秋よりも冬に近くなって、空気に石油ストーブの匂いがまざるようになると、冬だなあ、と思う。
どんどん時間が流れていって、どんどん季節は変わっていく。手のひらから砂がこぼれるみたいに、新幹線同士がすれ違うみたいに、「楽しみにしていたこと」も「大変だったこと」も、一瞬で過去になっていく。それが人生の全部だったみたいなことも、終わってしまえば思い出になっていく。
今年はありえないくらいたくさん結婚式に出席し、そしてありえないくらい(ありえるか)周囲に子供が生まれて、おお~と思うことが多かった。6月に生まれたばっかり、と思っていた私の甥っ子も、この間写真を見たらもう立派に髪の毛ふさふさの男の子!という感じになっていて、びっくりした。両親は「パパとママ」から「じいじとばあば」になって、自分が属する人生のphaseが変わっているんだなあ、と思う。まぶしいみたいな気持ちで、甥っ子の写真を見つめる。
明らかに時間は過ぎていて、明らかに終わりは近づいてくる。
毎日同じことをする日常でも、それでも同じ日は二度とやってこない。
ちょっと気を抜くと1年ってなんとなく平気で過ぎてしまうので、一日一日に対して意識的でありたい。
今まわりに居てくれる人がまわりに居てくれているという状態が、どれほど貴重で、今しかない時間なのか、当たり前な一日が、どれほど幸福なのか。朝起きて、ごはんを食べて、働いて、人と会って、寝る、みたいな、そんな一日のことをいつか、涙を流しながら思い出すのかもしれないと思う。
最近は、なんだかやることの多さを言い訳に、日常が雑になってしまっていた事を深く反省。しかし「なんとなく日常を生きない」ということがどれほど困難か!本を読んだり、料理をしたり、飲みにでかけたり、そんな暇はない!みたいに思えてしまったら、それは危険信号、本末転倒だと思う。大事な人たちとの大事な時間を犠牲にしてまで、やる価値のあること、というのがどれほどあるだろう。
自分は自分であるだけで、何者かなのに、何者かになろうとして苦しむのは、なんだかおかしな話であります。焦ったり、枯渇している中から何かを搾り出したとしても、たいしたものは出てこないのだ。
そんないろいろなことを考える季節の変わり目涙腺ゆる目。
今年はカレンダーが早めに完成しているし、12月はちょっとゆっくりして充電しようと思う。といいながら、今月末は再び旅、友達の結婚式に出席するためシンガポールにいきまーす。私にとってのゆっくりする(仕事をしない)って、結局とびまわる(家にいない)ことだったりして。ははは。3回目のマーライオンか!
