせっかちなところ。
目の前にあるものを終わらせて、次にいかなくてはと考えてしまうところ。
しかも、欲張り。
出来ることは全部やりたい。
どれも手を抜かないで全力でやりたい。
結果、自分で山を増やしておきながら、全部登れないよーって泣き言を言うという情けなさ。そして周りに迷惑をかけてしまうのです。直したいのに、なかなか直らない。

1合目にいるときは はやく頂上に行かなくてはと考え
頂上にたどり着いたなら はやく下らなくてはと考え
食材を買ってきたらはやく料理を作らなくてはと考え
作り終わったらはやく食べなくてはと考え
食べたらはやく片付けなくてはと考え

みたいな感じ。とにかく思いついたことを全部すぐに形にしたい性分なのです。
点と点ばっかりしか見えてなくて、線がちゃんと見られない。
「したい」という願望は
「できる」という状態に変化したとき
「しなくてはいけない」という義務に変化する。
それって、なんだかつまらない。
本当はそうじゃない風になりたいのに、出来ない自分にいつもがっかりする。

そしてそんな風に焦って走る先に、何があるわけでもなく、それどころか本当に大切にしなくてはいけないものを見逃していたり、何をおいてもするべきだったことを手遅れになるまでしなかったりするのだ。そんな本末転倒な急ぎ方には何の意味もない。

なんでこんな風に焦ってしまうんだろうな。
でも、いつ何が起きるか分からないから。
旅に出ると、無駄に脳が空回りしている自分を見つめなおすことが出来て
いつもこの気持ちを忘れないでいよう、と思うのにこんなにも簡単に元通りの自分。

今回の旅で岐阜にある円空さんの仏像をたくさん見ることが出来てものすごく嬉しかった。どれも本当に心がゆったりするような、そして笑顔になってしまうような、親しみ深くて優しいのに、すごく厳しい、そんなものばかりだった。
焦ってグルグルの中に落っこちそうになったら、
あの聖徳太子さんの笑顔を思い出して深呼吸しようと思う。

私が今「やらなくてはいけない」と思って焦っていることは実際、深呼吸ひとつしてみれば、たとえ仮に全部うまくいかなかったとしたって、実は大して大したことじゃなかったりするのだ。って、それも分かってるつもりなんだけどな。三つ子の魂をいっぺんにシフトするのは、やっぱり難しい。

何がどうなったって、元気で生きてられればそれで丸儲けなんだから。

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養老天命反転地の入り口に張ってあった、
ゆるーい張り紙。

「歩いて30分くらい 車で30分くらい」って・・・・。

結局のところ、歩いても走っても、目的地にたどり着くのにかかる時間は変わらないのだよキミ、という・・・・

アートな深いメッセージ?!
それとも、ただゆるいだけ?!

ぴったりじゃなくて、「くらい」でいいや、な感じなくらいでいいや。