Denali's Room 一語一絵

旅と猫とあんことスイカを愛する絵描き、デナリこと大野舞が日々をつづっています。

2011年06月

台湾から帰ってきました。台湾式の結婚式にみんなで参加できて、普通の旅とはまた違う楽しさを味わえた本当に良い旅でした。にしても体重計に乗るのが恐ろしい・・どうかしちゃったんじゃないかっていうくらい食べた旅でもありました。あまりに食べたので、その記録と共に書き残しておきたいと思います。
kensan

個人的な今回のベストショット!全く意味はないけどみんな楽しげです。金城武と志村けんがCM撮影したというマッサージやさんにて。続きを読む

アマテラス

直接的なボランティアの話のあとは最新の仕事でもある、間接的な復興支援の話。イーオクト株式会社さんと一緒に「おひさま復興支援プロジェクト」に参加させていただきました。イーオクトさんはエコグッズや北欧のデザイナーの方のとても可愛い生活雑貨などをたくさん作られているところです。洗剤のフロッシュとか、有名です。中でも私が好きなのはスポンジワイプ。皆様もインテリアショップなどで見たことがあるのではないでしょうか。飾ってもかわいいし、耐久性もあってずっと使えて、最後は土に還る素材のとてもsustainableなグッズです。私もいろいろな柄(というか主にネコ柄)のものをいくつか集めていて、「いつかこんなスポンジワイプが作れたらいいな~」と夢みておりました。そんな風に私自身がファンだった会社と一緒に何かを作ることができる日が来るなんて、本当にうれしいです。
おひさま復興支援プロジェクトはこのようなプロジェクトです。日本のデザイナーと北欧のデザイナー、計10人がこのプロジェクトのためにデザインしたスポンジワイプを販売して、その売り上げで被災地にソーラーパネルを設置するというプロジェクトです。だから「おひさま」プロジェクト。

イーオクトさんはこれまでずっと北欧のデザイナーの方だけを使われていたので、日本人がデザインに関わるのは今回がはじめてということになります。とても光栄なお話。それに加えて、このパンフレットを見てしまうと分かりますが、私はなんというすごいメンバーの中に混じっているのでしょう・・最初見たとき顔が白くなりました。ういててハラハラします。

でもこのアマテラスのスポンジワイプがいろんな人に使ってもらえたらいいなと思います。きっとこれからいろいろなところでお目見えしていくのではないかと。こういう所謂生活雑貨をデザインさせて頂くのもはじめてのことなので、日常の一部となれることもうれしく思います。たくさんのソーラーパネルがもっとバランスの良い形で、日本中増えてゆきますように。自然はときに厳しさを見せるけれど、やはり自然の中に生かされている私たち。

牛角

あとは、私が見た風景の一部たちです。「かつてそうだったもの」の残骸が街にあふれています。
同じ日本で地続きの場所にある風景とは思えませんでした。続きを読む

s-かすかファッション

これが私が5日間過ごしたピースボートがベースキャンプにしている「カスカファッション」ビルです。あとは専修大学などもキャンプ地になっています。元は洋服の工場だったところで、ここも津波で1階部分が土砂で埋まっていたところ、片付けてこうして拠点にできるまでになりました。男部屋と女部屋がビニールシートで仕切られていて、みんな床に寝袋をしいて寝ます。

・夜はいびき的にかなりすごいことになるので【耳栓】必須だと思いました。
・床が冷たいので、寝袋の下に敷くマットも必要です。

基本的にずっと6人1チームで動きます。友達と行けば同じチームになれるし、1人で参加してもランダムにチームが組まれて、一緒に作業するので仲良くなります。参加している人は本当に様々。年齢、国籍、性別、経歴、一切関係ありません。みんなただの労働力。ピースボートが指揮する形で、他の団体や企業さんの人も同じキャンプにいるので、もう本当にいろいろです。IBMのアメフトチームの方たちのマッチョさがすごくて頼もしかったです!

