人生というのはどこでどうなるかわからないものですが、ちょうど今また、いろいろな道がわかれた岐路に立っている気がする。
どっちを行くか?
どう行くか?
渦中にある時は、枝分かれの中で正しいゴールにたどり着くただひとつの道を選ばなくては、と焦りがちだが、実はそれは毛細血管のようなモノの中で迷子になっているだけで、大きく長い視点でみれば、心臓へのただひとつの流れに乗っているだけだったりする。
どこをどういこうが、自分の魂の本質は変わらない。変わらない中で、結果的に「選んだ」という事実の積み重ねに意味があるんだと思う。
子育ても同じだと思う。つい、子どものために一番良いのは何か、と考えてしまう。どの道が正しく、どんな教育がよく、どんな世界を見せるのが良いのか、と悩んでしまう。親である自分しか、それができないんじゃないか、と思ってしまうからだ。
でも、多分それは違う。
親が子どものために選べて与えられるものは、実際にはそんなにはない。どんな場所に置こうと子どもは見たければ見るし、見たくなければ見ないし、本当に出合うべきとその魂が決めてきたものには、与えようが与えまいが多分人生のどこかの段階で勝手に出合う。生まれてすぐから魂の色というのは確かにあって、それはどんな環境で育とうが、ある意味変わらない何かなのだと思う。100人いたら100人のBorn this wayがあって、それは誰にも染められない。
親に出来るのはただ「観察する」こと。サーモメーターと化して子どもを見つめ、日々、子どものどんな部分が何に、キラッと反応して光っているのかを、見ることだけ。もっと強い光にしよう!とかもっと光る箇所を増やそう!というのは関与する部分ではなく、ただ求められたら、その時は全力で手伝うよ、という気配をうっすら背後で漂わせてるくらいがちょうどいいと思う。
ともあれ、神戸を離れることとなり!!(びっくり!!)
またいろいろな変化が訪れることになりそうな春です!
どっちを行くか?
どう行くか?
渦中にある時は、枝分かれの中で正しいゴールにたどり着くただひとつの道を選ばなくては、と焦りがちだが、実はそれは毛細血管のようなモノの中で迷子になっているだけで、大きく長い視点でみれば、心臓へのただひとつの流れに乗っているだけだったりする。
どこをどういこうが、自分の魂の本質は変わらない。変わらない中で、結果的に「選んだ」という事実の積み重ねに意味があるんだと思う。
子育ても同じだと思う。つい、子どものために一番良いのは何か、と考えてしまう。どの道が正しく、どんな教育がよく、どんな世界を見せるのが良いのか、と悩んでしまう。親である自分しか、それができないんじゃないか、と思ってしまうからだ。
でも、多分それは違う。
親が子どものために選べて与えられるものは、実際にはそんなにはない。どんな場所に置こうと子どもは見たければ見るし、見たくなければ見ないし、本当に出合うべきとその魂が決めてきたものには、与えようが与えまいが多分人生のどこかの段階で勝手に出合う。生まれてすぐから魂の色というのは確かにあって、それはどんな環境で育とうが、ある意味変わらない何かなのだと思う。100人いたら100人のBorn this wayがあって、それは誰にも染められない。
親に出来るのはただ「観察する」こと。サーモメーターと化して子どもを見つめ、日々、子どものどんな部分が何に、キラッと反応して光っているのかを、見ることだけ。もっと強い光にしよう!とかもっと光る箇所を増やそう!というのは関与する部分ではなく、ただ求められたら、その時は全力で手伝うよ、という気配をうっすら背後で漂わせてるくらいがちょうどいいと思う。
ともあれ、神戸を離れることとなり!!(びっくり!!)
またいろいろな変化が訪れることになりそうな春です!