Denali's Room 一語一絵

旅と猫とあんことスイカを愛する絵描き、デナリこと大野舞が日々をつづっています。

カテゴリ: theatre

denariya.jpg無事初日が終了しました。
きてくださった皆さま、ありがとうございました!そして休日に手伝ってくれたbeatも本当にありがとう。いろいろな素敵なことがまたあって、全部書きたいのですが、昨日寝てないのと明日も早起きなので終わってからまたゆっくりご報告します。
今日は数えたらポストカードがなんと100枚!(しかも、ぴったり100枚!)も人様の手に渡っており、びっくりです。マグとツックルはそれぞれ10くらいずつでした。それにしてもあんなにたくさんポストカードを売っている人がいる中で、本当に嬉しい限りです。
明日もDENALI-YA頑張ります!

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突然ですが今、うちには天体望遠鏡があります。
この間絵を描いて、お礼ということで頂きました。絵を描いている人は数多くいれど、絵を描いて天体望遠鏡を手にした人はそんなにいないのではないかと思います。もっと実用的なチョイスもあったのだけれど、私は天体望遠鏡に即決でした。

思えば、天文学者にもなりたかった。
天文学者は、日々「無限」だの「何億光年」だの「宇宙の始まり」だの、そんなことを考えながらゼロが恐ろしいほどたくさんの数字ばかり相手にしていて、よく仕事が終わったと同時に「今夜のごはんは何かな」なんていう思考に切り替えられるものだと思います。って、余計なお世話だと思うけど。

望遠鏡で何かを見るとき、それは単に「遠くを見る」というものではありません。

遠くを、望む。そこに私達が望むのは、浪漫なのです。
そこに私達が覗くのは、孤独なのです。

残念なことに東京の空はあまり星が見えなくて、未だ月面旅行は出来ていないけれど。
でも、私のちっぽけな部屋に、天体望遠鏡が、ある。
それだけで、この部屋は月面のクレーターやオリオン座の星雲への入り口になるのです。

そして偶然なのですが、私が毎回宣伝美術をさせていただいている劇団印象の第5回公演のタイトルは、「望遠」。どんな話になるのか楽しみです。
詳しくはこちらをご覧ください。

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今週末は今のところ何かとシアターであります。でも今日明日は引きこもってお絵かきですが。まずはイデビアン・クルーの「迂回プリーズ」。
前回もご紹介した井出さんのソロ公演、idesoloに続き2回目です。
今回はクルー総出演で、前回とはまた違った印象だったのですが、これまた忘れられない舞台でした。うーん。なんだあの動きは。細胞のひとつひとつが勝手に動いているのだけど、やはり前回も書いたようにあれは全員でひとつの「踊る生き物」なんだと思いました。
揃っているようで揃っていなくて、歩いてるだけなのにどこか歪んでいて、
まっすぐだと思っていたら一瞬「ぐにゃり」とぶれる世界。ハッピーなような、絶望的なような。
温度が、あるようでないのです。また、見に行こうと思います。そしてまた私の身体に余韻が伝染して、勝手に動いています。



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idesolo.jpg振り付師井出茂太さん率いるイデビアン・クルーのダンス公演「井出孤独(イデソロ)」を見に行きました。座ったのが一番前の桟敷席で、井出さんが跳ねるとその振動が畳を通じてダイレクトにドンドンと私のおしりに伝わってきました。飛び散る汗まで見える距離で あの広い空間全てが彼ひとりのもので、全員の視線がブラックホールみたいにぎゅっと凝縮されていて ソロとは、見る側にとっても、そして演じる側にとってもなんと贅沢な時間なのでしょう。
あれはもう踊る生物としか表現しようがなかったので踊る生物を描きました。
身体と心がツーカーなのです。すごい。静寂と躍動、伸縮と凝縮、弛緩と緊張、それから鼓動。終わる頃にはダンスが私にも伝染していて部屋に帰ってから変な動きをしてしまった。
人間が精神生命体じゃなくて良かった。肉体があることへの感謝の気持ち。精神生命体だったら、跳ねるたびに脂肪がゆれる感覚なんて分からないだろうから。ビバ肉体。ビバ重力。



img20050419.jpgアテネ公演をDVDで見ました。
アテネ公演!!!実際の屋外の遺跡跡というか、コロッセオのような場所が舞台になっています。ソフォクレス「オイディプス」を、アテネで演る。演出家にとっても、役者にとっても、冥利につきるというものでしょう。行きたかった・・・。
でもビデオで見てもその迫力は十分伝わってきました。

この芝居はとにかく野村萬斎の独壇場で、それ以外の役者は全て彼の葛藤と苦悩を引き立てるための脇役に徹してる。はじめからおわりまで、ずっと。それがとてもうまくいっていて、彼がグイグイ全体をひっぱっていく感じが心地良い。
そもそも私は野村萬斎という人がとても好きで、彼の表現に対する姿勢や、伝統の中に身を置きながら(置いているからこそ?)ラディカルな事に挑戦し続けるところとか、本当に格好よいと思う。だから見ているだけで楽しいけれど、とにかく動きの美しさが半端じゃないので目が離せない。屋外なのに、声も素晴らしく響いている。