私が一番たまげたのは、最終日ずっと一緒に泥掃除の作業をしていたインターナショナルチームの陽気なアメリカ人が、後で聞いたらブルーマンだったことです・・。分かるわけない!道理で細いのにものすごく筋肉質で力持ちだと思ったよ!公演に招待されたので今度行こうと思います。続きを読む

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石巻でのボランティア活動から戻りました。1週間に満たない短い時間でしたが、感じたことはあまりにも多かったです。心のどこかに「もう3ヶ月」という気持ちがあった中で、目にした景色は悉く信じられないものばかりでした。それでも3月からいる人が声を揃えて「あの時から想像もつかないくらい片付いた」と言うので、当時の光景はどんなだったろう。更には私が見たのは広大な被災地域の中の石巻市というたった一つの街の姿。果てしない。

被災地の現実を五感で体験したことで、自分の中の大震災が変わりました。あんなにもゼロになってしまった場所や人たちに、安全で快適な場所から「頑張れ」とか「大丈夫、一人じゃない」とか、安易に言えない。瓦礫と化した家、ヘドロの臭い、何ひとつ残っていない街。写真は全壊地区である南浜町を日和山公園という高台から見たところ。無事に見える家も本来そこにあったものではなく、家ごと他の場所から流れてきたというものが多いです。津波の被害にあったところは満遍なく容赦なく破壊され奪われていました。夕焼けに染まる景色を見ながら、ただ、祈りました。

復興という言葉が眩暈がするほど遠く思える中、それでも何とかしようとしている人たちがたくさんいて、着実に1歩1歩進んでいる姿もたくさん目にしました。今、本当に切実に人手が必要とされています。1人でも多く、1日でも早く、長く。家族だけでやれば1ヶ月かかってしまう作業が、大人が10人いれば2日で終わるのです。どんなに果てしない作業でも、大勢でやれば早く終わりが来る。被災した方から何回も「最近はボランティアさんが減っちゃって・・」という言葉を聞きました。

彼らが本当に辛くなるのは、ある程度時間が経った今からなのではないかと思います。世間の関心が薄れて人が減っていくのに、自分たちの時間は3月11日で止まってしまったまま。大切な家も思い出も瓦礫の下に埋もれて、掘り出す気力もないのに周囲の時間だけがどんどん動いていく。それはどれほど辛いことだろう。

私が被災地から東京に戻って一番「ああ、帰ってきた!」と思ったのは、入れなかったお風呂に入った時でも、レトルトじゃないごはんを食べられた時でもなくて、「カフェで一人で読書しながらお茶した」時でした。人間にとって本当に大事なものって、実はライフラインのその先にあるように思う。電気ガス水道、衣食住だけでは人は生きていけない。心のライフラインもある。お茶したり、ゴロゴロしたり、散歩したり、意味なく誰かに電話したり、そういう「なんでもない」時間を、心は死ぬほど欲してる。それがないと、どんどん虚ろになってしまうのです。生活を整えるのがもちろん一番大事だけど、中止になりそうな祭りやイベントを開催するのも大事だけど。そういう単発なことだけではなくて、ちゃんと日々続く「なんでもない時間」が一日でも早く被災地に訪れるように、できることをしていきたいと思いました。

今回、体力ない私でも、ちゃんと「人手」になれました。もっとできる。だからこれきりにするのではなく、また行こうと思います。ボランティアに行くことをあまり特別なこととして捉えるのではなくて、変な言い方だけど、習い事に行くみたいに、平常心をもって生活の一部分みたいにできたらいいなと思っています。

後はもうちょっと実際の活動について、次から詳しくレポートしたいと思います。うれしいことに私のブログやつぶやきをみて「私も行きます!」と言ってくれた人が何人かいたので。「行ってみたいけど具体的に何があるのか分からなくて不安」という声もあったので、なるべくプラクティカルなことをシェアしたいと思います。

現地で写真を撮ること、最初は観光地じゃないんだし、と思っていたのですが、被災者の方の「逆に撮って欲しい。今の石巻の姿をなるべく伝えて欲しい」という言葉を聞いたので、何枚か撮ったものもアップします。

続く。

石巻におります。ベースキャンプとなっている元洋服工場跡にキャンプしながら、側溝のヘドロを掃除したり、浸水した住宅の瓦礫を出したり、塩害でダメになった街路樹の根っこを掃除したりしています。
三ヶ月経っても、津波の被害を受けたところはまだまだ信じられない風景。街中に嗅いだことのない臭いが満ちてます。あまりに理不尽な爪痕、実際目にすると言葉が出ません。住んでいる人やお店の人達の「がんばろう石巻」という張り紙が街中に貼られていて、胸が詰まる。外から短期間来て帰る地元があ る私には何も言えない。あと2日頑張ろう。
何もかも変わってしまっても、夕焼けの美しさはこれまでと変わらないんだろうな。

ura-2
今日から6日間ほど石巻にボランティアに行きます。ピースボートは3月の震災直後からずっと現地支援に行っていて、1週間単位で人を継続的に送ってきました。船仲間も何人も現地で頑張っています。5月の連休明けから世の中はなんとなく「一段落」という雰囲気になってしまい、ガクっと一気に人が減って、現地ボランティアの数が一気に8分の1になってしまったとのこと。それでも状況はまだまだ人を必要としていて、これから暑くなってくる季節を迎えて疫病などを蔓延させないため、ヘドロの撤去作業などとにかく人手が必要であり、一刻を争う事態であること。

