Denali's Room 一語一絵

旅と猫とあんことスイカを愛する絵描き、デナリこと大野舞が日々をつづっています。

2011年01月

離脱私は普段霊やUFOなどなど一切見えないし、未来も過去もさっぱりわからんし、オーラとかも読めないし、瞑想も呼吸法も5分くらいで飽きちゃって漫画読んでしまうくらいなのですが、たまにインパクトある体験をする。
この間眠ろうとしたら、こんなことがあった。体全体が急にぐわっと熱くなってふわっと中身だけ持ち上がる感じがして、私の背中よりずっと深い下のところから、自分と同じ形の人型の緑色の影みたいなものが私を突き抜けて、上の方に上っていった。それが1回じゃなくて、人型はズトーン、ズドーンと、何回も体の中を抜けて上の方に上っていった。ちょうど私と同じサイズ。見えるのは上方向だけだけれども、それが背中の方から来ているということは感覚的に分かった。体を中心に、上方向と下方向に合わせ鏡みたいな空間が広がってるイメージ。

私の本体もそのベルトコンベアーみたいに流れてくる緑の人型の1つにのっかって、一緒に上に行けるかと思ったけど、それは出来なかった。例えるなら、海の中にいて、背中の方から波がどんどんやってきて押される感じ。

寝てたかといわれると、ふとんに入ってさあ寝よう、としていたところだったので、明らかに目はパッチリで起きてた。そうなっている時も自由に手足は動かせたから、別に金縛りでもなかった。
あれはなんだったんだろうなあ。キーンキーンみたいな甲高い音もずっと聞こえてたなあ。出そうで出ない感じのもどかしい不思議体験でした。でもちょっと楽しかったな。布団の中で寝ながらサーフィンしてるみたいだったのです。(波に乗れない下手なサーファーだったけど)

実際は既に寝てたかもしれないけど、
リアルでも夢でも別にどっちでもいいと思う。
その「感覚」をリアリティを持って味わったことのが大事と思う。
不思議なことがある世界と不思議なことがない世界、ある世界の方が楽しいと私は思うから、特に懐疑的になる必要も感じない。
あの緑の光はなんだったのかな~。


ロゴ2

その道は一見とても正しく見えて、みんながそこに行けと言っていて、自分でもその方がいいだろうなあと思うのに、なんだかなんだか何かがひっかかるということはどんな時にでもある。何がひっかかるのかは分からない。自分で掘り下げてみても、悪い点は特に見当たらない。でも、何かが気にいらない。その道を行くと起こるであろう何か、もたらされてしまうであろう決定的な何か。

なんで行けないんだろう、って思って、行きたいはずなのに、って思って、もしかして本当はいきたくないのかもしれないって思って、じゃあ何でだろうって。
そこにいかないなら、どうしたいんだろうって。

迷わず行けよ、行けばわかるさ、でいいのかもしれない。でも何かがひっかかるなら、そこにきっと意味がある。見てみないふりして、何かをないがしろにすると、きっと後で手に負えないことが起きる。だから直感を信じて、ちゃんと何かの正体をつきとめなくてはいけないと思う。

行かないこともまた、ひとつの道。
けれど結局どれだけ考えても、出来るのは、ただ、進むことのみ。

迷ってもいいけど行けよ、行けばわかるさ。

観音様もうここ何年もその傾向はあったのだけど、最近考えた事が現実化するスピードが異様に早く、しかもピンポイントすぎるので、自分でもギョッとする。○○みたいなことがしたいなあ、と思っていると、どこからともなく○○の機会がやってくる。○○さん全然会ってないけど元気かなあ、と思っていると○○さんから数年ぶりにメールが来る。生まれてはじめて聞く○○という単語が、1日のうち全く別のところで何度も出てくる。いよいよそういう時代になったのだなあ。昨日はICレコーダー的要素が多い一日だった。ICレコーダーという単語を口にするのだって数年ぶりくらいじゃないかという感じだったのに。
2011年はそれがもっとすごいレベルでおきていくというんだから、一体どうなってしまうのでしょう。

思考エネルギーにはネガティブもポジティブもないから、考えてしまったらそれはもう猛烈なスピードでこちらに寄ってくる。だから、「○○が起きませんように」「○○だけにはなりませんように」はいけない。考えたらもうその現実はそこにある。ポジティブな面に焦点を当てるというのは単に「○○になりますように」という希望をするだけじゃなくて「○○で嬉しいなあ」とむしろ既に実現しているくらいの勢いでそのことをイメージするのだ。

