約週2回のペースで中国語の学校に行き始めて2ヶ月くらい経ちました。学生として学校にいく、というのが人生で久しぶりで楽しいです。中国語はとっても難しい。そしてとても面白い。
まだかたつむりのようなスピードで自己紹介ができるくらい。それも、発音が間違ってて先生に注意されまくりながら。まだ初歩の初歩、入り口の手前のチケット券売機くらいですが、多分0が1になる、この感覚は、10が11になる時にはもう味わえない気もする。新しい宇宙が生まれる。新しい言語を学ぶと世界の見方が新しく一つ増える。
今まで中国語はただの音、目の前の人が言ってることが、笑っちゃうくらいわからん、という状態だったんですが(まあ今もだいたいわからないんですが)、ひとつでも何か単語を覚えたら、その単語だけが音楽の中で浮き出て聴こえてくるようになった。星空の中で、知っているオリオン座だけが、すぐ見つかるみたいに。
買い物をして、レジで話す時に、袋子(タイズ)という音が聴こえると「ああ、袋がいるかどうか聞いているんだな」と想像できたり。「孩子(ハイズ)」がわ聞こえると、何か子供のことを言っているんだ、とわかったり。
声調という、同じ表記でも4つの発音の仕方があり、その「メロディとリズム」がキモなため、小声やヒソヒソ話だと通じない。中国の人が何を喋ってても声が大きい、怒っているように聞こえる、とこれまで思っていましたが、それはそうしないと伝わらないからなんだなあ、というのがよくわかってきました。
あと、中国語の「歩く」は、「走」。じゃあ「走る」は何かというと、「跑」。ジャンプするイメージ。それだけのことが、この国のスピード感を表している気がします。
あと、「ものすごく仲のよい友達」を表す言葉が「死党」だったり。「彼女は私の死党です」という使い方、一緒に死んでもいいくらい仲良し、という事らしいんですが、友達を表す言葉には一見見えなくて、そのちょっと極端な感じが面白い。
一個一個が漢字の意味と連動しているから、日本人にとっては西洋の人よりはだいぶ学びやすい言語だろうと思います。日本語との共通点も多いです。「超かわいい〜〜!」は「超可愛」。
共通点と違いがひっかかってすぐに先生に質問してしまうので、多分先生には質問魔だと思われております…。
中国語で「もの」のことを「東西」と書いて「ドンシー」というと教わる。ショッピングに行くのは、買東西(マイドンシー、本当は”买东西”)。
さっそく質問。「なんで方角を表す“東西”の意味が“もの”になるんですか?シルクロードが東西に伸びてて物品の売買をしてたからとか?」
そうしたら帰ってきた答えが全く予想と違っててびっくり!
(諸説あり、実際には上記のような意味もあるとか)
中国の「五行学説」の表の中で、東の方位を表すのが木、南は火、西は金、北は水、中央が土。人間の手が左右に伸びているとして、火や水は手に持つことができないけれど、東にある「木」と西にある「金」は「手に持つ」ことができる。だから、東西=モノ になったのだというのです。
わーわーわーー!
めっちゃ面白いーーー!と先生も引くほど大興奮。
だから、東と西で、モノ!
