image008.jpg最近新聞を購読し始めました。きっかけは「もしもし下北沢」で、だから毎日新聞さんを読んでおります。新聞を定期購読するのはお恥ずかしながら実に5年ぶりくらい。社会人をしていた時に日経新聞を取ってましたが、忙しすぎて家に居られない時間が長くて、たまっていってしまってそれがストレスとなり、いつしかニュースはネットかながら見のテレビでチェックするだけになっておりました。会社にはいろいろ新聞があったので、気が向いたときに読めるという気軽さもありました。

今回購読することにしたときも、また前回と同じになってしまうんじゃないか、とドキドキだったのですが。

そんなことなかった!
新聞を毎日読むのって、こんなに楽しいもんだったのか!と日々感じております。情報の内容やその価値は、新聞だろうがネットだろうがテレビだろうが変わらない。だからどれでもいい。と、思っていたのですがどっこい。

ちゃんと購読している方々にとっては「いまさら~」なのは百も承知な発見で本当にお恥ずかしいですが、新聞を読むという行為は情報の取得以上に「習慣化する楽しさ」にあるのだと思いました。

朝起きる。お湯を沸かしてコーヒーを入れる。
そして新聞を取りにいく。朝ごはんを作る。朝ごはんを食べて、コーヒーをゆっくり飲みながら新聞をパラパラと読む。おお、こんなことがあったのか、とか、こんなのが一面に来るのかフムフム、とか思いながら。じっくり読んでると朝ごはんだけで40分くらい食べてることになるのですが、それだけでなんだか一日が充実したスタートを迎えられるような気がします。

朝テレビでやってるニュースとは定義されていない「情報バラエティ」と称している系の番組だって、結局新聞記事を赤枠で囲んで解説してるだけだもんなあ・・。情報の価値はその鮮度にあるとすると新聞ってやっぱりすごいな。

あとは茂木さんがよく言う「偶有性」的要素。もちろんウェブについて語る時と同じ意味合いで使えないけれど、新聞の紙面には限られた中での偶有性に満ちている。ネットで読んでいた時は興味ある記事しかクリックしなかったけれど、パッケージとして目の前にあるといろいろなところに興味が飛んで、その結果思ってもいなかったような情報にたくさん出会えて楽しい。

分からない英単語を電子辞書で調べると、その単語の意味だけで終わるけれど、分厚い英和辞典で見ていると、調べたい単語と同じページにある別の単語が気になってつい覚えてしまうのと一緒だ。

あ~社会人として恥ずかしいこと書いてる気がする・・。

でも今新聞を購読していない一人暮らしの同世代は多いのではないかと推測。
ちゃんとしている人は、更に色々な角度から、新聞何種類も取ってたりするものね・・。
でも私にとってはひとつの大きな変化&進歩なのでした。

情報の内容は変わらないけれど、その取得の仕方対する自分のコミットメント度合いで、得られる体験の質は変わるのだと思う。
だからやっぱり新聞はなくならないし、本はなくならないと思う。

そして習慣は変わる。歳と共に。求めるものと共に。
自分はしないと思っていた習慣も、何歳になったって身につくし
逆になくせないと思っていた習慣も、ないならないで何とでもなるのだ。

実際うちは引越し後そろそろ一ヶ月経つというのにテレビがまだ映らないという状態でこの一ヶ月テレビなしの生活を送っているのですがこれはこれでまたいいもんです。ドラマが見られなくて悲しいけど!