1週間単位で人を送っていたのは、やはり1日2日だとボランティアとして役に立たないというか、「習って、覚える」だけで過ぎてしまって、効率が悪いから。それでもそんなことを言っていられないほど人手不足は深刻です。そのことを踏まえて、連休後から「短期支援ボランティア」の仕組みが整えられました。最短で2日から。自分の都合で延長することもできます。説明会に参加するとその場で6人グループに適当にふり分けられ、それを1チームとして行動します。現地への足は、ピースボートの方でバスが手配されます(片道2500円)。食料、寝袋、作業着などはもちろん日数分、自分で持参して、ゴミは持ち帰ります。8泊9日の定期現地支援ボランティアも引き続き募集しています。
私は1人で申し込んだのですが、一緒のグループになった5人の人といろいろ相談しながら出来るので、「ボランティアしたいけど一人だとどうしていいか分からない」という人も不安なく行くことができます。週末だけでも行く事ができます。良い意味でとてもシステマティックに、そして、短期であっても確実に「現地で必要とされる人手」としていくことができます。
興味がある方、是非、説明会に参加してみてください!おこがましいけれど、この記事を見てもし「私も行こう!」って思ってくれる人が1人でもいたら、いいなと思います。
ピースボート災害ボランティアセンター東日本大震災 緊急支援ページはこちら。

以下ただのものおもい。

震災から、3ヶ月経ちました。まだ3ヶ月、のような、もう3ヶ月、のような。
忘れないこと。今この時の感じを、覚えていること。
3月の日記に自分でそう書いてた。

でもどんな状況にも人は慣れる。「自分にできること」の範囲は人それぞれ違うのだから、無理をする必要は全くないけれど、「自分にできること」の幅が、時間がたったらいつのまにか狭くなっていた。見ないふりをして狭めてたとも言える。「自分にできることをしよう」と前のめりで頑張っていたのが、「自分にできることだけしていればいいや」になってきてた。だから今行こうと思いました。短期間で出来ることはやっぱりたかが知れてる。1回行けばそれでおしまい、というものではない。でも参加するモチベーションなんてどうだっていいと思うのです。手は、手。お金に色がないように、スコップを動かす手にも色はない。物理的にたくさんの手が求められていて、行けば必ずその日、役に立つことが出来る。こういうシンプルな状況は実はそんなにないと思うのです。

地震が起きてすぐ、迅速に行動して現地に行ったり出来る人を心から尊敬した。一番切実に必要なものを届けていた人々。私はそんな風にできなかったし、自分のことで精一杯だった。といって今だったら"too late"かというと、"never too late" なのだと思います。1年経っても、3年経っても。いつだって、何かをしようと思ったときが何かをするべきときだ。状況はどうあっても長丁場。気を張りすぎず、気負いすぎず、自然に自分の一部として考えられるように、動ければと思う。

もやしっ子なりに頑張ってきます!

メイン絵

ぼうけんのびんづめ、第13回がシティリビング東京版の6月3日号に掲載されました。
ブログを見てくださってる方には見覚えがある絵かと思われますが、震災の後にこのブログに載せた岩手の「めがね橋」のコラムを、今回ぼうけんのびんづめにしました。初回から今までずっと国外ばかりだったのすが、国内の旅も大好きです。東北への旅は素晴らしいものだったので、今本当によく思い出します。

こちらで読むことができます!

星野リゾート

最新のお仕事のお知らせです。全国にたくさんのリゾート施設を経営している星野リゾートさんの公式サイトのイラスト、各施設のカテゴリーロゴなどのデザインをさせていただきました。(星のやさんのロゴは昔からずっと使われていたものですので、それ以外です)
最新といっても1年近く前から動いていたプロジェクトでした。本当は3月中旬にリニューアル公開されるはずだったのが、震災があった影響で内容の変更もあり大幅に延期され、この6月1日からの公開となりました。震災の後東北にある宿を避難所として迅速に提供していたり、その後も継続的に復興プロジェクトを企画していたり、本当に素晴らしいなあと思う対応をされている会社です。
私自身が泊まったことあるのはずっと昔に「リゾナーレ」、出雲の「有楽」、軽井沢の「星のや」。リゾナーレはアラスカに行く前の最後の家族旅行で、おじいちゃんも生きていたときだったから懐かしいです。有楽は神様に愛された土地出雲にある温泉の良い宿で、宿自体がパワースポットになっているような場所でした。出雲大社にも玉造神社にも近いです。言わずとしれた「星のや」軽井沢ではま異世界にいったみたいな、それでいて自然や日本のよさを再認識できるようなを贅沢で楽しい時間を過ごしました。ハルニレテラスの日本酒ジェラート美味しかった・・。

