
最近時間感覚がますますおかしくなって、それはつまり急にこれまで乗っていたはずの川の流れからぽっかりよどみにはまってしまい、空間の動きがなくなってしまうというか、今日がいつなのかとか、何年なのかとか、そういう事が急にさっぱりわからなくなってしまうのです。今も気づけば1週間もブログを書いてないことにびっくり。
あと、何かイベントごとから現在に至るまでの距離感が全く図れなくなってしまうというのもある。「最後に会ったのいつだっけ」「あれをやったのいつだっけ」みたいな会話になると、全部が不透明なもやみたいなものに包まれてすぐ混乱する。曜日とか時間とか会社員の人に比べたら関係ないし、更に一人暮らしをしていると、他者によって自分の生活のリズムが規定されるという事すらないため、気をつけていないと何もかもがもや~っと希薄になるのです。
そんな時、心は時間旅行に出かけてしまってるのだと思い、自分をなんとかなだめていると、やがてまたよどみから流れに戻れるのが常。でも、困るのはよどみにはまるくらいじゃすまなくて、どっかーんと上流からてっぽう水みたいなのがやってくることがあって、そうなると一気に押し流されて、もう何が何だか、一体いまはどこなのか。もやに呑まれて、じっと丸まったままその暴力的な流れをやりすごさないと、何も出来ない。
一時期それですごく人に迷惑をかけてしまうことがあって(悪意は全くなくダブルブッキングしてしまったり、予定を丸一週間、もしくは丸一ヶ月とか勘違いして覚えてたり)これはいかん、と神経とがらせて気をつけるようにしたら、最近はだいぶ減った。でもまだある。ごめんなさい迷惑かけている人たち・・・。
それと近頃異様に涙もろくなって別にそんな泣くほどじゃないことでもうる~っとしてしまうので困っているのですが、その時間がなくなる感じと、涙が出る時の気持ちはちょっと似ているなあと最近気づいた。
時間がなくなってもやの中にいる時は、心だけタイムトラベルしているような感覚で、たとえば「現在の自分」と「過去悲しんでいる自分」いたとしたらその2人が同化してしまうために、思い出して悲しくなる、というのではなく、その悲しい事が今現在進行形のことのように思えてしまうのです。あと、自分が誰だかも希薄になってしまっているので、他の人の「悲しい/嬉しい」話にシンクロしやすくなってその人になってしまって泣いてる時もある気がする。
反対にタイムトラベルというだけあって(?)未来に行くことも出来る。妙だなあと思うのは、未来に起きるであろう出来事、その出来事が起きる瞬間を通り越して、もっと先の未来、その出来事ももう遠い過去になってしまっている先の未来で、過去の出来事(でも今の時点からは未来)を「回想している」自分になってしまうのです。そしてその過去(しつこいけど、まだ起きてない未来)を懐かしく思って泣く、とか、そういう変な感じ。
頭おかしい人みたいな日記だぞ!
表現力がないから、うまくかけない・・。
要するにただの想像癖です。
しかし最近は人に物理的な迷惑をかけない限りはいいのだと開き直ったところもある。だって、どうしようもないのだもの。
感覚がなくなっても、「いま、ここ」は待てばちゃんと戻ってくる。
時間のてっぽう水は小さい時から定期的にやってくるものなので、慣れっこと言えば慣れっこなのです。規模の問題で。地震とちょっと似ている。
今は、過去から見たら遠い未来。
今は、未来から見たら遠い過去。
今は、ギフトだから、プレゼント。
川の流れからはずれたって、川さえあれば(乾ききった砂漠じゃなければ)
実際どこにいたってたいした違いはないじゃないかと思う。
ぐるぐる回ってる円環だから。
だからきょうもいってらっしゃい、なのです。こころ。
迷子にだけはならないでね。
そんな時、心は時間旅行に出かけてしまってるのだと思い、自分をなんとかなだめていると、やがてまたよどみから流れに戻れるのが常。でも、困るのはよどみにはまるくらいじゃすまなくて、どっかーんと上流からてっぽう水みたいなのがやってくることがあって、そうなると一気に押し流されて、もう何が何だか、一体いまはどこなのか。もやに呑まれて、じっと丸まったままその暴力的な流れをやりすごさないと、何も出来ない。
一時期それですごく人に迷惑をかけてしまうことがあって(悪意は全くなくダブルブッキングしてしまったり、予定を丸一週間、もしくは丸一ヶ月とか勘違いして覚えてたり)これはいかん、と神経とがらせて気をつけるようにしたら、最近はだいぶ減った。でもまだある。ごめんなさい迷惑かけている人たち・・・。
それと近頃異様に涙もろくなって別にそんな泣くほどじゃないことでもうる~っとしてしまうので困っているのですが、その時間がなくなる感じと、涙が出る時の気持ちはちょっと似ているなあと最近気づいた。
時間がなくなってもやの中にいる時は、心だけタイムトラベルしているような感覚で、たとえば「現在の自分」と「過去悲しんでいる自分」いたとしたらその2人が同化してしまうために、思い出して悲しくなる、というのではなく、その悲しい事が今現在進行形のことのように思えてしまうのです。あと、自分が誰だかも希薄になってしまっているので、他の人の「悲しい/嬉しい」話にシンクロしやすくなってその人になってしまって泣いてる時もある気がする。
反対にタイムトラベルというだけあって(?)未来に行くことも出来る。妙だなあと思うのは、未来に起きるであろう出来事、その出来事が起きる瞬間を通り越して、もっと先の未来、その出来事ももう遠い過去になってしまっている先の未来で、過去の出来事(でも今の時点からは未来)を「回想している」自分になってしまうのです。そしてその過去(しつこいけど、まだ起きてない未来)を懐かしく思って泣く、とか、そういう変な感じ。
頭おかしい人みたいな日記だぞ!
表現力がないから、うまくかけない・・。
要するにただの想像癖です。
しかし最近は人に物理的な迷惑をかけない限りはいいのだと開き直ったところもある。だって、どうしようもないのだもの。
感覚がなくなっても、「いま、ここ」は待てばちゃんと戻ってくる。
時間のてっぽう水は小さい時から定期的にやってくるものなので、慣れっこと言えば慣れっこなのです。規模の問題で。地震とちょっと似ている。
今は、過去から見たら遠い未来。
今は、未来から見たら遠い過去。
今は、ギフトだから、プレゼント。
川の流れからはずれたって、川さえあれば(乾ききった砂漠じゃなければ)
実際どこにいたってたいした違いはないじゃないかと思う。
ぐるぐる回ってる円環だから。
だからきょうもいってらっしゃい、なのです。こころ。
迷子にだけはならないでね。