ひとつの単語の中に世界観が滲み出てる。ただ単語を覚えるより、ルーツがわかれば絶対に忘れない。学ぶ、ってこういうことだよな〜勉強って、これだよな〜と40代になって全く知らなかったことを知る、その楽しさに興奮する。
ドラえもんやまる子が大好きで見まくってるからか、宿題=面倒でいやなもの、勉強=つまらない、というイメージを植え付けられがちな小2の長女にこういうアハ体験こそ学ぶことの醍醐味で、面白いところなんだよ、と伝えることができたらいいのですが。
そして昔、敬愛する吉本ばななさんに「舞ちゃんは英語の時の人格の方がモテると思う!」と言って頂いて、それをひそかに心の拠り所にしてきたのですが、(でも、結局日本語で生きてきたので、全くそれを検証できませんでした😂涙)違う言語を話している時は違う人格が憑依している感覚はあるので、中国語がもしいつか話せるようになったら第三の人格がまた生まれるだろうか。らんまのシャンプーみたいだといいなあ…。
脳の老化で記憶力が昔より断然低下してて、ピンイン表記が全然覚えられないのですが(子供達の方がナチュラルに覚えていて羨ましい)マイペースにコツコツ頑張ります。
今日は夕焼けがとても綺麗でした。
あと意味なく、先日食べてとてもおいしかった、マンゴーかき氷と、ピーナッツクリームのかき氷。
まだかたつむりのようなスピードで自己紹介ができるくらい。それも、発音が間違ってて先生に注意されまくりながら。まだ初歩の初歩、入り口の手前のチケット券売機くらいですが、多分0が1になる、この感覚は、10が11になる時にはもう味わえない気もする。新しい宇宙が生まれる。新しい言語を学ぶと世界の見方が新しく一つ増える。
今まで中国語はただの音、目の前の人が言ってることが、笑っちゃうくらいわからん、という状態だったんですが(まあ今もだいたいわからないんですが)、ひとつでも何か単語を覚えたら、その単語だけが音楽の中で浮き出て聴こえてくるようになった。星空の中で、知っているオリオン座だけが、すぐ見つかるみたいに。
買い物をして、レジで話す時に、袋子(タイズ)という音が聴こえると「ああ、袋がいるかどうか聞いているんだな」と想像できたり。「孩子(ハイズ)」がわ聞こえると、何か子供のことを言っているんだ、とわかったり。
声調という、同じ表記でも4つの発音の仕方があり、その「メロディとリズム」がキモなため、小声やヒソヒソ話だと通じない。中国の人が何を喋ってても声が大きい、怒っているように聞こえる、とこれまで思っていましたが、それはそうしないと伝わらないからなんだなあ、というのがよくわかってきました。
あと、中国語の「歩く」は、「走」。じゃあ「走る」は何かというと、「跑」。ジャンプするイメージ。それだけのことが、この国のスピード感を表している気がします。
あと、「ものすごく仲のよい友達」を表す言葉が「死党」だったり。「彼女は私の死党です」という使い方、一緒に死んでもいいくらい仲良し、という事らしいんですが、友達を表す言葉には一見見えなくて、そのちょっと極端な感じが面白い。
一個一個が漢字の意味と連動しているから、日本人にとっては西洋の人よりはだいぶ学びやすい言語だろうと思います。日本語との共通点も多いです。「超かわいい〜〜!」は「超可愛」。
共通点と違いがひっかかってすぐに先生に質問してしまうので、多分先生には質問魔だと思われております…。
中国語で「もの」のことを「東西」と書いて「ドンシー」というと教わる。ショッピングに行くのは、買東西(マイドンシー、本当は”买东西”)。
さっそく質問。「なんで方角を表す“東西”の意味が“もの”になるんですか?シルクロードが東西に伸びてて物品の売買をしてたからとか?」
そうしたら帰ってきた答えが全く予想と違っててびっくり!
(諸説あり、実際には上記のような意味もあるとか)
中国の「五行学説」の表の中で、東の方位を表すのが木、南は火、西は金、北は水、中央が土。人間の手が左右に伸びているとして、火や水は手に持つことができないけれど、東にある「木」と西にある「金」は「手に持つ」ことができる。だから、東西=モノ になったのだというのです。
わーわーわーー!
めっちゃ面白いーーー!と先生も引くほど大興奮。
だから、東と西で、モノ!
ひとつの単語の中に世界観が滲み出てる。ただ単語を覚えるより、ルーツがわかれば絶対に忘れない。学ぶ、ってこういうことだよな〜勉強って、これだよな〜と40代になって全く知らなかったことを知る、その楽しさに興奮する。
ドラえもんやまる子が大好きで見まくってるからか、宿題=面倒でいやなもの、勉強=つまらない、というイメージを植え付けられがちな小2の長女にこういうアハ体験こそ学ぶことの醍醐味で、面白いところなんだよ、と伝えることができたらいいのですが。
そして昔、敬愛する吉本ばななさんに「舞ちゃんは英語の時の人格の方がモテると思う!」と言って頂いて、それをひそかに心の拠り所にしてきたのですが、(でも、結局日本語で生きてきたので、全くそれを検証できませんでした😂涙)違う言語を話している時は違う人格が憑依している感覚はあるので、中国語がもしいつか話せるようになったら第三の人格がまた生まれるだろうか。らんまのシャンプーみたいだといいなあ…。
脳の老化で記憶力が昔より断然低下してて、ピンイン表記が全然覚えられないのですが(子供達の方がナチュラルに覚えていて羨ましい)マイペースにコツコツ頑張ります。
今日は夕焼けがとても綺麗でした。
あと意味なく、先日食べてとてもおいしかった、マンゴーかき氷と、ピーナッツクリームのかき氷。