Denali's Room 一語一絵

旅と猫とあんことスイカを愛する絵描き、デナリこと大野舞が日々をつづっています。

カテゴリ: illustration

BAL


デナリ春の展示のお知らせです!!
今度は、神戸です!きゃー!
5月1日から、16日までです!
はい、また告知が遅くてすみません・・・

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パリの買い物

帰国しました。1週間とは思えない濃い旅でした。
誕生日にメールやメッセージをくれた方、そして
ブログへのたくさんのコメント、本当にありがとうございます!
嬉しい!旅先では結局iphoneはつかえなくて
お返事が全然出来てなくってごめんなさい。
これからじっくりと読んでじんわり幸せに浸りたいです。

いろいろ買い物しました。ただでさえ旅先はお財布が緩みがちなのに、
更に三十路免罪符が加わりいろいろ買ってしまいました。
とはいえ、もとから所謂ブランドものというものには全く興味が薄いため
たくさん買ったといっても散財したというほどでもなく。

後で気づいてみればキッチン関連のものばかり!

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プチ断食
食べ過ぎたり、食に鈍感になっていたり、胃腸に優しくないなあという日々が続いた時には定期的にプチ断食をするようにしております。
(以前一度挑戦した、アーユルヴェーダに基づいた1ヶ月のデトックスプログラム、良かったのでもう一度やろうかどうか迷うんだけど結構きつかったから二の足を踏んでしまう・・)

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iitomo

今期一番ちゃんとみているテレビはおそらく「龍馬伝」だけれど(人生初、大河ドラマをちゃんと観ているがぜよ。。。)大河ドラマはまた別として、今期一番好きだったドラマは「曲げられない女」でした。

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影絵

緊張感を持つのは、よい。萎縮するのは、よくない。

真剣になるのは、よい。深刻になりすぎるのは、よくない。

のんびるするのは、よい。だらだらするのは、よくない。

急ぐことは、よい。焦るのは、よくない。

自尊心は、よい。傲慢になるのは、よくない。

挑戦するのは、よい。無謀なのは、よくない。

アドバイスは、よい。押し付けは、よくない。

節約倹約するのは、よい。ケチは、よくない。

頼るのは、よい。依存は、よくない。

自立するのは、よい。信用しないのは、よくない。

物覚えが良いのは、よい。根に持つのは、よくない。

物持ちが良いのは、よい。捨てられなさすぎるのは、よくない。

慣れるのは、よい。こなすようになるのは、よくない。

頑張るのは、よい。無理をするのは、よくない。

そんな、似て非なるいろいろ。

全ては、バランス。

バランスの取れた人間になることだ。

ウェルカムボード

日は大学時代の大事な後輩(といってももはや先輩扱いは全くされていないため、女友達)の結婚式でした。コンラッド東京にて。

年齢柄ここ数年は本当にたくさんの結婚式に出席しておりますが、結婚式って、変な言い方だけど、出席し飽きるということがない。1つ1つ全てが違うし、どの2人にも軌跡を追ったら2時間くらいの映画になりそうなエピソードがあって、場所も出席者の雰囲気もスピーチも出し物も全て、主役であり幹事でもある新郎新婦が全身全霊で演出しているので、主題は同じなんだけど全く違う舞台を観にいっている気がする。
今回の場合は新郎新婦両方をよく知っている間柄だったので、感慨もひとしおでした。「祝縁」というタイトルがついたこのウェルカムボード、描かせていただきました。2人の軌跡に関係あるモチーフがいろいろちりばめられています。

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今日はとてもあたたかくて、それだけで幸せになる。
季節が変わること、その気配が嬉しいし
それを感じられる自分が存在していることにちょっとほっとする。
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オリンピックを見ていると、たとえその競技や、
その選手についてよく知らなくても、なんだかむやみに泣けてくる。
日本の選手じゃなくてさえ。
この感じは映画のThis is itを見ていて泣けてくる感じと似ているなあと
思った。それは多分<誰かの夢>に混ぜてもらってる感じ。

ある個人の夢が実現する歓喜、あるいは挫折や絶望の瞬間、
その時のまわりの全てを飲み込む吸引力はすごくて
全世界の赤の他人を自分の人生の一部にすることが出来るのだ。

人間が秘めている力はすごいなあ。
私は基本が文系のインドア人間なので、国籍も年齢も関係なく
人間の肉体というものが持っている力、
それを引き出そうとする力に感動してしまう。
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いろいろな新しいものがどんどん登場して
世の中は便利になり生活習慣が変わっていく。
新しいモノやコトはいつでも楽しいし面白い。人間が人生をより楽しいものにしようとする推進力は何にも増してすごい。でも、気づけば、前は当たり前にしていたことが出来なくなったりしている。しなくなるのではない。出来なくなっている。

iphoneに変えてから、電車の中などの移動時間に、本を読まなくなった。twitterをはじめてから、前はもっと練って言葉にしていたものを小出しにして満足するようになった。路線検索サイトやカーナビが緻密になればなるほど、地図が頭から薄れ、SUICAをオートチャージにしてから自分が一体交通費にいくら使っているのか全く分からなくなった。

どんどん本当には頭を使わなくなっている気がして怖い。すべてがただ右から左へ通過して、垂れ流しになって、何も残らない気さえする。
前はもっと「何か」をしていたはずの時間に全然別のことをしているように思う。

前はそういうみっちりした「つながり」から離れたくて旅に出ていたはずなのに、今は日本を出たって状況はほとんど変わらないし。

技術は技術でツールはツールで、どう使うかは自分次第、嫌なら使わなきゃいい、っていうのは言うは易し。嫌だなあって思ってるのに、もう変えられなかったりするのだ。普通の携帯に戻せないし、ipadは欲しい。
もう後戻りできない感じ。怖いんだけどその怖さにも中毒になってしまって次はどんなものが出てくるンだろう、ってドキドキする感じ。

実家の車には昨日から天井にソーラーパネルがついた。
SUICAのオートチャージにはノーベル便利賞?をあげたい。
最新のものはいつでもすごい。でも必ずしも最善ではない。
何が本当に善いことかというのも主観の問題だし分からないな。

img20100128.jpg作業が煮詰まって、脳内をかき混ぜたくて、締め切りが迫っているにも関わらず水曜日という事が背中を押し、「かいじゅうたちのいるところ」を観にいった。好きな絵本をスパイクジョーンズが全力で映像化するのならこれは見逃すわけにはいかんと。
しかし!
センダックの絵本がすご~く好きだから、私の期待値がすご~く高すぎたせいなのかもしれないけどもなんだか眠くなってしまいましたぜ・・。
センダックの世界はどれだけ美しく表現しても、やはり絵ではなくなった時点でセンダックではなくなってしまうのだ。
絵本というストイックなメディアだから成立するマイナスの表現、感情表現や物語の展開をそぎ落とし、そぎ落としきってそこに残された原石みたいなものに対して読む側が想像して、補完して、解釈する事が出来るということ。でも映画だとそれは一方的すぎて、スムーズに流れ過ぎて、好きな場面を1時間眺めていることも出来ないし、映像や音楽の美しさ、そのリッチさが逆に押し付けがましく思えてしまいました。
10数ページの絵本を2時間近い映画にしてるんだし、それはごく当たり前な事なので、「ベツモノよね」として楽しむのが大人だと思うんですがあまりに原作が好きすぎて、なんか違和感をぬぐいきれなかった私は大人気ない!
100万回生きたねことか、絶対映画にしないで欲しい。

絵本、作りたいなあ。
物語、作りたいなあ。

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