日常から離れてリラックスできたり、自分を見つめなおしたり、思いきり楽しんだり、そんな旅の楽しさ全てを左右するのが宿。まだまだ訪れてみたいところがたくさんあって、サイトにあるマップをみながらワクワクしています。
是非見てみてください!
星野リゾート公式サイト。星のや

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今日はなんだかんだ関わるのが恒例になってきた(?!)下北沢のピュアロードでのフリマに参加しました。
私が描いたこののぼりも、なんだか年季が入ってきてます。

今回はもしもし下北沢の時のようなイベントでも、前回のような私物を断捨離する会でもなく・・。下北沢で一番美味しいタイ料理やさん「ティッチャイ」を拠点に半年ほど前に結成された「春風合唱団」のメンバーとして、ステージで歌ってきました!!合唱をしたい、というそれだけの理由で集まり、年齢バラバラ、属性バラバラの女子たちで出来上がったグループです。歌のプロの高水春菜先生の指導のもと、毎週1回集まって歌う、ということをずっとやってきて、そろそろ誰かに聞いて欲しいねえ、なんていう話になった時、このフリマで歌おうということになって、そして本日無事に初舞台を迎えました。直前はお弁当を持って公園にいって歌ったり、かなり強化練習したりしました。
よく考えたら人前で歌うのなんて、最近では結婚式の余興以外にはなかった・・。
と思ったら急に緊張したけれど、温かいピュアロードのお客さんの雰囲気に励まされて、とっても楽しかったです。無事に30分ほどのライブを終える事ができました。出し切った!燃え尽きた!

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みんなとりあえず楽しそう。お客さんも一緒に歌ってくれたりしました^^)

大人になってから「仕事以外のこと」で何かを一緒に出来る、一緒に一生懸命になれる、ってあまりないと思うのです。みんな忙しいしそれぞれの仕事があるし、お金になるわけじゃないし、誰かに頼まれたわけでもないし、習い事とはまた違うのに、「楽しいから」という純粋かつ単純な理由で週1回集まれるって、意外にできないことじゃないかと思う。地震のあとにみんなの顔を見てアンパンマンマーチを歌ったら体の底から元気が出たのを思い出す。歌の力はすごい。そしてほんのちょっとしたキラリとした思いつきから、こうやってみんなで発表するところまでやってこられて、本当に嬉しいな。

今日はそのあとフリマに来てくれた友達とお茶したり、出店していた山奥仲間たちと美味しいごはんを食べたりして、この街に住んでいる喜びをあらためてかみしめた。はっちゃんが助けてくれたり、つきまさのりえさんがのぞきにきてくれたり、見知った顔をお客さんの中にみつけたり、この街そのものに暖かく包まれて、守られている感じがする。こんなにいろいろな事があって、いろいろな人に会えた素敵な1日が、自分の家から全部半径500メートル以内くらいで起きてるって!

東京に暮らしてもう10年近いけれど、今まで住んだどんな街にもこんな風に思うことはなかった。街に対して「24時間営業のスーパーが近くにあって便利だ」とか、「本屋さんが多くていい」とか、自分は閉じた状態で一方的にしか関わってこなかった。でも本当はまぶしいものを見るような気持ちであこがれていた、街や人やお店の繋がり。気を使うご近所づきあいとはまた違う、自分がその街の細胞のひとつになっているような感覚。それがここにはあるような気がして、私なんて全然まだ住人としての日も浅いし、欲張って触れたら消えてしまうような気がして、いまでもおそるおそるだけれど。それでもその温かい絆を感じる時、お店で注文する時「いつもので!」言って笑顔で分かってもらえたりするたび、道端で友達にばったり会って立ち話をしてすれ違ったりするたび、ちょっと泣きそうになるのです。
この街が好き。この街にいる人たちが好き。
居させてくれて、ありがとう。と、思う。

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