演出より舞台より、野村萬斎しか記憶に残らない。こういう場合、物語そのものが既にメジャーであることが、変にストーリーの理解に頭を使わないで演技のみに集中できる状態を作るので良いと思います。

img20050314.jpg千秋楽の前日に「スペクタクル十戒」を見てきました。

で、思ったのは私は舞台が大好きですが、大規模になりすぎたものは苦手であるということでした。蜷川「火の鳥」しかり、山本勘彩「アボルタージュ」しかり。ライブ感と自分との距離の近さ、意味不明の熱気や、舞台ならではの小細工が私が舞台について好きな点なのですが、規模が大きくなればなるほどそういうのはどうしても薄れていってしまう。ブラウン管の向こうと同じ。
それでもおもしろいと思わせてくれれば全く良いのだけど、背景の映像は安っぽいし海が分かれるところももうちょっとなんか出来たんじゃないかな。
歌はみんなものすごい。すごい声量だ。でも代々木の体育館の音響が良くないのと(だって体育館だからしょうがない)、マイクの音量が大きすぎてあれじゃあCDを家で聴いているのと変わらない。あとはセリフが全くなくて、全部が歌と展開の速すぎる字幕によって進んでいくため、物語を楽しむ感じではない。
多分、事前にどういうものを期待していくかによって評価が分かれるものだろうと思いました。あれが「ミュージカル」だとは私は思えなかったから、舞台だと思って見に行くよりも、「ショー」とか「コンサート」だと思えば良かったのではないでしょうか。歌だけでいい。

img20050223.jpg蜷川幸雄の舞台をみました。
(左斜め前方に、映画監督SABUを発見)
絵は似てないけれど、木村佳乃です。真っ白なうなじと胸元がとても印象的だったので。

狂気の将門の、最初は無理があると思える設定が後半になるにつれてどんどん自然に見えてきて最後にはその狂気にこそ意味があったのだと思える流れがすごい。
あと、舞台が異様に凝ってました(お金かけすぎとも言う)。蜷川「火の鳥」も見た時も思ったけど、やっぱり派手です。飽きずに3時間ひっぱられた。ウマ出るわ石降るわ。

あとは時代が古いのに木村佳乃が黒のロングドレスにブーツだったり、男もジーンズに鎧だったりして、衣装がおもしろかったです。ところどころ演出が「くどい」と思えるところもあったけれど。
なんか正統派な舞台を見たなあ、という感じです。
目の前を役者が走っていったり、広い空間がうまく利用されていたり、とても楽しめました。浅間山荘事件がモチーフになっていたということは後から知りました。

inzou.jpgクロゼットの中のナフタレンのにおいが好きでした。もう着られなくなった服たちが、いつかあるかもしれない出番を待って楽屋で朽ちていくせつなさが暗闇の中にはありました。
ところで世の中には女装喫茶なんてものがあるらしいです。クロゼットの中からやっと出られたならば 毛むくじゃらの足に穿かれてしまう、フリルのスカートの悲哀。

男と女は違う生き物なので、たかが口紅を塗ったくらいで、たかがスカートを穿いたくらいで、男が女になれるわけがありません。それでもきっと、形だけでも女になったフリをして女の皮をすっぽりかぶり そしてまたそれを脱ぐとき男はもう一度女の腹から生まれるような気分になるのかもしれません。

どちらにしろ、人間いろんなフリをして生きてるんだから男がスカート穿くくらい大したことではありません。頑張ってるフリ、幸せなフリ、愛しているフリ。背中のチャックを開けて自分が纏っているひらひらフリルをひとつひとつ剥いていったら、ミルクレープみたいに何も残らないのかもしれないけど。
私が宣伝美術をやっている劇団の第3回公演が2月にあります。脚本を読んだら自然にこんな感じの絵になりました。詳しい公演情報はこちらをごらんください。

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「どうも」

ぬっと現れたのはサーカスの団長。そこにいた事にいままで気づきませんでした。
リーは尋ねました。
「プラハで興行中なの?」

「わたしたちは”パンと人形”サーカス団。ひとりでも観客がいるところにはどこにでも現れます。」

fg95bybb.JPGエレファントバニッシュ千秋楽を、見ました。場所は地元三軒茶屋のシアタートラム、もう1年以上住んでいるのに初めて行った劇場。
そしてそのあまりの精度・完成度・演出の細やかさ、おしゃれさに、衝撃。「芝居」という枠の中でみたらこれまで見たものの中で一番好きだったかったかもしれない。村上春樹が好きなせいもあるけれど、彼の自意識が限りなく拡大した世界観をどのように舞台にするのかと思っていたら、小説的世界観と演劇ならではの手法が見事に調和してました。ひとつひとつの動きや演出が本当に磨きぬかれていて。
自分の意識とその延長線にのみ存在する他人、独白と、自意識を体現する役割を持った他者。世界の中での自分の存在に対する違和感と、自分と世界をかろうじてつなげている何か。それは、ゾウだったり、マクドナルドだったり、眠りだったりする。
すごかったな。千秋楽に見られてよかった。当日券、並んだだけはあった。

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