すると面白いくらいにそれはこちらにやってくる。
Aになる、Aが起こる、という現実を猛烈に強烈にイメージして考えていると、仮にピンポイントにAにならなくてA´やB、Cくらいになることはあっても、少なくともZにはならない感じがする。

とは言え、何もせず漠然とぼんやりしていてもAはやってこない。Aにいたる過程の前に必ずA的サインがあって、それを見逃さないようにしっかりとひとつずつ手繰り寄せていくことが大事。

そのためには何よりもちゃんと心の声を聞くこと。自分の中に深く入り込んで、そこにいる小さな自分の望みを知ること。

心に嘘をついてない?体に嘘をついてない?
今めまぐるしく見ているものは、目が本当にみたいもの?
今うるさく耳に入ってくる音は、耳が本当に聞きたいこと?
無感覚に口に入れているものは、本当に食べたいもの?
目の前の人にしたいと言っていることは、本当の本当にしたいこと?

そこにごまかしや見栄があると、宇宙はすぐにそれを嘘だと見破って、そんなのは何も引き寄せない。
イメージすること。なるべく具体的に思い浮かべること。
破滅的にならない程度に楽観的で、奢らない程度に自信を持つこと。

あくまで、のんきに!ノー葛藤を目指して!

私だって全然出来てないけど、ほら、書いたら実現するかと思って!(←こういうところが出来てない証拠。笑)

とにかく世界は面白い。本当に面白い。いつもと同じ一日に見えても、一日24時間、ありとあらゆるところにサインがあって、ヒントがあって、入り口と分岐点があって、隠されたブロックを叩くと1UPキノコが出てきたりするかもしれないから、心を研ぎ澄ませて、目に見えないものハンターになってひとつひとつそれを探り出していく。

あ~これからどんな世界になっていくんだろうなあ。意識がとことんまで拡大すると何が起きるかワクワクだなあ。面白いことどんどん起これ。妙にスピリチュアルになってしまいましたが、分かる感じの人には分かる感じだと嬉しい。

USJ集合写真
ところで、このお正月にはすごい事がありました。親族全員大集合の会、です。父方のおばあちゃんが年末にかけてずっと入院してしまっていたのですが、お正月に退院する事が出来たので、皆でおばあちゃんを囲む会。お正月に親族で集まるというと特に変わった事はないように聞こえるかもしれませんが、とにかくこの一人のおばあちゃんから繋がる、生存している人間「全員集合」だったというのがすごいのです。こんなのはじめてです。みんな自分たちの人数が多くて何が何だか分からなくなり、樹形図を書き出しました。

樹形図の頂点は、おばあちゃん88歳。(世代1)おばあちゃんの2人の子供(世代2@:私の父)2人の子供から生まれた計5人の孫。(世代3:私の世代)孫たちが生んだ現時点で7人のひ孫。(世代4)つまりおばあちゃんとその直系の子孫たちだけで15人。そこにそれぞれの配偶者が加わると合計20人。
おばあちゃんが入院する事件がなかったら、いつもと同じようにお正月は集まれる人だけでこじんまり集まって、温泉に入る、ということにしかならなかったと思う。おばあちゃんは大変だったけれど、その事があってこうして今年全員集った事に何か意味を感じるし、集まれる親族がいるというのは幸福なことでもある。一番年上の従兄弟(なんと四児の母)なんて10年ぶりくらいだったけど!

樹形図を眺めているとひたすら大きな川の流れを見ているような気持ちになって、ため息が出る。歴史だ!1人の人間が生まれてから88年の間に20人の一族を作り出している。そしてその三角形の裾野はこれからもどんどん広がっていくんだろう。更に上流を辿ればおばあちゃんだってまた別の大きな三角形の裾の点の1つにしか過ぎない。遺伝子を引継ぎ、血を分け、時間を共有してきたひとつのつながり。上にも無限だし、下にも無限。そしてそういう「家」同士が婚姻で更に絡み合っていくのだから、横にも無限。縦横無尽の遺伝子ドミノ。ああ、くらくら。
可能性としてはそうして私が三角形の頂点となり、無数の人間の祖先となるという事があるわけで、人間の肉体が抱える可能性と役割をあらためて考える。私は産む性であるので、余計に考えてしまうのかもしれない。歴史は続いて、子孫は増えていく。人間ひとりはちっぽけなようで、そのひとりがいなかったら永遠に誕生しなかったひとたちばかりでこの宇宙全部が出来ている。どんなに孤独に思えても、例え自分で血が途絶えても、別にそんな事は関係なくて、自分の中にはその無限が生まれた時点で既に含まれているんだということ。

