2013年08月
魔法の庭
おばあちゃんが愛をこめてる実家の庭は魔法の庭で、元気がなくなった植物もここに連れてくると嘘みたいに息を吹き返す。里帰り中に弱ってしまった無花果、この庭に連れてきたら次の日にはもう葉がキラキラしだした。この庭にはいろいろな植物が暮らしているし、みんなここにいられることが嬉しそう。
毎年毎年ブドウも、みかんも、梅も、キウイも、ブルーベリーも、山椒の実もなる。夕ご飯のためにハーブやシソが必要になると、「ちょっと待っててね」とおばあちゃんは庭に出て、それらをひょいととってくる。
全部、無農薬。とれたては全部フレッシュな愛の味がする。虫も鳥もこの庭でとれるものが大好きだから、みかんなんか毎年鳥と先を争って取りあってる気がする。笑
10年くらい前に私が沖縄で買ってきたお土産のクワズイモの苗、それは本当にTHEおみやげ、という感じの、悪く言えばちゃっちい感じの全長10センチもないような小さな苗だった。それでも健康や幸せのお守りになる植物だというから買ってきた。私はそれをおばあちゃんにあげて、そして先日こう言われるまでそのことは忘れていた。「これ、あの時もらったクワズイモよ」って。一瞬なんのことだか分からなかった、だって目の前にあったのは縦にも横にも1メートル以上にもわっさわっさと成長してたくさん株分けまでされて元気いっぱいのクワズイモだったから。あんなちっぽけなクワズイモがおばあちゃんの手にかかるとこんなになるんだ!と心底驚いた。これが母、ゆりこだったら、間違いなく次の年までに枯れてると思います。(笑)
小さい頃からいつもこの庭は四次元ポケットみたいに私には思えて、本当はそんなことはないんだけれど、あらゆる種類の植物が植わっているように思えるのです。
庭は草原や野原とは違う。人が関わっていないものを庭とは呼ばない。庭を愛して、手入れをする人の気持ちがあってこそ魔法がかかる。愛の強さが魔法の強さ、小さい頃から豊かに変わらず植物を育んできたこの魔法の強さはどれほどだろう。ここは最初おじいちゃんの庭だった。おじいちゃんがいなくなってしまって、そのあとをおばあちゃんが引き継いで、魔法をかけ続けている。
今回帰省している間に、2ヶ月前に収穫された梅が、干されて梅干しになった。できたての梅干しはまだ「くだもの」って感じで甘酸っぱくて本当に美味しい。シソは自家製の山椒と一緒に佃煮になったり、乾燥させて砕いてゆかりになったりした。「梅は本当に捨てるところがないのよ」とおばあちゃんは言った。できたてのゆかりで作ってもらったおむすびはこの世のものとは思えない美味しさ。それからシソジュースも作られた。葉っぱをぐつぐつ煮て、お酢を入れると茶色だったのがフワーーーーッと鮮やかに透き通った赤色になるのはまさに魔法がかかる瞬間を見た感じだった。シソジュースは水で割ってもソーダで割っても美味しいし、たくさんできたので一部は寒天で固められてシソゼリーになった。
自分の家の庭でとれたものを食べられることってどれほど安心で幸福なことだろう。
夕暮れにこの庭を見つめているとキラキラ光がさして、あちこちの葉っぱの陰からおばあちゃんの手伝いをしている妖精たちが、あっちこっちから顔を除かせるように思える。
この庭はこれから先もずっとここにないといけないと強く思った。
これから先も引き継がれてずっとずっと。
そうじゃないと妖精たちが住むところがなくなってしまうから。
もっとちゃんとおばあちゃんに魔法を教わらなくっちゃ。
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