そんなごくごく当たり前のことをじっくり考えたお正月。

ちなみに何故写真がUSJかというと、ちびっ子たちの希望であります。お正月のUSJは人も多くて親族20人で行動するのはシュールなくらいのてんやわんや具合だったけど、もう子供たち大喜び!だし、0歳児の面倒を常に誰かが見ながらローテーションでアトラクションに乗りに行く、というすごい1日だった。楽しかったけど大変だった。そんな中この貴重な集合写真を撮りました。後にも先にもこんなフルメンバーでUSJに来るのはこれきりであろう。

赤ちゃんたちが泣いちゃって写真1枚取るのも一苦労だったけれど、いつかの未来に私が子供や孫に囲まれて、アルバムにはられたこの写真を眺めながら、バカみたいに騒がしかったこの日の事を話すことを目を閉じて想像するんだ。

れーしっく
ついにレーシックしました!新年から強烈な体験をしてしまいました。コンタクト生活も10年目くらいに入り、慣れてはいたものの、旅の度にガサガサ持って行ったり、入れたり出したりにもうウンザリ、コンタクトや眼科に費やしてる金額を考えたら10年もしないで元がとれるではないか!と思い、思い続けていたのにビビッて二の足を踏み続けていたのですが、ついにやっちゃりました。
結果、両眼とも0.1あるかないかくらいだったのが、1.5になりましたことよ。

以下詳細。あくまで怖がりの私の感想なので、深く気にしないでください!続きを読む

2011年年賀状みなさま、遅ればせながらあけましておめでとうございます!
親族の集いのため関西方面に元旦から行っていたため、更新がまた滞ってしまいました。
ザ・帰宅ラッシュという時期に新幹線自由席という無謀なことをしてしまったため、案の定ただでさえ風邪気味のところ、風吹きすさぶ通路で2時間半うずくまっている事となり風邪悪化。今年の目標をまず「健やかな心身」にしようとしていたのに、不穏なはじまりであります。笑 しかも明日はレーシック手術だ・・。ちょっとの間はPCも開けないだろうか。

何はともあれ、あけましておめでとうございます。
2011年のはじまりはじまり~!!!
「北にいきる物語」カレンダーも役割を終え、「もしもし下北沢」カレンダーが壁にかかりました。デナリカレンダー、終わっても捨てないでとっておいてます、と言って下さる方が毎年多いので、とてもうれしいです。

今年もまた張り切って、このブログをつづっていきたいと思います。
いつも来てくれるみなさま、本当にありがとうございます。
今年も宜しくお願い致します。

関係ないですが、今年はアナログの手作りだ!外注なんて味気ない!と思って時代の遺物プリントごっこと格闘して製作したこの年賀状。プリントごっこだと細かい絵は難しいのですが、それでも多色刷りにして手間をかけたこのウサギ。ぺたぺたしながら1枚1枚作るのは楽しいし、部屋中に並べてインクを乾かす感じも懐かしいし、「かわいく出来たじゃないか!」と自分では思っていたのに、母からは「何これ、宇宙生物?」と言われ、妹からは「ナマケモノかと思った」と言われ、おばあちゃんはどっちから見たらいいのか分からなくてはがきをくるくる両手で回し、友達が「もちろんウサギだよね、分かるよ、ここが耳でしょ?」と指さしたところは足だったりして、へこんでおります。「2011」という字が隠れている事に気づいてもらえないならともかく、そもそもウサギだと思ってもらえないなんて!!どんなイラストレーターだよ!はふー。
ということで、分かりづらくてごめんなさい。
ウサギです・・。耳と足で、2011になっているんです・・。

来年印刷に戻っていても何も言わないで下さい。

sota

あけましておめでとうございます!
2010年のうちに2010年を振り返ろうと思ったのですが気づけば新年になっておりました。年末というのはいつもの5倍くらいのスピードで時間が過ぎるものです。
妹が広島から甥っ子をつれて帰省しており、まだ6ヶ月なのにすごく成長してて感動。赤ちゃんの成長スピードも、年末時間スピードと同じくらいなのではないでしょうか。普段会えないので、こうして集える機会はうれしいものです。ただまったりとみんなでごはんを食べたりゲームをしたり、いかにも年末っぽい過ごし方をしました。ちょっと前まで当たり前だった光景が、いつの間にこんなに貴重な時間になったんだろう。

2010年は最初から最後までニュースばかりだった。
とにかく、ひたすらに、濃かった。続きを読む

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